ロス・インゴベルナブレス

「制御不能な奴ら」という意味のスペイン語をなぜ知っているかというと、プロレスからの輸入である。

新日本プロレスにロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンのメンバーは5人いるが、うちにも一匹いる。父親である。


しばしば起きる現象に名をつけるとしたら、「家族見下し病」とでも言うのだろうか。こちらが言うことを一切合切無視し、してほしいことのみを顎で指示しやがるのだ。もちろんそんなふざけた要求はこちらも無視で返す。

無視というのは最も強い敵意表現であると思うので、正直手に余る。何にそんなに腹を立てているのか見当がつかないからだ。


デイサービスのスタッフさんに相談してみた。


「日曜日に二度吐いて以来、家族とは一言も口をきかないので、体調が悪いのかどうかもわかりません。体温は測れますが、なんとかなりませんか」


お迎えの車に乗せた後、そのような依頼をした。デイで吐かれでもしたら向こうにも迷惑がかかる。


数時間後、ケアマネージャーから電話がきた。相当強く注意してくれたようだ。

だが彼女はこちらが頭を抱えてしまうことも教えてくれた。


「お父様が、ほとんどの女性スタッフに声をかけているんです」

「はあ」

「『うちの次男の嫁に来ないか』っていう話を振ってます」

「はあ……?」

「そういう場ではないので、ちょっと困っているんですが……」

「すみません」


多分おれは相当赤面していたと思う。父の言う次男というのは、つまりおれのことである。


デイから戻ってきた父は上機嫌だった。彼の中でなにかしらのストレス発散があったのかもしれない。おれは右手に丸めた新聞紙を持ち、奴を見下ろした。


「デイからクレームがあった。迷惑なので嫁募集はやめろ」


こちらの話を聞かないのなら聞かすまで。言い終えるやおれは新聞紙を強く机に叩きつけた。


「わかったか? 分からねえなら痛い目にあわすが」

「お前はその年まで結婚もしないで、恥ずかしいと思わないのか。お父さんは恥ずかしい。みんな笑ってるぞ」


未だにこういう価値観の人間はいる。

いつぞやテレビかなんかで若かった女のタレントが「30歳までに結婚しない人間は何かが欠落しているとしか思えない」みたいなことを言っていたが、一方的な視点から『そいつらは欠陥品』と断罪する思慮の浅さ、語彙の貧しさ、共感性の無さ、弱者への攻撃性、自分を除いた多様性社会への偏見をむき出しにした姿勢に憧れすら覚えた。まあ一言でいうと「こんなバカ、電波に乗せちゃダメなやつだろ」なのだが。


話がそれた。まあ、父はそういうことを言い出したわけです。

で、今おれは二人の面倒を見ている。

父は脳梗塞からの半身不随、要介護3、6−0−0,4−4−4。

母は大腸がんからの脳腫瘍、いつてんかん起こすか分からない、介護申請中、0−0−8。それぞれの最後の数字はゲッツーの結果に見えるかもしれないが、毎食前のインスリン注射の量である。

洗濯掃除、食事から薬の仕分け、市役所への各種手続き、全身タオルで拭いて薬を塗る、病院へ運んで車椅子を押す、といったことをしながら一応仕事もしているなかなかの状況なのである。

これらのことを踏まえて、お前は何を言っているのか分かっているのか、と問うた。


「結婚もしない人間は家に居ないほうがいい。恥ずかしい」


むしろ「おれに恥をかかせやがって」みたいな感じで言い返されたので、思わず笑った。


「なら私は喜んで出ていきますが、ご自分のことはご自分でできますか?」

「お母さんにやらせる」

「母はお前よりも悪い状態ですが、やらせますか?」

「お前が結婚して面倒みれば済む話だ」

「私がもし結婚したら、夫婦でお前の面倒を見るということですか?」

「当たり前だろ! 子供が親の面倒みないでどうするんだ」


言っていることはメチャクチャで結論ぶれまくりなのだが、残念ながらこれは本当にあった会話……会話じゃないな。何しろ自分の思うどおりに行かないと気がすまないんだろうなあ。手を上げる前に入所させたほうがいいだろうなあ。

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