太めの限界がきた

ああもう無理だわと感じることがある。たまにではなく、しばしば(オッフン)ある。

特に最近はコロナのためにデイサービスが無くなっているもので、日々のストレスは限界を越えた。越えたのである。


父が大音量でテレビを、母がそれに負けじとラジオを爆音で鳴らすリビングで、おれは頭を抱えて「もうこの家いやだ。頼むから出て行かせてくれ」と懇願した。


理由は多々あるが、まずひとつにテレビから流れてくる笑い声が苦手、というのがある。

もともとテレビなぞ必要なしと思っているのだが、最近のくだらない番組はずっと笑い声のサウンドエフェクトとテロップが流れているでしょう。あれを耳にすると舌打ちで反応してしまう。

芸能人様のお顔をお映しになさったおワイプ様の意味も理解ができない。芸能人様が笑っていらっしゃるのだから下々の国民どもも笑えと強制されている気がする。


それが朝から晩までずっと大音量で点いている。まずこれ、家を出ていかせてほしい理由の一つ目。だいたいビックカメラやケーズデンキといった量販店くらいだろう、一日中テレビつけっぱなしなのは。


食事は仕方がない。毎日毎食作るのは仕方がない。ただテレビとラジオの爆音響く中、必死こいてフライパン振るったりキャベツ切ったりしていると「おれ、使用人か」と悲しく感じるのも事実。

まあそれは仕方がないとしても、血糖値を測る時がもう一つの理由。

指から血を採るのだが、その時も父はテレビを見てるのね。腹にインスリン打つ時も、テレビ観てるのね。「血糖値測らせてやってる」「インスリン打たせてやってる」って態度なわけですよ。

対応としてテレビを消すんだけど、そうするとすげえキレるのね。それを真正面から受け止めると事件になってしまうから諦めるんだけど、ここまで下に見られて家にいてあげる必要はないかなあと。そもそも半身不随になって大変だっていうから大田区を引き上げて来たのに。



で、最後に一番泣きたくなったのがハンコの数。

以前から見て見ぬふりをしていたが、我が家はハンコが異様に多い。数えたところ、12個あった。いずれも別々の金融機関、証券会社に対応しているらしい。父は脳梗塞をやる前から「信用金庫のハンコがない」「銀行のがない」という状態だったのである。

冗談抜きでこれは本当に本当の話しなのだが、ハンコ押す必要がある書類は、ほとんど返却されている。どのハンコが正解か、誰にも分からないからだ。


そういうムダで愚かな行為がいやだったので、父の病院関連の引き落としはおれの口座から行うことにした。それが2年ほど前。


「これだけ引き落とされたからカネよこせ」


とスマホの画面を見せると、「通帳じゃなきゃ信用ならん」とか言う。そうすると外出しなくてはならないのだが、アンタその間トイレ行かないんですか、誰がケツ拭くと思ってんですかという負のスパイラルに陥る。

で、銀行行って記帳して、それ見せて、今度は父の口座から下ろして、またおれの口座に入れて、ということをしているとどうなるか。

時間がなくなるのである。忙殺とはよくいったもので、時間と思考能力が殺されるのである。


ただのグチだなあ。よくないなあ。スマホで入力しているからなんか変な文章になってる気もするけど、まあいい。なぜスマホかというと、病院で父の診察を待っているからだ。なんもできない。なーんもできないよこれじゃあ。

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