最近、父のようすがちょっとおかしいんだが。

 8年くらい前か、地下鉄日比谷線の車内で本日のタイトルのようなライトノベルの広告を見かけた。その時に抱いた感想。


「末じゃん、世も」


 好きな方には申し訳ないが、正直にそう感じた。内容は知らん。一生踏み込まないテリトリーということだけしか分からん。

 これが大ヒットしていたとして億万長者になっていようとも、同窓会や親戚の集まりで「最近、○のようすがちょっとおかしいんだが。」を書いていることがバレて得られるのは、承認欲求や優越感ではなく底知れぬダメージなのでは。


 10月24日、土曜日。晴れ。明日も天気がいいようだ。それだけで少し気分も晴れる。


 そうそう、最近いもう……ならぬ父のようすがちょっとおかしいんだが。どう考えても悪くない方に、良い方におかしい。良い方におかしいというのは表現としてどうかと思うが、そうとしか言い表せないのである。


 具体的に言うとここ数日、就寝前の全身薬塗りたくりが終わったあと、おれに向かって


「ありがとう」


 とか言いやがるのだ。寝言ではない。寝て言えというレベルの言葉ではあるが、そういうことを言いやがるのだ。

 初日に聞いた時は鳥肌が立った。恐怖だ。目の前で横たわっている父のなかみが、何か別のものと入れ替わってしまったのだろうかという恐怖だ。

 何をしてやっても何を聞いても無視で貫いてきた老人が、人並みの感謝を急に表すようになるとは思えない。うがった見方をしているのではなく、積み重ねてきた事実を根拠にそう感じているのである。


 おれの疑念を今まで通り無視するかのように、その後も父は褒める系統のポジティブな言葉を発するようになった。

 例を上げると、


 ありがとう

 いくらかやろうか

 うんこ出た

 おいしかった


 などであるが、あとは「え」があればあいうえお作文が完成してしまう。


 一応説明すると、「いくらかやろうか」というのはおれに小遣いをやろうという意味らしい。とはいえ通帳やカードを管理しているのは兄なのでカネは自由に扱えない。あくまでおれに対する感謝を物理的に経済的に表しているだけのことらしい。説明なのにらしいとか付いてしまうのは、実際にカネをくれそうな気配がないからである。


「うんこ出た」というのはトイレが終わった時に言うようになった。これが褒める系統の言葉か、お前の家ではポジティブなものなのかと問い詰められると困るが、前までは黙っているか「早く拭け」と言うだけだったので大きな変化といえる。


「おいしかった」というのはそのまま。おれが作った食事が美味しかった時に言うようになったのである。犬がおすわりを覚えるように、ロボットがプログラミングにより新たな動作を獲得するように、特定条件で出てくる言葉が増えてきたのだ。


 この変化、思い当たる節がある。母の容態を伝えた時からの行動な気がする。あの時、おれは確かにかなり強めに、シンプルな言葉で伝えた。


「お母さんは戻ってきても寝たきりです。残念だけどもうゴールは見えています。喧嘩しながら別れるか笑顔で別れるかはアンタ次第です」


 もしかしたらこの言葉が父を変えたのかもしれない。やっと事の重大さを認識したのだとしたら遅すぎるが、この際だから遅くてもいい。最後に後悔しなければもうそれだけでいい。


 思い返せば去年、おととしの今頃は、毎日のように父をどうにかする物騒な言葉をこぼしていた。

 あの男、いい加減老人ホームに預けるか。うばすて山はこのへんだとどこだっけ。駅のロッカーに入れるか、置き去りにしてしまおう、とそれこそあいうえおだけでこれだけの呪詛を毎日吐いていた。実際それくらい父の横暴は目に余るものがあったのだ。


 だが今年になって母の容態が急激に悪化し、もう手の施しようがないのだと知って、やっと父に変化が芽生えた。いいことか悪いことか。差し引きでいうと圧倒的にマイナスだが、これは差し引きしないほうがいいのかもしれない。計算できるものではないのだから。




 昨日の19時、母から電話があった。手が動かないから、毎度のように看護師さんにかけてもらったのだ。


「お前にとっては嬉しい知らせがあるよ。私にとっては残念だけど」


 母はもったいぶった言い方をした、と思われた。実際には言葉が出てこないだけだった。先日会った時よりも、更に話すという行為に苦労しているようだ。


「落ち着いて。なにがあった?」

「ええと、なんだっけ。ああ、電信柱が。違う、電信柱ではなくて……なんだっけ」

「電信柱? 電信柱のことを言いたいんじゃないよね?」

「そう、違う。退院日が延びたんだ」


 そんな事実は聞いていない。母からの電話の2時間前に病院から伝えられたのだ。退院は29日の午前中に決まったはずだ。


「おれは聞いてないよ、そんなの」

「けどお前にとっては嬉しいだろ?」

「嬉しいわけがないだろう」


 怒らず、優しく注意する。なにはともあれ勝手に退院日を変更されてはたまったものではない。早く家に帰ることが母の希望になっているのだ。


 翌日、つまり今日、土曜日。

 病院へ行き、セキュリティをかいくぐって退院日を聞いてきた。電話で済ませばいいのだが母への手紙もあるのだ。

 結局29日の午前中で確定していた。聞き間違えたのか、幻聴が発生しているのか。どちらにせよ急げることは急がなければならない。


 おそらく母は覚えていないのだろうが、手紙には昨晩のことについて触れておいた。


「退院が延びることが『お前にとっては嬉しい知らせ』と思われていると少しさびしいです。

 あくまで悪いのは病気であってお母さんではないです。家に帰るだけなんだから、うんことか気にしないでいいし、遠慮することもないんだよ。お母さんの家なんだから」


 気づけばここでもあいうえお。なんだこれ。ちょっと様子がおかしいのはもしかしておれなのか? 末じゃん、世。

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