真・11月21日

「マイナンバーカードの暗証番号がロックされた、ですか」


 そんなバカは今までに見たことがないですね、と言いたげな雰囲気を隠そうともせず、受話器の向こうの若い男は話を続けた。


 11月21日、土曜日。晴れ。窓開けっ放しで丁度いい。現在14時、室温は22度。


 18日の水曜日、母が発作を起こす1時間ほど前のこと、トヨタから電話があった。車が思ったよりも早く納品できそうなので印鑑証明を早いうちに用意しておけという内容だった。父の分で3通、おれの分が1通必要。


 父のマイナンバーカードはおれが管理している。彼は大事なものを全て無くすので、面倒だが仕方がない。だが暗証番号までは分からない。コンビニエンスストア等で印鑑証明を発行するには4桁の暗証番号が必要なのだ。父は言った。


「お父さんの誕生日か住所」


 確か3回間違えたらアウトだったはず。現時点で候補が2つあることから悪い予感しかしないが、考えていても仕方がないので、早く帰ってきていた兄に家を託し、最寄りのコンビニへ向かった。



「暗証番号を3回間違えた為、このカードはロックされています」



 という表示を前に冷や汗を流す。結局どちらでもなかったのだ。最後の一回は一か八かで母の誕生日を入れた。ダメだった。

 もちろん自分の分はすぐに発行できたが、大事なのは父の3通だ。頭を抱えながら家に戻り、市役所へ電話。18時過ぎなので翌朝かけ直すことにする。この後、母の発作が起きてしまったのだった。


 翌朝、市民課窓口へ電話を掛け、若い男の人にしどろもどろで説明した。


「あの、父のマイナンバーカードで印鑑証明を発行しようとしたら、暗証番号が違うようでロックされてしまいました。どうすればいいでしょう」


 これだけしどろもどろになるのは、我ながら珍しい。自分がどれだけバカなことを言っているか、うさんくさい口上を述べているか理解しているからだ。


「マイナンバーカードの暗証番号がロックされた、ですか」


 そんなバカは今までに見たことがないですね、と言いたい雰囲気を隠そうともせず、受話器の向こうの若い男は話を続けた。


「市役所の2階に本人を連れてきてください」

「無理です」


 事情を説明。ならてめぇのと親のマイナンバーカード持って市役所の2階に来い、とのことだったので、父をデイに送り出した後市役所へ。


 2階に到着。カード発行窓口があったのでそこで聞く。


「すみません、暗証番号3回間違えてロックされました。2階に来いと言われたのですが、どうしましょう」


 担当の女の人は、そんなバカが同じ市で生活していることが許せないといった態度で階上を顎でしゃくった。よくわからないまま3階へ行き、窓口で声をかける。


「すみません、暗証番号間違えました。どうしましょう」

「1階の109へ」


 声をかけた男の人は、そんなバカは3階に上がってくるなと言わんばかりに親指を下へ向けて下降させた。


 言われたとおり109窓口へ。人がわんさかいる。手続き番号を発行してもらうため、案内係に事情を説明。


「すみませんどうしましょう」

「え。暗証番号ですか。その場合は、どの紙だっけ、これだっけ」


 そんなバカは今まで見たことも聞いたこともないのでどう対応したらいいか分からないらしく、色んな人に書類の確認をしていた。番号札を渡され、なるべく隅っこの方で待つ。

 ピンポンという呼び出し音とともにおれの番号が表示された。


「どうしましょう」

「本人連れてきてください」

「無理です」


 事情を説明したところ、書類を返された。また呼ぶから端っこで迷惑にならないように静かに待ってろとのこと。


 30分後、再び別の人に呼ばれ、書類を書いて持ってこいと言われる。


「これはどうすれば」

「必ず本人に書いてもらってください」

「無理です」


 三度事情を説明。なら代理でもいいが、代理人と代筆者は必ず別でなければいかん、と言われる。おれが書いたらいけないそうだ。わけがわからん。幸い休日の家には兄がいるが、おれしかいなかったらどうするのだ。思わず聞いた。


「どうして」


 おれの無垢な問いに無視で応じた窓口氏は、「この書類をてめぇの家に送るから、何も考えず書いてまた持ってこい」と言った。

 ならこの場で受け取った方が手っ取り早い。今くださいとお願いしたところ、郵送するからとっとと帰れと。またも思わず聞いた。


「どうして」


 窓口氏はため息をつきながら手をうちわのように振っておれを追い返した。


 そして21日土曜、その書類が届いた。これで間違えたらえらいことである。いつまで経っても印鑑証明は発行できず、いつまで経っても車は納車されない。


 色々考えた末、父には何も相談せず勝手に4桁の番号を決めた。ついでに右手の親指で拇印を2箇所に押させた。


 めんどくさいことこの上ない。おまけに車の納品って言ったって、もう車椅子に乗れないのよ、母の状態からしてみれば。トヨタにしてみればとっとと納車したいだろうが、こっちは車のことは二の次なのである。


 それでも万が一の可能性として捨てきれない。もしかしたら車椅子に乗って退院できることもないとは言い切れない。その時は意気揚々と新車で迎えに行き、車椅子のまま後部座席へ。そうやって自力で退院できればいいなと心の底から願っている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る