面会謝絶

 神奈川県の平塚市で生活していて、2月27日まで「出た」という話は聞かなかった。

 ところが、28日になるやいなや母が入院している狂済病院は面会謝絶、東の大船駅で人が倒れ、北の厚木市にはプリンセスダイヤモンド号の乗客が戻ったらしい。


 武漢ウイルス、もしくはコロナウイルスが遂に牙を向いてきたのだ。

 北と東はアウト、南は海だからいいとして、西には小田原コロナワールドというパチンコ屋がある。お勤めの店員さんには申し訳ないが、笑える状況ではなくなってきた。妖精や傭兵や妖星といった面々がいるのではないか。よう気なせい格の客が咳とかゴホゴホしているのではないか。少なくともおれはそういう偏見を抱いている。


 国も不要不急の外出は避けろと言っていることだし、大人しく父親のケツでも拭いていようと思っていた朝10時、携帯電話に着信が。画面には


 狂済病院


 と表示されていた。


 どう考えても吉報ではない。病院から電話が来るというのは、絶対に良くないことへの導入である。ましてや面会謝絶を言い渡された直後だ。

 ため息をつきながら電話に出る。女性看護師は優しげな声で言った。


「あのな、先生から話があるから11時に来い」

「い、今は面会とかできないのでは。それにあと1時間しかありませんが」

「ガタガタ言わんとナースセンターに面を出せ。わかったな」

「や、やはり術後の状態がよくないのですか」

「先生がお話するって言ってんだろが」


 電話は切られた。吐き気がこみ上げる。2月に入ってから何度目かは覚えていないが、極度の緊張に襲われると戻してしまうことが増えた。

 仕事中の兄に戻ってきてもらい、父の世話を託す。


 病院の駐車場はガラガラだった。いつもは停める場所を探すのに苦労するほどの人気(?)を誇る総合病院の駐車場で、どこに停めようか真面目に考える。そんなどうでもいいことを考えているというのは、つまり現実から目を逸らしかけているということである。


 病院に足を踏み入れる前に、老門番がいた。土日は門番に書類を提出しないと入れてもらえないのだが、今は面会謝絶の状況下。門番は警棒を空いている手にパシパシと叩きつけながら言った。


「ここは通さねえ」


 先程から病院関係者のセリフが悪意に満ちているのは、おれがヘロヘロに弱っていたからそう感じたのであり、悪気はない。言うまでもないがもちろん実際には言っていない。真実を書くとこうなる。


「病院に入りたくば、わしの股をくぐれ」


 四つん這いになって病院に入った。


 待合室は照明が点いていたが、誰もいない。本当に誰もいない。「コロナウイルスの為、面会謝絶です」と赤文字で書かれたポスターが至るところに貼ってある。バイオハザードコロナ編の世界に入り込んだ、と勘違いするほどの寂寥感だ。荒廃していない分、かえって心細くなる。


 入院病棟に入り、エレベーターで上昇。その作動音が普段よりも遥かに大きく聴こえる。ナースセンターに顔を出したところ、ナースは優しい声で言った。


「お前みたいなもんは階段で上がってこい。床で正座して待ってろ」


 正座して5分ほど待っていると執刀医様がいらっしゃった。黒いカルテ帳で肩を叩きつつ、顎を診察室の方へとおしゃくりあそばされた。


 診察室内には、既に母とナースがいた。いよいよ覚悟を決める時がきたのだ。執刀医は重々しい声で言った。


「順調だ。炎症は予想の範囲内」


 え、とつぶやいておれはアホの権化、ローIQモードへと移行した。語彙が極端に減ると同時に全ての語尾が跳ね上がるこのモードに頻繁に突入すると、マジでヤバみがガチえぐい感じ。


「よ、呼ばれたのは?」

「術後一週間なので経過を報告する義務がある」

「マジヤバでない感じですか?」

「順調だ」


 執刀医は手を振って話を切り上げた。

 気が抜けた。安堵すると同時に空腹を覚えた。さきほど戻したからお腹ペコペコなのだ。車に戻り、エンジンをかける。薬局に寄って必要な物資や食料を買って帰ろう。


 薬局は、トイレットペーパーの奪い合いになっていた。感染の恐れがあるから集まるなと言われているのに、なんかすごいことになっている。

 コロナウイルスによる事態の収束、落とし所は見つかるのだろうか。なるべく早く見つかることを祈るしかない。そしてまた、この文章の落とし所も見つかることを祈るしかない。

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