対決!介護保険課!!の巻
朝9時45分。指定時間通りに市役所の介護保険課がやってきた。金貸しのような印象を与える眼鏡をかけた中年の女性だ。ほぼ同時にケアマネージャーも到着。本来なら入院中に行う認定調査の見直しであるが、母の退院が思いがけず早まった為、家に来てもらったのだ。
今日行われるのは、要介護保険度数の見直し。くだけた言い方をするとランクアップのチャンス。現在の介護度数3から4への昇段はほぼ確実らしいが、最高位の5も夢ではない、という情報をどこかで耳にした。
改めて要介護4というのがどういう状態なのか、厚生労働省の文面をお借りして説明したい。
「立ち上がりや歩行が自力ではほとんどできない。食事などの日常生活が、介護がないと行えない状態。コミュニケーションの部分でも、理解力の低下があり、意思疎通がやや難しい状態」。
ほぼほぼ当てはまっている。前半はズバリその通りだし、トイレも一人では無理。理解力の低下も著しい。ただ、意思疎通がやや難しい、とまでは言い切れない。
というのも、母の「あれ取って」とか「あそこのあの人に電話したい」というぼやけた言葉を勝手にこちらが判断し、意思の疎通を強引に行っているからだ。意思疎通がやや難しいという状態が誰に対してのものかで評価は分かれるだろう。なお、要介護5は寝たきりである。
挨拶が終わり、認定調査、開始。
いくら百戦錬磨の介護課とはいえ、まさか自分の言動が記録され、ましてや日記のネタにされ、あまつさえ公開されているとは夢にも思うまい。というか世の中にそこまでのバカというか恥知らずというかバカというか親不孝者というかバカがいるなどと考えたこともあるまい。公務員様に上申致します。下にはなんぼでも下がいるのです。
介護課は、ベッドに横たわる母に優しい声音で話しかけた。
「まず、お名前と生年月日、ご年齢をお願いします」
名前と生年月日は合っていたが、10歳くらい上の年齢を報告。別におれがそのように言えと促した訳ではない。多分本当に分かっていないのだと思う。
その後、体はどこまで動くか、目と耳はどうか、食事はできているかなどの基本的な質問が続いた。特に問題ないようだ。問題ないというのは、ここではランクアップの弊害にはならないということを指す。
質問の対象はおれに移った。
「1日に何回くらいベッドから起こしますか」
「5回から8回くらいですかね」
「普段はベッドの上で?」
「食事とその後の1時間くらいは車椅子で、あとはベッドですね」
「排尿は」
「バルーンがついてますので安心です」
「大便は」
「平均、5打数2安打です」
更に幻聴はないか、いきなり怒ったりする事はないか、物をわざと壊したりはしないかなどの痴呆症に関する聞き込み。
個人情報がたんまり詰まっているであろうノートを見ながら、介護課は疑問を口にした。
「インスリン注射と血糖値測定は、お母様がご自分で?」
「私がやってます」
大変ですね、と同情する介護課に、ケアマネの追い討ちがかかる。
「来週にはご主人も退所されるんですが、お二人分やられているんですよ。全ての負担が次男さん(おれのこと)にかかってくるので……」
母の聞き込みに父は関係なかろうと思ったが、その船に乗ることにした。汗を拭きつつ眉間にしわを寄せ、おれはかすれた声で訴える。
「ええ、大変なので心配で大変です。まだ本番は始まっておりませんし、不安です。その為、色んな方のお力に頼る必要がございます」
全力で同情を引きまくるのだ。
この認定調査に、おれはヒゲを剃らず、襟ヘレヘレ袖ヨレヨレのクタクタTシャツで臨んでいる。本当にかなり大変なんですよ、あわれに思われるなら加点の程何卒よろしくおねげえしますぞなもし、と人情に訴える作戦である。時間が昼食時ならば、菜箸でもやし入りのラーメンを鍋から直接すすっていただろう。
母の状態を見に来ているのであって、誰も貴様みたいなヨゴレに興味ないだろと言われればそれまでなのだが、この人情に訴える作戦、なんとなくいける気がする。認定調査の加点基準なんて「欽ちゃんの仮装大賞」のプププと点が積み重なっていく電光掲示板みたいなもんだろと解釈している。怒られるかもしらんが。
あれも大事なのは人情に訴えかけるアピールだ。子供と外国人が落ちたのを見たことがないし、14点までいけばだいたい15点に到達する。少なくともおれが子供の頃、祖母の家で観ていた時はそうだった。
「おばあちゃん、これ、ガキと外人は落ちないよね」
「欽ちゃんは優しいからね」
そんな会話をした記憶が急に蘇った。
それはさておき、そもそも認定調査が加点式なのか減点式なのかも分からない。だから介護課にとっては「何だこの家」という乾いた感想を与えただけだったかもしれない。
当たり前のことではあるが嘘はついていない。特に母に関する状態の報告に嘘は混じっていない。ただ、今後の我が家に関しては「大変でどうしたらいいかわからないです。要介護度が上がればもう少し色んなサービスを利用できるのですが……」という計算しつくされた弱さのアピールは念入りに行なった。
結果は約一月後。これで「やっぱり要介護度数3でした」とか言われたらいたたまれない。
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