カネや、カネ持ってこい

 一つ一つやることの全てにカネがかかる。ショートステイにしろ介護車両の導入にしろ、ほぼ必要がないアップルウォッチにしろ。


「カネは魔法や。こいつの前では誰もが言うこと聞くんや」


 と「花の慶次」の中であくどい商人がうっとりと話していたが、まあだいたい少年漫画でこういうことを言う奴は主人公にヒドくいわされる。こいつも例外ではない。確か足をちょん切られそうになっていたはずだ。


「花の慶次」の原作は隆慶一郎の「一夢庵風流記」である。これはもう何回も繰り返し読んだ。司馬遼太郎の「燃えよ剣」と並んで大好きな作品だが、誰も私の読書遍歴に興味などないので黙っておく。


 そうそう、スロープで車椅子を搭乗させる介護仕様シエンタの見積もりをお願いしているんです。いろいろ考えたらどうしても必要なものだから、高いけど仕方がないのだ。

「値段が理由」で購入を迷っているのなら買うべきだと思う。必要なものは遅かれ早かれ必要になる。カネは貯めようと思えば貯まるはずだ、多分。

 だが「理由が値段」で購入意欲を掻き立てられているのなら、それは特に必要がないものだ。この場合、前者はシエンタになり、後者はアップルウォッチになる。びっくりするほど当てはまっている。


 時計に関して言うと実はセイコーのそこそこ良いやつを持っており、なおさらアップルウォッチの必要性がない。要するになかなかの後悔をしているのだ。後悔しつつ、一日に5回くらいはアップルのサイトにログインし、発送まだかな、まだ上海だな、いつ日本に着くのかな、本当に家に着くのかなと恋する少女のようにやきもきしているのである。ムダ! 時間の! 人生の! ムダ!


 で、ムダというのとカネというのに結びつくのだけれど、卒塔婆って高すぎではないか。なんか意味のわからん漢字がダラダラと書かれているあの木の棒っ子。「無理やり日本語に落とし込んでいるから」という点は見逃すとしても、なぜ「ババア」という漢字を当てられたのか、いじめられてるんじゃないのかと相談に乗りたくなる、かわいそうなあの棒っ子。

 そもそも家を出たくても出れない現状、どうしてもどこかに出かける時には兄に家への滞在を依頼する必要がある。寺へ卒塔婆を取りに行き、墓に供えるだけのことを結果的に大の男二人で行う必要があるのかどうか。もし必要だとしてもその優先順位は相当に低い。耳掃除とか爪切り並みに低い。


 前から不思議に思っていたのだが、寺から「カネや、カネ持ってこい。卒塔婆様を売ってやるけんのう」と言われたら「はい」としか言ってはならんのか。永代供養とかできんものか。永代供養だとご先祖様への想いが〜とかどこかで言われた記憶も少しあるが、個人の想いを勝手に代弁するのはどうか。


 納得がいかない。

 先程の言葉に当てはめて言うのならば「値段以外の理由でも買いたくない」うえに「理由が値段」で買いたくないものを買うのは相当悩む。

 同じ条件にあてはまる住民税や年金は仕方がない。払わなければ花の慶次のあくどい商人ばりのヒドい目に遭うそうだし、払わないとやっぱり不安になる。脱税と脱獄は男の夢だが、少なくとも橋の下とかに隠れて住民税から逃げるのはおれが望んでいる夢と、ちと違う。ロマンなさすぎてかわいそう。


「故人に対する想いが足りない」と言われてしまえばそれまでなのだけれど、今両親の面倒を見ているという行為で差し引きしてもらってどうにかなりませんかね、親鸞聖人。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る