おつとめ中の差し入れ

 母の誕生日は8月14日、次の日の8月15日は父の誕生日である。終戦記念日という日におめでとうと言うのが妥当なのかどうかは分からないが、本人に伝える気は全く無いのでここでつぶやいておく。おめでとさん。


 とは言うものの、本当に8月15日が誕生日かどうかは誰も知らない。前に書いたように、捨てられた子供だったらしいので本当の名字も誕生日も知らないのである。


 それはいいとして、約一月の入所(おれはおつとめと呼んでいる)に行っている老人に何を渡すかという問題がある。プリズンにおつとめしている人に渡すものと言えば脱獄道具しかないが、老人ホームにおつとめしている父には何を渡すべきか。


 日頃会話をしないので、何が好きなのかさっぱり分からない。よく兄に買ってこさせた本を読んでいるが、どういうジャンルのものを好むのか見当がつかない。本でいいのか。本だとしたらそのジャンルは何か。おつかいを頼まれている兄に聴いてみた。


「新聞広告に載っているような売れ筋」


 内容をまとめると、「売れている」「著者が有名」「新聞に広告が出ているようなものであれば安心」というわけの分からない買い方をしているようだ。通りで樹木希林の自伝みたいのがテーブルにあると思った。


 昔、狂ったように本を読んでいた時は、本屋に行って何を読むべきか吟味するのがとても楽しかった。売出し中のものには目もくれず、装丁の手触りやタイトルのデザインで選ぶ。そもそも好きなジャンルが科学とか歴史といった不人気系ノンフィクションなので、平積みされることはまず、ほぼ、皆無。

 著者名で選んだことはあまりないが、「こいつのは読まない」というくくりには何人も入っている。いわゆるベストセラー作家とか兼業作家のものがそれだ。


 例えば、村上春樹の新刊が発行されたとする。普通の読書好きなら平積みされているそれに目を止め「ほう、村上春樹の新刊か」と手に取るかもしれない。だがおれの場合「売れてる奴か、いらん」と素通りする。流行に迎合する気恥ずかしさがそうさせているのだろうとは思うが、人生を気楽に楽しむコツを捨てているとも言える。

 これは一時期熱中していた競馬にも当てはまり、「ほう、こいつがスペシャルウィークか……」とならなければいけないところ、「こいつが一番人気か……」と赤ペンで新聞に大きなバツを付ける。負け続けていた理由がそれだ。


 結果、村上春樹にもワンピースにも一度も触れることなく生きてきた。どうせだからこのまま死ぬまで遠慮しておく。同じような理由でウニとカニを食べたことがない。「みんなが美味いという高い奴か、いらん」となるのである。


「そんな心の底からどうでもいい日陰者の妬みを吐露して恥ずかしくないのか」と怒られるかもしれないが、恥ずかしいに決まっているとしか言いようがない。


 それはいいとして、本屋に行ってこなければならない。この酷暑の中、車ではなく、歩いて15分の駅ビルに向かうつもりである。駅ビルの中には本屋が数点あるので、ベストセラーが品切れということはないだろう。


 ただ、平積みされているものがタレント本だったりしたら、それを買わなければならないのだろうか。樹木希林の本が家にあったということは、やはりそういうことになるのだろう。


 だとしたら予想が付く。レジでの支払い中、売れ筋に手を出した気恥ずかしさで腹の脂がとろとろと溶け出し、本を受け取る時の敗北感と摩擦が火打ち石となって勝手に燃え上がるはずだ。ご丁寧にカネを払い終えた後に焼け死ぬのだから恐れ入る。

「本日、神奈川県の本屋で人間が勝手にメラメラ燃えて勝手に死にました」というニュースが流れてきたら、どうか心の中で仏壇のチーンを鳴らして弔って頂きたい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る