11月19日
11月19日、木曜日。晴れ。暑い。市役所へ寄ってから、母の入院している病院へ。考えてみれば車を運転するのも久々だ。
今日も書く。シーキビな状況ではあるがそれを踏まえて記録する。日記とはそういうものだ。
昨日の日記を読み返して思ったが、なぜ時間を逐一記録しておくのか不思議に感じた方もいるかもしれない。
理由は、救急隊や病院のスタッフに「○時○分に○○をしました」と箇条書きで伝える為だ。編年体で記された日本書紀のようなものでかっこいいんじゃないかという思いもある。ぜんぜん違うが。
ああいう極限の場面だと勝手に時計を見ながら何分に何をやったか、一旦記憶するようになった。その方が病院でも色々なことがスムーズに進行する。
もちろんメモにも残す。救急車で搬送された後は、時間だけはたんまりとある。
初めてのことだが、昨晩はおれ以外に急患の付添はいなかった。薄暗い廊下に一人取り残され、やることがなにもない。せいぜいむき出しの感情をツイッターにツイッタツイッタとつぶやくか(のこったのこったと同じノリで言っていると思われる)、メモを取るくらいだ。
このメモがまた翌朝役に立つ。母の面倒を見てくれている訪問看護、訪問入浴、ヘルパーに当面キャンセルの電話を何時に入れるか記入しておくのだ。
何時、というのは先方の開業時間に合わせてあるだけのことだが、朝に疲れ切った頭で「ここが何時で、あっちが何時からで〜」と考えるのは相当ややこしいと思われる。
9時に訪問看護に電話しようと思っていたが、7時30分に電話がかかってきた。ここは24時間勤務体制をとっているのだ。
昨晩お世話になった看護師の方が電話をくれた。母の身を案じるのは仕方ないが、どうか息子さんも心と体を休めるように、とのこと。
休めないけどな。眠いけど眠れない状態だがな。けどありがたい。
寝不足がたたり、精神がギスギスしているのが自分でも分かる。病院のナースセンターで母の様子を伺った時のことだ。
もちろん「すみません、お忙しいところ。昨晩1時に入院した桑原はどんな感じですか」と低姿勢で切り出してはいるのだが、それに対する
「看護師でないとわかりません」
という返答にすぐさまカチンと来た。別にお前に用があるわけではない。
「なら替わって、担当の看護師さんに」
「お名前は」
「桑原です」
「いえ、担当の看護師です」
「知るわけねえだろ」
お前が一番前にいたから聞いただけである。昨晩入院してから連絡もないのに担当看護師を知っていると思った道理はどこ。主治医から直に連絡が来るとでも。
なんにせよ昨晩から、言葉とおそらく態度と表情に棘が生えている。これは良くない。寝不足の弊害かと思われる。
他者に対する優しさがないと、人生はうまくいかないと信じている。その優しさは興味につながり、「この人はここが素晴らしい」とか「その姿勢を見習いたい」といった生き方に直結しやすい。ついでに言うなら、小説を書く時の一番いい参考資料になると思っている。
本当に頭の中だけで人物を動かし、魅力的に書ける人にとっては必要ないことかもしれないが、想像力が乏しいおれにとって、さまざまな物事のきっかけになる他者に対する優しさというのは欠かせないものなのだ。ここまでわかっていながらなんで。どうして。バカとしか言いようがない。
あぁ、面倒だがデイサービスから戻ってきた父の夕食をどうにかしなければ。奴に対しての優しさはずいぶん前に捨てた。それはおれにとって必要がないものだと気付いたのだ。
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