早朝の緊急入院

朝6時40分のできごと

 母のてんかん発作がまた起きた。10月7日、時刻は朝6時40分。


 6時25分頃、食事の準備をしながら何気なく見ると、母はおだやかに寝ていた。普段は仰向きで寝ているのだが、その日に限って横向きでベッドのフレームをつかんでいる。今にして思えばそこがおかしいのだが、その時点でそれを異常と感じることはさすがに不可能だ。


 食事の準備が終わり、血糖値を測る道具一式とインスリン注射を食卓に並べている時、母の介護ベッドが小刻みに揺れていることに気づいた。柱の時計を見上げると6時40分。


 発作じゃないよな、と思い顔を軽く叩いて起こそうとするも、意識の回復はなし。119番に電話をしたのが46分。救急車の到着が49分。病院へ着いたのは7時5分。

 今年だけで5回目となるが、何度救急車に乗っても慣れない。心電図の音が心の硬くなった場所に響くのだ。その反響は居心地の悪い記憶に変化し、しばらくの日々、体内に残存する。


 早い時間でまだ良かった。通勤で道が混む前なのですんなりと到着。救急車が病院に着くまでの間、昨日怒鳴ってしまったことをずっと後悔していた。もしかしたらおれのせいでこうなったのかもしれない。


 救急室での処置を待っている間、メモに必要な事柄を書いて暇をつぶす。今回で言えば、明日及びに来週の介護タクシー、ケアマネ、訪問看護、ヘルパー、訪問入浴へ、いずれもキャンセルの電話を掛けなければならない。

 本来ならケアマネに連絡すればそこから各事業者に伝達してくれるのだが、急なキャンセルの申し訳無さから直接お詫びを言わないと気がすまない。


 家にいる兄にもやってほしいことがあった。父をデイサービスに送り出す際の持ち物チェックである。血糖値測る道具(この呼び方はいい加減どうにかならんか)の消耗品を2セット、注射、リハビリパンツ、着替え。

 いつも前日夜に用意しているが、必ずお迎えがくる直前で見直す。だいたい問題ないが、なんとなくこういう時はいやなことが重なる気がするのである。結果トラブルはなかったが、気にしすぎてダメということはない。


 処置室に呼ばれ、CTの写真を見せられる。前回から特に変化はないようだ。良くも、悪くもなっていない。ちょうど居合わせた主治医が言った。


「まだなんとも言えませんが、ご自宅で暮らすのは相当大変になると思いますよ」


 それは理解も覚悟もしている。母がどうしてもと言うので、こちらが色々無理しているのだ。

 なので今後も頑張る、としか言えない。入院をちょうどいい休みととらえればいいのだ。こんなところで強くなった己を確認するのもうら悲しい。


「最近変わったことはありましたか?」


 と聞かれたので、昨日大便をもらし、怒鳴ってしまったことを伝えた。もしかしたらそのショックで発作が起きてしまったのかもしれないと正直に告白すると


「いや、多分それは無いと思いますよ。絶対に無いとは言い切れませんが」


 と医学的見地にのっとった見解を返してくれたのだが。

 いや、そこは絶対に無いと強く言いきって! 医学的根拠はなくてもいいから、今はとりあえずおれの心も優しくいたわって!


 10時30分。病棟へ案内される。

 3時間30分で済んだよ! 前回は真夜中だったせいか4時間以上かかったけど、今回は30分短縮!

 エレベーターの前の待合フロアで待っていたところ、顔見知りの看護師さんが挨拶に来てくれた。自然に言葉が口をつく。


「ただいま」


 少しモテた。


 この時、空気を読まないことで有名なアップルウォッチ様がお震えになられた。兄からの着信だ。電話への着信を知らせるものだから電話を操作すればいいのだが、間違えてウォッチのボタンをプッシュ。

 途端に左手首から流れる長男の声。それに顔を近づけて応答する次男。ダサさ満開狂い咲き。

 ナイトライダーのデビッド・ハッセルホフが夜にやればかっこいいが、桑原家が昼間に披露するとダサさバリバリ全力全開のローIQショウタイム。マンガ的に表現するとしゃべる時の効果音は「ダサダサダサ」。ぺちゃくちゃとかコソコソではない。なお、内容は以下のようなどうでもいいものだった。


「おかーさんどんな感じか。まだ救急か」

「病棟へ移動。病状はまだなんとも」

「デイのお迎え完了。仕事行くがいいか」

「了解。家の鍵を忘れたのでポストへ」

「買い物なにかいるか」

「キャベツとたまねぎがない」


 書きたくないが書かざるを得ないほどのしびれるダサさ。

 だって想像してみてくださいよ。左手の腕輪に話しかけるって子供の頃は憧れたかもしれないけど、向こうの声が周囲に聴こえちゃってるうえ、それをおっさんがやらかしていて、ついでに生活臭に溢れていたらどれほどダサいか。更に大の大人が「おかーさん」とか言ってるし。

 しかもここ、外科病棟の待合フロアー。深刻な表情の人ばかりの中、おれも相当深刻な表情だったと思うんだけど、やれ鍵忘れたやれキャベツがないと左手首にダサダサダサと話しかけている様子はさながら山の中の精神病棟。サラミ味のダサい棒、痛快丸かじりボリボリ。


 おう、こんなことを書いている場合じゃなかった。午後に病院に持っていく薬を用意して、ボディソープ買って、とやることはまだまだある。準備をしなければ。


 あ、そうだ。忘れる前に一つだけ言っておきたい。もし町中で左腕にダサダサダサと話しかけているまぬけな人を見ても、指差して笑うのはやめてやってほしい! 自分でもそのダサさは分かっているはずだから! きっと操作する機械を間違えてしまっただけなのだから!!

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