今後の方針を決める時

 5月30日、6月21日、そして7月23日。母が発作を起こして救急車を呼んだ日である。だいたい一月に一度、異変が起きていることになる。


 7月23日の23時15分、焦りを滲ませた兄の声で起こされた。


「母がまた発作を起こしているのでちょっと診てくれ」


 一階へ降りる前にトイレと着替えを済まし、意思の疎通ができないことを確認。119に電話をかけた。

「救急ですか、火災ですか」から始まるいつもの問答に引っかかることなく応え、救急車の手配は完了。家の外に出て救急車を先導する。なにしろ真夜中だ。誰かが目印にならねばならない。


 やがて救急車が到着。母の様子を診てさまざまな質問を受ける。いつからこの様子だ、持病はあるか、かかりつけの病院の診察券を用意しておけ、保険証はどこだ、などなど。全て準備済みである。この準備は、いざという時に役立つ。できればいざという時は来ないほうが良いが。


 救急車に乗ってバイタルチェックを受けている間、少しだけ母の意識が回復した。「大丈夫か!?」の問に頷いて応じたのだ。


 23時58分、病院に到着。取り急ぎのCTスキャンなどが行われ、緊急治療室に呼ばれるまでに1時間30分。ここで見知った顔の看護師から提案を投げられる。


「今後、どうしますか?」

「考えてはいます。ですが本人が嫌がっているので……。だけど一月に一度救急車を呼ぶのは……」


 今後というのは、退院後の身の振り方である。治療を終え、家に戻るかリハビリ病院か療養施設へ入ってもらうかの選択だ。

 本人が嫌がっている以上、家には戻すつもりでいる。だがすぐには無理だ。このペースで倒れられては同居人の精神がもたない。


 おれは心を固め、強い意志を目に宿しながら看護師に決意を話した。


「保留。家に帰ってから家族と相談します」


 看護師は失笑で応えた。

 傍らのベッドで寝転がる母は、何もない空間に手を伸ばし、懸命に何かをつかもうとしていた。


 その後、入院手続きとか終えて、家に着いたのが3時50分。くたくたである。もちろんそこから寝ておらず、そのままこの不定期日記を書いている。今なら使えるはずだ、「寝てないアピール」が。

 玄関を開け、うがい手洗い。居間には兄がいた。


「どうなってるんだ、放射線治療で良くなったんじゃないのか!?」


 お怒りはごもっともだが、おれに言われても困る。診察を受け、その都度最新の状況は共有しているのだ。

 いつもと同じ言葉をおれは伝えた。


「脳の腫瘍が壊死して一時的に膨れ上がっているのか、腫瘍が生きているのかはわからない」

「わからないというのはおかしいだろ」

「開頭手術を受けて腫瘍とその周辺を取り除いても、確実に後遺症が出る。薬で様子を見るしかできない」


 いつもと同じようなやりとりであるが、やはり兄は肩を落とした。長い溜息をつき、「そういえば」と話の矛先を替えた。


「岩男(父)がすげえ騒いでた。『なんで救急車を呼ぶんだ』『周りに恥を晒しているのがわからないのか』などなど」

「ほう」

「けど『お母さん、年内危ないかもしれない』って言ったら黙ってた」


 残念ながら事実だ。もちろん年内どうこうというのも父には伝えてある。それでいてその醜態。もはやただの足かせである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る