考えながら話す時にちょうどいい感じの物真似

 母がショートステイで利用していた老人ホームに電話をかけた。利用期間中のリハビリについて聞きたいことがあったのだ。忘れる前に朝のうちに済ませておいた。

 入所時、確か「歩行器の訓練をお願いします」とお願いしたと思う。ケアマネも同席して頷いていたようなおぼろげな記憶があるから、多分言ったような感じが少しだけ残っている気がしないわけではない。なんかそんな気がする。


 リハビリ担当者が席を外しているとのことで、電話をもらえることになった。その際、なるべく先方の機嫌を損ねないよう配慮することを忘れない。前内閣総理大臣・安倍晋三氏の口調を真似てお願いしたのだった。


「これは、クレームや苦情などといったものではなくてですね、これはもし歩行器を使わなかった、理由があるのなら、教えて頂きたい、という依頼であります。我が家といたしましても『歩行器訓練をお願いします』とお伝えしたかどうかという不安点もあるわけでございまして、しかしながら、しかしながらですね、入所時は順調に歩けたはずであります。

 スクワット、かかと上げ、足踏みを三本の矢とした下半身のリハビリ政策、いわゆるアシノミクスは、しっかりと、実に確実に、母親の体調を回復傾向に向かわせていたのであります。悪夢のような退院当初に戻るわけには、いかないのであります。

 そこで歩行器訓練を行わなかった理由をお聞きしたい、まさにそのように考えているのであります」


 当然一部話を盛っている。なにがアシノミクスだ。

 先方からしてみれば、


「さして親しくもない取引先の相手が前置きなく物真似をおっ始めこきくさりやがった。なんだこいつ。なんなんだ」


 以外の感想は生まれない。極当たり前のことである。おまけに非常に残念ながら物真似は伝わらなかった。相手がクスリともしなかったことからそれが分かる。

 低レベルな物真似のレパートリーが昔のプロレスラーか政治家しかないというのはどうかと思うが、これほどどうでもいい情報を書き散らかすというですね、まさにそのような天をも恐れぬ行為に怯えすら感じるのであります。


 約30分後、お米を研いでいる時に連絡がきた。こんなこともあろうかと耳にはエアーポッドを装着済み。考えてみれば米を研ぎながらの応答というのも相当に間抜けだ。


「今回は初回なので、運動能力を見ながらのリハビリという理由がありまして、よって行わなかったとリハビリ側から回答がありました。次回から行います」

「わかりました、はい」


 次回があるかどうかは母の気持ち次第だが、理由はわかった。確かにどれくらい動けるか分からない老人のリハビリを初回から全力で行うのは相応の危険が伴う。まずは施設側が運動能力を把握する必要がある、ということで納得した。


「確かに最初に歩行器のことは息子様(おれのこと)に言われたそうなのですが、そういった事情で代わりに平行棒などでのリハビリを行いました」

「わかりました、はい」


 イエスしか言えない気弱な社会人に飼い慣らされたオウムのように、おれはもう一度同じ言葉を繰り返した。別に問題があったわけではないのでこの件に関しては何も言うことがない。

 ただ、家に戻ってきた時、足のむくみが強かったことと今後利用する際の希望を伝えた。


「運動が足りないとむくみ出しますので、リハビリの延長などのご配慮は頂けますか」

「うーん、増やすのは難しいですね。他の利用者の方もいるので」

「まあ、そうでしょうねえ」


 そもそもリハビリ施設ではないので、こちらが無理を言っていることは分かっている。分かっていて尚お願いをしているのだから、大変質の悪い利用者及びにご家族である。



 その後の夕方、訪問看護師さんがやってきた。ベッドに寝転びながらのリハビリや歩行訓練など、側から見る限りとても理に適った進め方をしてくれるので信頼している。


「どうも立ったり座ったりといった単純なことができなくなっていまして……」


 相談したところ、彼女は母のおかしなところを一発で見抜いた。


「立つ時の足の幅が狭すぎるんです。これでバランスを取るのは難しいですね」


 足幅を調整し、何度も着席、起立の練習をしているうち、動きがスムーズになってきた。普段診ているおれが気づかなければいけないのだが、全く気付けなかった。押し寄せる無能感。

 立つ瀬がないので、緊急記者会見を開いた。いわゆる言い訳タイムである。


「これはですね、ある意味においては気付くべきものでありますが、また同時にいつも見ているからこそ気付かない、という、盲点とでもいうべき大きな問題点であります。

 でありますので、そういう意味においてはその見立ては正しいと、正しく、まさに正しい処置と申し上げるべきで、あります」


 ものすごく見事に無視された。物真似のクオリティを上げながら介護にいそしむ。今後の命題である。

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