11月26日 Jボーイ

 母が入院している病院から電話があった。30日の月曜16時過ぎから主治医を含めた打ち合わせを行い、退院の日程を決めるらしい。


 11月26日、木曜日。晴れ。


 何を言われるかはだいたい想像がついている。ホスピスへの転院やらそこら辺の話だろう。何を言われても家に帰すと決めているので、おそらく時間の無駄になる。なんたらワーカーがしたり顔して家族のことまで考えてくれるのだろうが、全く必要ない。決めていると言ったら決めているのだ。


 こちらとしては母の心が折れないように、余命を告げるのはやめてほしいとだけ伝えてある。そんなものは家族が知っていればいい。最後が決められているからこそ全力で立ち向かえるのだ。


 昨日の夕方、母から電話があった。「もう話せますよ」という若い女性の声が聴こえた。看護師さんにかけてもらったのだ。


「明日にでも退院しようと思うんだけど」


 残念ながらそれは無理。点滴が外れ食事が始まったとはいえ、まだ万全には程遠いのだ。

 会話の中で内容が通じたのはそこだけだった。あとは何を言っているのかは理解できない。単語が全く出てこないので「あの、あれが食べられたから、退院できるかもしれない」といった感じだ。二言目には「退院したい」と口にする。それがエネルギーになっていることは分かる。


 正直に言うと、退院は怖い。てんかんの発作を起こし緊急入院するたび、体が動かなくなり、会話もおぼつかなくなっている。腫瘍が大きくなっているのだろうと想像はつく。結局座薬も効かなかった。良くなることはもうないし、てんかんが収まることもない。


 それでもなんとかやっていくしかない。どうにもならないことでもどうにかしなければならないのだ。


 退院に向けて、自分の心が硬くなっているのが分かる。不安を解消するには体を動かすに限る。ついでにじゃがいもが減るといい。ということはじゃがいもを使った料理の出番である。父がデイに行っている間にやってしまおう。


 コメントで教えていただいたポテトチップスとじゃがいも餅、マッシュポテトに塩昆布を混ぜたもの、そしてポタージュを作った。父に出すのはポタージュのみにしておこう。血糖値急反発の恐れ大。

 3時間の作業(あえて調理とは言わない)の後、カリッとしかけたポテトチップスに、延々と口の中でもみもみするじゃがいも餅、そしてサラダっぽい何かと固体に近い液体が出来上がった。北海道の大地で芽生えたじゃがいもづくしコースの完成!

 バランスとしては完璧に近い。栄養素という大切なものから目を背ける勇気さえあれば、そう言い切ることができる。

 これでやっと一箱目の底が見えた。残り、30キロと6個。ご近所に配ってこれですよ。


 晩御飯がじゃがいもコースだけだと本当にテキサスの化石掘りみたいである。それどころか近所のクソガキに


「やーい、じゃがいもボーイ、山のような仕事抱え込んでしのいどけ」

「打ち砕け、日常ってやつをよ、このじゃがいもボーイが」

「ショウミーユアウェイ、うぉううぉう」


 とバカにされたとしても言い返せず、唇を噛んで黙っているしかない。仕事終わりのベルにとらわれの心と体、取り返す夕暮れ時にサングラスをかけ、ただ拳を突き上げるのみ。


 カラオケであれ歌う人って、なぜか必ずといっていいほどサビで拳を突き上げまくりおあそびになられる。しかもタイミングがまちまち。「ジェイ」のジェで元気よく挙手するフライング気味の人もいれば、「ボーイ」のイが終わった瞬間に肩ももげよとばかりに腕がピーンとなる人もいる。なんか流派でもあんのか。


 それはともかく、肉とか魚とか他の野菜を買ってこなければ。

 母が帰ってきたら買い物にも行けなくなる。先週の発作もなんの前触れもなく突然起きた。だから今のうちにできることをやっておくのだ! 自分の時間なんてものは諸々終わった後に考えればいい。Jボーイは悲しみを乗り越えるのだ。

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