家に帰ろう
11月18日
11月18日、水曜日。晴れ。暖かい。やたら暖かい日が続くが、また葉野菜が高騰してしまうのでは。
キャベツのお値段はおれの機嫌とふところに直結する。2017年の冬だったか、一玉400円まで上がりくさった時は少しずつ大事に食べた。「なんておれは貧しいのだろう」と萎びたキャベツのように心がヘナヘナになったものだ。
最近、母が眠っている時間が長い。具体的に言うと起床が6時頃。朝食までの30分は起きている。朝食後、1時間後にまた睡眠。8時前後から11時くらいまで眠っている。
12時の昼食後、また13時に眠る。15時に目を覚まし、軽くリハビリを行なった後、16時から17時まで眠るといった具合だ。脳が休息を求めているのか、動かない体に動けと命令しているから疲れているのかは分からないが、起きている時間よりも眠っている時間の方が長いのではないかと思う。
もちろん訪問看護や訪問入浴が来てくれる時は起きている。だがこの前は入浴しながら眠っていた。流石に心配になり訪問看護に相談してみる。
眠ること自体は悪くないが、夜眠れなくなるとそれはまた問題とのこと。その点は問題ない。夜もぐっすり眠っている。
他に特に書くことはないな、と頭を捻って何か別の話に切り出そうと思っていた。だが事態は急変する。
夕食を済ませ、ヘルパーがちょうど帰ったタイミングの18時28分、母が小発作を起こした。自分の手を握りしめて小刻みに震えている。この時点では意思は若干通じた。横に倒し、訪問看護に電話をして座薬の許可をとったのが32分、座薬を入れたのが33分、この時の体温は36・6度。
本来ならば問答無用で救急車なのだが、そうすると入院することになる。少しでも長く家にいたいという母の意思に背くことはできない。この考えが結果的に失敗だった。
訪問看護到着が19時5分。血圧等を測り、往診の医者と電話でやりとりをしていた。若干けいれんが落ち着き始めた。座薬が効いたようだ。
この時父は何をしていたかというと、テレビを観て、いつも寝る時間に寝た。母の緊急事態に対し、何ら心配はしていない、それどころか興味がないようだった。
20時30分にもう一度連絡しますと言い残し、訪問看護は戻った。この時の母は安定したいびきをかいており、しっかりと熟睡しているように見えた。全て収まってくれたかと思いこんでいた。
確か20時20分頃、父が車椅子でトイレへ向かった。珍しく兄が声を荒げながら怒鳴り散らしていたのを記憶している。「てめえ、自分のことばかり言ってやがって、お母さんが少しも心配じゃないのか!?」といった内容だ。父がそれに対してなんと返答したのかはわからないし、知りたくもない。
20時55分、兄が母の異変に気づいた。またけいれんを起こしている。それどころか、血を吐いている。意識はない。とりあえず強引に背中を押して横向きにし、なるべく唾液や血が気管に入らないようにする。同時に訪問看護へ電話。この時に兄は言っていた。
「もう救急車しかねえだろ……」
確かにそうだ。けれど、入院するといつ戻れるのか分からないのだ。
21時3分、訪問看護に血を吐いている旨を伝え、救急車を呼んでいいか電話をかける。もうまもなく到着しますとのことだったので、背中を押したまま声をかけて励ます。意識はないがこういうことは必要だと思う。
訪問看護が到着し、口の中を確認する。どうやら自分の歯で舌や口を噛んでいるようだ。スプーンを噛ませ、これ以上傷が増えないようにする。
同時に医者へ連絡を取り、救急車を呼べとの指示が下った。判断を誤った。長い時間大変な思いをさせるのなら、最初の発作の段階で緊急搬送しておくべきだった。
21時34分、119に電話。住所と隣の家の名前を告げる。どんな状態ですかと聞かれたので訪問看護に電話を渡し、その間に外出できる準備をする。母の薬、保険証、お薬手帳、靴。そして自分のタクシー代などだ。
電話で全ての情報を伝え終える前に救急車の音が近づいてきた。表へ出て大きく手を振り誘導する。訪問看護の指示が適切だったのだろう、家に到着した救急隊は、今まで見たことのないものものしい機械をいくつか抱えていた。
ストレッチャーで救急車へ。出る時、兄に「父のケアをよろしく」と声をかけた。救急隊の物音でショックを受けているかもしれないと思ったのだ。
赤色灯を光らせ、サイレンを鳴らしながら病院へ。かつてないほどけいれんが激しい。体温は38・5度。
21時55分、病院に到着。ここからはひたすら待つだけである。30分ほど経過した時、CTを撮るため母を乗せたストレッチャーが目の前を通り過ぎていった。一瞬しか確認できなかったが、けいれんは止まっているようだった。
そこから1時間。病室に呼ばれた。CTの結果報告だ。
脳腫瘍が更に大きくなっていた。そこに対しての防御壁は心に築いていたので耐えることができたが、次の知らせを受けた時は我知らず声が出た。
「肺炎も発症してます」
どうやら二度目の発作で唾液が肺に入ってしまったらしく、その為に肺炎を起こしたらしい。最初に救急車を呼んでおけば、母に余計な苦労をかけずに済んだのだ。
23時25分、病棟へ移動。ストレッチャー上の母は落ち着いているようだ。手を握っても反応はないが、呼吸は落ち着いているように見える。
普段なら4階の外科に入院なのだが、病室が埋まっているので5階の整形外科病棟へ。
病棟へ移動して、最初の報告まで1時間待たされるとは思わなかった。今までなら病棟へ行けば20分ほどで終了だったのだが、一体何なのだ。笑い声すら聞こえる。
しかも最初に現れた看護師は、病院のパンフレットを持って入院のルールの説明に来た。
「入院は今年5回目だからそんなどうでもいいことはやらんでいいです。そんなどうでもいいことは本当にどうでもよくて、おれが知りたいのは母はどんな具合なのか、だけなんだけど。スタッフの笑い声も聴こえるから快方に向かってると思っていいのか」
かなりつっけんどんな口調になる。苛立ちを抑えられないが、これはただの八つ当たりだ。ごめんねとしか言いようがない。
すぐに別の看護師が状態の説明に来た。叩いたところに反応する、返答はないが意識はある、等を知らされた。
そこから20分が経って入院の書類やアメニティレンタルの手続きを終える。普段ならここで終了なのだが、書類を持っていこうとした看護師は無言だった。
「まだなんかあんの?」
と思わず聞く。
「いえ、別にありませんけど」
「なら『終了です』くらい言えや」
これは八つ当たりではない。言い方に多少の問題はあるが向こうの職務怠慢が原因だ。舌打ちをしてエレベーターに乗ったのが25時20分。2時間近く病棟でムダな時間を過ごした。ただ座って待つだけという状況がしんどいということは分かってもらいたい。
エレベーターを降り、ロビーへ。深夜の誰もいない病院は怖い。写真を撮ったらもれなく何かが映り込むような気がする。
タクシーで家に着いたのが25時40分。知り得る情報を兄に説明し、眠る。
で、目を開いたまま現在8時48分。流れでいうと32時48分。当たり前だけれど眠れないね。今日は午前中に何かしらの電話が来るはずだからアップルウォッチ様を装着し、それに備える。眠落ちしたとしても振動で起こしてもらえるはずだ。
午後はボディーソープやらマスクやらを持って病院へ。今回は退院できたとしても、家で過ごせるのかな……。
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