煮込んだあとはまた煮込むのよ

 煮込み料理を作るのだけは得意と言っていいかもしれない可能性がわずかにないわけではない。なぜならば、カレーやシチューといった煮込み料理は、市販のルーにより味が決定されるからだ。まずく作れる理由がないと言っても良い。


 今、圧力鍋をヒュンヒュンヒヒュンヒュンと言わせながらこの日記を書いている。煮込んでいるのは牛すじと薄切りした玉ねぎ2個、にんにく、牛スネ肉。これらを20分間圧力かける。


 圧力をかけるというのは嫌な言葉だ。例えば特に意味もなく六畳一間に閉じ込められたとする。部屋の中は蒸し暑く薄暗いうえに、小虫がいっぱい飛んでいる。しかも目の前ではなぜかプーチン大統領が腕組みしてこちらを睨んでいる。20分間この圧力に耐えることができたら北方領土返してやると電光掲示板に表示されたとしたら、全文が表示される前に泣いて謝る。繰り返すが、圧力という言葉には嫌な響きがある。


 だがこと圧力鍋に関して言えば、圧力は長い時間かけてやった方がいい。食材の心情を気にせずにクタクタになるまで煮込んでやるのだ。


 手元には2種類のビーフシチューのルーがある。圧力時だけで水を900ml入れたので、2つのルーの説明を統合するとあと1200mlの水分を入れることができるのだが、ここには1リットルの牛乳をぶち込む。水よりも美味いというか、ごまかしがきくというか、そんな効果がある。あと、料理やってる感が出る。


 なぜこんな暑い時期に昼間からビーフシチューなんぞこさえているかというと、母の退院と父の刑期明けの準備である。

 久々に家で迎える最初の夕飯のことを「シャバ飯」と呼んでいる。ビーフシチューもしくは牛すじカレーは刑期明けの両親からも好評。ポイントとしては中井貴一の「サラメシー!」のように、勢いよく高めの声で言い切ることだろうか。何のポイントだ。


 余裕がある今のうちに作り冷凍しておけば、刑期明けがいつになろうが電子レンジで対応できる。これは心の余裕につながる。


 目下最大の問題は、量が多すぎることだ。牛すじが安かったので大量に買ったが、それに合わせて野菜も増えた、水分も増えた。雪だるま式に膨れ上がるというのはこんな感じか。料理が下手な人間はよくこういう事態に陥る。


 ビーフシチューやカレーといった味が強いものは、すぐに飽きる。二日目に同じものを出したらいくぶん箸の進みが遅くなり、三日目にはクレームがくることが予想される。


 冷凍庫にそんな余裕はない。母のシャバ飯であるアイスも買い込んでいるのだ。この暑さで部屋の中に置いておいたら2日はもたないだろう。

 これからどうにかして減らさなければならない。減らすには食べるしかない。2日連続、毎食ビーフシチューならそれなりの量を減らすことができるはずである。飽きる飽きないではない。減らすか減らさないかだ。3日目にはちょっと血が黒くなってるかもしれないが、突発的フードバトルとしてやれるとこまでやってみよう。けどやっぱり夏場に煮込み料理なんか作るものじゃないな!

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