逆鱗をベッタベタと触られたらどうするか

 担当者会議の話の時に書いたが、遅れてきた訪問看護師が手っ取り早く情報を仕入れる為、非常に雑な行動をとった。


「患者のステージは?」


 といきなり先生に聞いたのだ。

 もちろんこちらも覚悟はしている。だが「ステージとか言わないでもらっていいですか」と先生にはお願いしていた。改めて確定されると心が折れる可能性があったからだ。

 先生は「もちろん聞きたくないという方にはお伝えしません。そういう方はたくさんいらっしゃいますよ。不安になるだけですしね」と承諾してくれた。


 だが訪問看護師が余りに雑な聞き方をしやがったせいか、もしかして先生は「私がいない所でステージの話はすることに決定したのだろう」と勘違いをなされたのかもしれない。

 先生が小声で「ステージIV、末期です」と答えたことは書いた。その時点でその訪問看護師を信頼するのは難しい。単純に仕事としか見ていないことがわかったからだ。


 先生の話が終わり、訪問看護師との契約の話になった。


「すみませんが急ぎます。なんとしても家で長く暮らしてもらいたいです。よろしくお願いします」


 と頭を下げたおれの言葉を途中で遮りながら、訪問看護師はノートをめくり出した。


「えーと、今週は……。ちょっと難しいですね」

「いつなら来れますか。夜でも構いませんが」

「私どもは18時までなので」


 そいつは笑いながらおれの提案を却下した。残業してくれとまでは言えないので引き下がるしかない。

 その後、急にうろ覚えになるが、確か病院の看護師さんが「他の訪問看護さん探しますか?」と提案してくれたのだったと思う。多分だけど、それくらい訪問看護師の雑な物言いが目立っていたのではなかろうか。

 結果、急に残業の覚悟を固めた訪問看護師は、おれと兄に


「28日の18時30分に伺います」


 と言った。これはおれと兄のメモが残っているので揺るぎない事実だ。

 気に食わないが訪問看護は必要である。素人では胸の音を聞いたり血中酸素濃度を測ったりといったメディカルチェックはできない。ついでにリハビリまで行ってくれるのだから、母にとって絶対必要な存在と言える。

 だが気に食わない。何よりも、雑にステージを聞き出したのは心情的に許せなかった。

 それでもなんとかうまくやっていこうと思っていたのである。

 28日の18時45分までは。


 28日、指定の時間を30分過ぎた19時になっても現れない。母にインスリンを打たなければならないので急ぎ食事の支度をし、3種類の食前薬と7種類の食後薬を用意。補助しながら食事を進めている最中に来るんだろうな、ああいうタイプの人種はと思っていた。


 だが食事が終わったけど来ない。終わっちゃったよ。おれも腹減ったしシャワー浴びたいのに来ない。多分忘れているのだろうな。どうしてくれようかと思案していたところ、19時25分、ドアベルが鳴った。ドアモニターの応答ボタンを押す。件の訪問看護師だ。


「はい?」

「訪問看護の○○○○です」

「はい?」

「契約に伺いました」

「はい?」


 同じ言葉を繰り返している時というのは、大概の人にとって激怒しているかラリっているかのサインである。

 ドアモニター越しに話すと、母に聞かれる恐れがある。玄関まで出向き、家に招き入れた。本当は表で説教しようかと思ったが、近所迷惑な上、蚊に刺されるのが嫌だったからだ。なんとなく詫びみたいなことを言われたので、なるべく穏やかな声で返す。


「2回の打ち合わせに2回遅れて来る人に、母の命を任せることができるのかどうか疑問です」

「すみません、前回の会議の遅れは私のミスです」

「今日、18時30分って言ってましたよね」

「いえ、18時30分から19時と申し上げました」

「それでも30分近く遅れて、連絡もなしですか。そんな人をあなたなら信用できますかね。兄と二人で聞いていて、二人とも18時30分と認識していることはどう思われますか」

「いやそれは」


 何か言い出したが途中で遮った。もう話を聞く気も義理もない。


「担当者会議の時から腹に据えかねてるんですが。おれらが先生にステージの話はしないでくださいってお願いしてたのに、なんで遅れてきたあんたが聞くんですか。遅れてきた分情報を手っ取り早く入手したかっただけかと思いますが、患者の家族はどうでもいいですか」


 やっと奴は顔を伏せた。あの雑な行為で患者の家族をどれだけ怒らせたか気づいたのかもしれない。もしくはそのふりか。


「ですので、あなたのところはお断りします。ついでに申し上げますと、このことを別に隠そうという気もありません。お忙しいところ残業していただいてありがとうございました」


 帰っていただきました。訪問看護師がそうしたように、おれも訪問看護師をなめなめのベロンベロンになめてなめてなめまくってやった。

 担当者会議の時から気に入らなかったのだ。こちらが「バルーンの付け方はおれも覚えといた方がいいですよね」と真面目に聞いているのに「いや、それは私たちプロの仕事なんで」とヘラヘラ笑いながら返しやがった。遅れてくるのがプロの仕事ですか。それなりの相手にはそれなりの対応をする。ましてや自分のことでなく母を任せるのだから、ふざけてる奴に診てもらうわけにはいかない。


 翌日、入院していた病院から電話があった。お詫びの電話だ。どちらかと言うとこちらがご迷惑おかけしてしまったので、おれが真っ先にすみませんと謝るべきなのだが、お詫びをしつつ段階的に説明するとしまいには絶句された。


 新しい訪問看護事務所を紹介していただけることとなり、来週また新たな契約を結ぶことになる。


 最後に退院担当の看護師さんから「週末、もしお母さんの具合が悪かったらすぐに電話ください。迎え入れの準備はできています」と言われ、正直、ちょっと涙ぐんだ。色んな人に助けてもらってるんだなと痛感すると同時に、この業界、敵も割といやがるなとまなじりを釣り上げている最中である。

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