呼び方に問題があるんですが

「あんたみたいな状態の人をケアラーって言うらしいよ」


 知人と他愛もない電話をしていた時、何気なく言われたこの言葉におれは逆上しかけた。ケアラーという言葉が大嫌いなのである。


「いやかいものだから。二度と金輪際絶対に間違えるな」


 言いたくて仕方がないが、なんとか口をつぐんだ。弱々しく絞り出した言葉で無意味な抵抗を試みる。


「いや。ケアラーっていう軽々しい言葉、おれは好きでないな」

「へーそうなんだ。ふーん」


 先方にしてみれば「まあどっちでもいい」というのは受け答えからして明らか。


「そう、介護もの。あくまで裏切り者とか愚か者、日陰者や卑怯者と同じイメージで言ってもらえれば」


 そう返したくても返せない事情がある。

 なにしろこんな日記をつけ、ましてや世の中に公開しているなどと家族に知られたら想像を絶する悲劇が待っている。なにせ「親のケツ拭いてます」「漏らしてるのを片付けてます」といった尾籠な話から病状の些細にいたるまで、一切の許可を取らず書いているのだ。まあ日記をつけるにせよ、普通は公開しないだろう。

 どこから情報が漏れるか分からないから、見知っている人にはこの日記のことは絶対に言えない。


 もし何かの拍子に「ケアラーでなくおれは介護ものだから」などと返してしまった日には、怯え過ぎかも知れないが、万が一、もしかしたら、起こり得ないことであるが、太陽が落ちてくるのを心配するようなものだが、なんだそれと検索されるかもしれない。自らのことを介護ものと自虐を交え呼称し、日記を公開している人がどれだけいるかは知らないが、決して多くはない気がする。そうしたら多分あっという間にバレる。


 もしバレたらそこから芋づる式に家族に知られる可能性が高い。勝手にネタにされた家族の怒りたるや、想像するだけで目の前が暗くなる。

 そうなったら良くて縁切り、最悪の場合切腹を申し付けられる。武士にとって切腹は名誉の死だったと聞くが、おれは武士ではなくただの介護者なので、身も世もない断末魔を上げつつも死にきれず、痛さで尺取虫のようにのたうち回るのみ。新聞の地域面か社会面には


「ケアラー、腹に包丁突き刺し重症。なぜ」


 という不名誉すぎる小見出しが踊るに違いない。ただまあそうなったらそうなったで、切腹に至るまでの詳細と切腹の瞬間までは日記に書くけど。


 ところで、圧倒的大多数の方々にはどうでもいいし全く興味もないだろうが、ケアラーという軽々しい言葉が嫌いである。嫌いというか許さんので土の下に埋まってしまえくらいの気持ちをこの言葉に抱いている。

 このままケアラーという言葉が定着するのは我慢がならん。かといって「介護もの」と口に出しては対抗するのはいけない。


「それを言っちゃあ(お前が社会的に)おしめえよ」


 という奴だ。本来なら他者をたしなめる男気のあふれるセリフであるが、自分に向けて保身の為に言っているからかっこ悪いことこの上ない。


 論理性に乏しく実に飛躍しきった例えであるが、介護で疲れた二者がいるとする。どちらも市役所の窓口かどこかで救いを求めているとする。どちらにより肩入れをしやすいか確認して頂きたい。


「僕ケアラー。両親が要介護3なので大変です。どうにかならないっすか」


「手前は介護ものと申す。両親が要介護3ゆえ救済を切望す。ケフ」


 圧倒的後者である。言っていることは二人とも、特に違いはない、多分。だが悲壮感で言えば圧倒的に後者に軍配が上がる。悲壮感に優劣をつけられるものかどうかは置いておく。

 悲壮感は現状を訴える為に大切なものだ。恐らく後者はそこまで考えて喉カラッカラの状態で役所に行ったのだろう。最後のケフからそのことが伺える。


 お目通し頂いた方々も「後者の方が大変そうだな」という感覚を共有されたことだろう。完璧に共有しきったとして話を進める。

 上の例を上げるまでもなく、肉親の介護に当たる人間を「ケアラー」などと軽々しく名付けると「なんかそんな大変でもなさそうだな」「親の介護は仕方がないのでは」という意識が社会的に芽生えてしまう恐れがある。全ての原因はこの言葉の軽々しさにあるのだ。親しみやすさなどいらんのである。


 そもそもケアラーとか言うと、最低ランクの回復魔法をかけるだけしかできない白魔道士みたいではないか。


 ……いや、逆か。逆だな。


 あの15まで続いているゲームの回復呪文は「ケア」+ルということか。体言+ルの動詞化といえばサボる(サボタージュ+る)、パニクる(パニック+る)、パクる、事故る、などなど様々にありふれているが、全部カタカナにしたついでにアクセントを最初に持ってくることで再び名詞っぽくしているのか! 考えた人すごいな!

 普通の人なら初見で気づくことかもしれないが、いかんせん手前は愚か者なので30年以上経った今初めて気づいた。ハハハトロくさい。


 うろ覚えだが、最上級の回復魔法はケアに「ルガ」が付いていたはず。それには「ケアすルガ、ダメだったらゴメンね」という意味が隠されているのだろうか。



 話は冒頭の電話に戻る。相手はやたらケアラー連呼に走っていた。


「『一般社団法人日本ケアラー連盟』ってのがあるらしいよ。ケアラーの精神的なサポートをしてくれるとか」

「外野はなんとでも言える。それが公の組織なのかどうかも知らん。『日本サウナー愛好会』みたいなものでは。ケアラーなんて言葉使うから信用されないんだと思う。そうに違いない」

「そこに随分こだわるね。ケアラーは社会から孤立しやすいらしいからとかなんとか」

「社会からの孤立を恐れるなら、日記でも公開すればいいのでは」


 そう返せたらどれだけ楽か。絶対言えないけど。


「じゃあ、あんた書きなよ。ケアラー日記を」

「書いてる書いてる。ひまつぶしに読んでもらえたら嬉しいし、誰かの役に立つことがあるかもしれない」


 言えるわけがない。何回自爆へ誘導すれば気が済むんだこいつ。その後もケアラー日記を書け書けとしつこく要求してきた。


 ふと江戸時代の踏み絵の状況が頭に浮かんだ。隠れ介護ものであるおれの眼下には「かゐもの」と刻まれた木板が置かれている。もしそれを踏んだらコロビカヰコモノと成り果て、ケアラー連盟へ帰依することになる。きっとこの日記も「ケアラーエブリノート」とか「ケアラー・イン・ザ・ライ」とかそういったふざけた名称になるのだ。多分そうなのだ。


 自分が何と戦っているのか分からなくなってきたが、相手は一般社団法人日本ケアラー連盟のはず。とりあえず最大の敵として認定。ケアラーとは呼ばせない。

 旗色は悪い。かくなる上は最後の抵抗としてこの日記を「介護者ラストスタンディング」と名称変更し、ケアラー共と家族の追求から必死で逃れ、立てこもり続ける所存である。

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