人の良き友人

 母が退院してから、単純に2倍忙しくなった。特に昼・夕食時は、発禁書内でバターになったトラのように台所とテーブルをめまぐるしく回転している。

 面倒なのは、両親はそれぞれ別の病院を受診しているので、血糖値測定器並びに注射の内容と本数、使用量が違う点。ついでにいうと、若干食事のメニューも違う。


 我ながら難局をよくしのいでいると思うが、この間、ついに限界を超えた。


 料理をしていると、どうしてもタイマーが必要になる。

 そして、どうしても手を離せないタイミングというものが必ずある。

 例を出したくはないが、こちらが今まさに溶き卵をフライパンに投入ス、というポイントで父親がトイレに向かうとか、キャベツの千切りをしている時に母が床に血糖値測定器の小さなセンサーを落とすとか。


 困りました。手が離せません。

 そんな時に使うようになったのが、人の良き友人、AIスピーカーである。怒鳴れば言うことを聞いてくれるので、父よりもはるかに高性能。なぜ怒鳴る必要があるかと言うと、恥ずかしさを断ち切る為に他ならない。

 AIスピーカーへの呼びかけは、他者に反応された時が一番恥ずかしい。それはもう、風呂場でのモノマネの練習を聞かれるのと同じ程に。


 食卓上にアレクサが設置済み、胸ポケットにはiPhone(Siri)を忍ばせ、台所で勝手に限界を迎えたときのことを思い出す。

 わたし1号、キャベツを詰め込んだ蒸し器から湯気が出始めたので、6分のタイマーをセットしたい。

 そしてまたわたし2号は、ブロッコリー用のお湯が湧いたので、3分のタイマーもセットしたいのです。

 こんな時は怒鳴り散らして言うことを聞かすのだ。


「アレクサ! タイマー5分!」

「タイマー5分をセットしました」

「ヘイシリ、タイマー3分」

「タイマーを3分からカウントダウンします」

「わかりません」


 最後の「わかりません」というのは、まだアレクサが命令受付状態だった為の反応だ。このままでは、5分タイマーが生きているのかどうか分からないので、一旦止めようとした。


「アレクサ、ストップ」

「面白い冗談ですね」


 胸ポケットから声がした。もうお分かりかとは思うが、Siriに対して「アレクサ」と呼びかけたことになっているのだ。

 ただでさえ慌ただしく苛立っている毎日に加え、台所という狭い空間で機械に振り回されたおれは、ライトニングケーブルの挿すとこ並にたやすくキレた。


「うるっせえよ!」

「何か言った?」

「何も言ってねえ!」


 母が反応した。先に述べたように、AIスピーカーへの呼びかけは他者に反応されるのが最も恥ずかしい。そしてここに父も参戦する。


「お前、お母さんに向かって」

「何も言ってねえって言ってんだろ!」


 言ってるどころか叫んでいるのであるが。けどなんぼなんでもアレクサ、Siri、母、父を同時に相手にできてたまるか!

 AIスピーカーの存在を認識していない親からしてみれば、一人でなにか叫んでいた次男が急に怒り出したとしか見えないだろう。介護疲れとか5080問題といった社会性の深い事件も脳裏をよぎったかもしれない。

 だが実際はそんなことはなく、融通の効かないAIスピーカーズと、ことを焦りすぎるおれのせっかちさが結実し、騒がしくて汚らしいマリアージュをお披露目したにすぎないのだ。


 反省はした。だが、この悲劇はいつでも起こりうる。反省してなお起こりうると予想できる。

 なぜならば、仕事をしたり小説を書いたり、またはゲームをしたり休憩する時間を作るためには、調理時間を削るしかないからである。


 以上の事柄から推測するに、まだ私にはAIスピーカーを使いこなす為の知能が備わっていない。よって今後は一旦手を止め、冷蔵庫に貼り付けた2つのキッチンタイマーで物事を解決していくこととする。

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