11月30日 退院日決定

「泣ける」ということを前面に押し出しているのはどういうつもりなのかな。さっき「ドラ泣き」という言葉を目にしたのだけれども。


 泣きたいから映画を観るというのは映画に対する冒涜ではないかと感じている。感情が抑えられずに涙がこみ上げて来るのとは全然違う。泣きたいからという理由で映画を観るのはどうかと思うのだ。泣きたいのなら長時間映画を観るよりも、玉ねぎ2個くらいみじん切りにした方がボロボロに泣ける。しかもその後料理に使えるのだ。

 というよりも何よりもドラ泣きという言葉が腹立たしい。たぶんこういうのを考える奴は平易で人をケアラー呼ばわりするような意識高い系だ。


 11月30日、月曜日。晴れ。寒い。


 夕方から病院での話し合いがあった。基本的には母の退院日をいつにするかの打ち合わせなのだが、せっかく主治医がいることだしストレートに聞いてみることにした。


「もうどこの病院に行っても無意味ですか。今の医学ではどうにもなりませんか」


 しばらく考えたのち、主治医は言った。


「5月の時点で、脳の腫瘍を取り除くのはほぼ不可能でした。取れることは取れますが、お話ししたようにその時点で意識もなくなるし、半身も動かなくなることはその時点で分かっていました」

「だからこその放射線治療だったのですが、これが効かなかった理由は?」

「それはT病院の先生がなんて言ったかですね。なんにせよ、病気のスピードがあまりにも早すぎたんです。それに」


 言わないでもいいかな、といったような表情をしながら主治医を続けた。


「開頭手術に耐える体力があるかどうか。恐らく難しい」


 もう納得するしかないのだが、それでも飲み込むのには時間がかかる。わかっている。頭ではわかっているが心が追いつかないのだ。


 退院日の話になった。なるべく早く帰したい旨を伝えると、医者は慎重に語りだした。


「今回、2週間で再入院することになりました。おそらくこのペースが早まることが予想されます。私としてはホスピスをお勧めしたいのですが」

「家に帰します。母は家にいると笑っているので。本人の意識があるうちは何が何でも家に」


 まあ、大変ですけどねと小声で付け加える。弱音は家では吐けない。だから今のうちに吐いておくのだ。


 それからは今後のことに。


「11月18日にてんかんを起こした18時30分、座薬を入れました。で、21時に再び発作が起きて救急搬送になったのですが、座薬入れる前に救急車呼ぶべきでしたかね?」


 主治医はボクシングのガードのようなポーズを取りながら言った。


「てんかんが起きると、筋肉が収縮してしまうんですよ、こう。で、致命的なケガに繋がりやすいんです。なので、まずは座薬で発作を止めるという判断は正しかったと思いますし、今後もそうしてもらった方がいいです」


 ただ、今後はそのペースが早まることが予想される。最悪、退院日にすら発作が起きる可能性もあるのだ。


「この間、先生から余命宣告を受けましたが、今は聞いておいて良かったと思っています。それに向けてがんばれますから。そんなことは家族だけが知っていればいい。母は知らなくていいです」

「けど最近、なんかお母さん薄々気付いているみたいですよ?」

「なんだと」


 思わず目をむいた。慌てたように主治医は、おれの後ろに控えた看護師たちに話を振る。


「桑原さんの様子、どう? 最近」

「特に変わってない気がします」

「ろれつは回りませんが、意思は通じます」


 まだ大丈夫じゃねえか、とおれは声に出した。やはりギリギリの所で話している分、粗雑な感情がむき出しになりやすい。


 あとは退院日の決定。なるべく早く退院させたいので、明後日に設定。その際、前々回の往診の為に予約していた介護タクシーをお願いすることに。直前に緊急搬送されたのでドタキャンになってしまったのだ。


 これからはますます目が離せなくなる。覚悟は決めている。徐々に眠る時間が長くなり、眠るように息を引き取るケースが多いとも言われた。

 もしそうなるならそれでいい。構わない。穏やかに日々を過ごし、愛する家で眠るように亡くなるのなら。そこへ向けて全力で笑いながらサポートしていくのだ。それが今のおれの役割なのだろう。


 ただ、兄がなんと言うか。そこだけが不安だったので、脳神経外科の外来日に予約をとってもらうことにした。診断と状態だけでも本人の耳で聞いておいた方がいいだろう。

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