B面には肩の力の抜けた良曲がたまにある

 毎週月曜の朝9時、父の訪問看護が来る。父の面倒をあまり見たくない、というか顔を見たくないおれにとって重要な存在である。


 現場(リビングのこと)における実際の会話の様子はこんな感じだ。


「最近、お父様の様子はどうですか?」

「ご飯とか食べて、前日の新聞を再度読んでます」


 返答がわりの失笑。こちらとしてもわざと雑かつ幼稚に伝えているのでその反応は嬉しい。なぜ雑に伝えるかというと、色々諦めていますという態度の表現に他ならない。


「こやつ、トイレ以外は立ち上がることもしません」

「そうですか。認知症が加速しますね」

「言ってもやらないのでもういいや。母の方が大変なので……」

「そうですよね……。それでいいと思います」


 母が家にいる間、毎日来訪があった。ヘルパーが週5、訪問看護が週2、訪問入浴が週1。どう考えてもこちらの方がメインになる。週に一回の父の訪問看護はサブ扱いもサブ扱い、昔の言い方でいえばシングルレコードのB面みたいなものだ。

 父の訪問看護に非はないが、頻度の問題で「あ、そういえば月曜だった」と時を告げる使者のような扱いになってしまうのだ。具体的には父の訪問看護が来たら「あ、そういえば」と燃えるゴミを出すという条件反射が身についた。いくらなんでもひどくないか。


 それでもやっておかねばならないことがある。ひげ剃りならびに散髪、及びにスキンケア。面倒みてますよアピールというよりは、「なんだかんだ言って一応放棄はしてませんよアピール」に近い。これをやっておかないといざ警察、という時に、あらぬ疑いを抱かれることになる気がする。腕や足の内出血も含め、不利な材料には事欠かないのだ。


 先週、訪問看護に伺いを立てていたことがある。父の血糖値測定を減らせないかというその伺いの結果は、おそらく今日返ってくる。

 一日3回、食事前の血糖値測定がかなりやっかいになってきている。脳梗塞の為に左半身が動かない父の分だけならまだいいが、腫瘍が脳を圧迫し右半身にしびれを残す母の分までやるようになった。


 これ、実はなかなかめんどくさい。

 二人共かかっている病院が違うので、まず血糖値を測定する器具が違う。注射針と血糖値を記すノートは同じ。測定の回数、父は毎食前の3回、母は朝夕の2回。注射は父の朝2本、昼夜1本に対し、母は夕方の1本のみ。


 なかなかではない。めんどくさいにも程がある。これと同時に配膳も始めるので食事時の慌ただしさたるや。こういう時に限ってどうでもいいセールスが電話を寄越したりするのだ。


 B面、じゃなかった父の訪問看護がやって来た。さてその結果は……!?




 で終わらせるつもりだったが、引っ張るほどのものではないので書いておく。

 先生がつかまらなかったので23日まで結果持ち越し。がっくりである。


 昔のシングルレコードのB面が新曲ではなく、A面のカラオケとかたいして変わらないリミックスだった時と同じくらいのがっくり度。特にカラオケはどうしろと。部屋で歌えと。耳コピーしろと。そう言われるか。


 まあ、まだ母の退院も目処がつかないので、それまでは惰性で続けていくことにしよう。


 とまたここで逆転、逆転勝訴!

 父の病院から電話があり、「朝1回の測定で問題なし」との報告が来た! これで楽になるぞ! 欲を言えば夜1回だけとかの方が良かったけど、まあよし!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る