本を買いに

 父の誕生日プレゼントとして選んだ本は、五木寛之の新刊と、なんか夢を叶える象とかいうやつ、そして書影に大きく顔が印刷された女優の終活本。父の趣味に理解が追いつかないのでこんなラインナップになった。


 上に挙げた本の中で五木寛之は好きで読んだが、それ以外のものを買う、読むという考えに至ったことがない。考えどころか発想すら思いつかない。特に表1や帯に顔写真ドバアーン……系のものは一体誰が買うんだろうと不思議に思っていたのだが、長年の謎が解けた。おれみたいのが買うのである。


 夢を叶える象みたいな感じの本は名前だけは知っている。本屋に必ず平積みされていたからだ。たぶん面白くて売れているのだろう。ということはおれの人生に必要がないものと判断し、見向きもしなかった。売れているものに追随する必要なし、というのがおれの浅いあっさい人生哲学だ。


 昔から「ベストセラーを買う」という行動に抵抗を感じるのである。


 例えばタイトルだけはいつまで経っても脳にこびりついている「チーズはどこへ消えた?」や「バカの壁」、「ホームレス中学生」、もしく元号が変わった時万葉集に飛びついた層は8割方かぶっており、なおかつ読書が好きな人達ではない。なぜならば父が実際にそうだからである。一人の例を全に置き換えるのは以ての外だが、根拠なく言い切らなければ話が進まないので言い切る。


 一応言っておくと、上記の本に特別な悪意はない。かといって好意も興味も全くない。ベストセラーとなったバカの壁がインタビューの書き起こしだったことについてはゲラゲラドヒャヒャと笑ったが、多くの人がそれを買ったという事実から鑑みるに大した問題ではないのだろう。


 読書を趣味としての購買でないとすると、熱心な著者のファンか、うがった見方をすれば世間に迎合するための活動ということになる。「ベストセラーのアレ、読んでないの?」と聞かれた時に恥をかきたくないという心理になるのだろうか。もちろん様々なベストセラーを読んで売れ筋を研究し、創作を重ねる人もいるだろう。そういう人は心底尊敬している。インタビュー本が参考になるかは知らんが。

 ただ、読書と音楽くらいは自分だけの体験にしたいと願っている身としては、その迎合に寄り添う考えはおそらく出てこない。


 なので「一体誰が平積みされてる本なんか買いやがるんだ、世間におもねりやがって」と誰に向けての憤りなのかも分からないものをずっとずっと30年くらいずっと抱えていたが、また長年の疑問が解けた。結局おれみたいのが買うのである。まさしく負け犬の遠吠え。


 とここまで書いていたところ、病院の母から電話が。


「今日は調子が良い。車椅子への移動も一人で出来た」


 と言っていたが、看護師や医者の話をまとめるとそれは勘違いの可能性が高い。そもそも腫瘍が進行している以上、以前より体が動くわけがないのだ。体調がいいことをアピールして、どうにかして家に戻りたいのだろう。おれはそれをとても良いことだと捉えている。


「どんな時でも小さな希望を一つ」


 この数ヶ月で心に刻んだこの言葉を一生忘れずにいたい。希望は小さければ小さいほど芽生えやすいのだ。もしダメになっても次に繋げられればいい。


 電話の向こうで母は話を続ける。


「個室……。移ったら高いかね……」


 なんぼでも移動してもらいたい。願望は全て叶えて差し上げる。ただ、どうせなら四人部屋で話をしていた方が何かしらの刺激にはなるのではないか。おれの問いに母は応えた。


「みんな私より年上の、ちょっとボケた感じの人になっちゃって……」


 なら仕方がない。早急に移動の手配を整えるとしよう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る