12月8日 おとそして

 最近、母が何を言っているのかほぼ分からなくなってきた。朝食後におれの手を握りながら


「おとそして」


 とずっと呟いているのだが、なんのことだか見当がつかない。


 12月8日、火曜日。晴れ。


 思いつくことの片っ端から確認してみる。


「お外に行きたい?」

「違う」

「うんこの確認?」

「違う」

「お寿司食べたい?」

「違う、おてをして」


 言葉が変化した。理解する前に言葉がほどかれ移ろっていく様は、東海道新幹線のぞみの車窓から過ぎ去っていく静岡県の各駅に似た侘しさがある。


 あれだけ連呼していた「おとそして」が何なのか非常に気になる。こちらの手を強く握りながら、意思を感じさせる目で呟いていたので全く無意味な言葉ではないのではないか。


 謎解きに挑戦してみたい。実はミステリーはそこそこ読んでいた。その経験を活かすのは今を置いて他にない。


 まずはどこで区切るかである。「おとそ+して」なのか「おと+そ+して」なのか。それとも「音、そして」と急に叙情的な表現を始めたか。

 さっぱり分からない。全然分からん。とりつく島もないとはまさにこのこと。先ほどミステリーを読んでいたと言ったが、推理が得意だとはひとことも言っていない。

 おれのミステリーの読み方は、誰か殺害されたらそうか死んだかと頷き、トリック解明の部分においてはへーそうなんだとぼんやりイメージし、犯人がわかったあかつきにはそうか殺したかと全て納得して疑問すら挟まず読み進めるストロングスタイル。

 考えないのでどこでも同じペースでページをめくることができる。殺害に至るまでの心情も漏れなく説明されるので何も考えずにスルスル読める。たのしい。何より本棚にミステリーがあるとなんか頭良さそうな感じがする。愚者特有の発想であるが真面目にそう信じていたので色々読んだ。結果、何一つ身についていない。


 思考を切り替えた。念仏のような「おとそして」をこちらも分かる言葉で置き換えるのだ。

 傾眠状態にある母の手を握り、「お水飲みなさい」と小さい声で何度も繰り返した。すると母は目を開き、「お水飲みなさい」とオウムのように繰り返し始めた。成功である。たぶんおれは今絶対にやってはいけないことをやっている。


 水を飲みたくなったと思われるのでベッドの角度を上げ、吸飲みの先を口に当ててやる。口を開けないので「はい、口あーん」と口を開かせる。今度は口が開きっぱなし。「はい閉じて」と言っても閉じてくれない。ここで水を流し込んだら吸飲みの意味なし。というよりこれほど危険な水の飲ませ方もないだろう。


 なんとか口を閉じさせたら、飲み込みのチェック。これが割りと重要で、口に含んだ水分をしばらく溜めておくことがある。その状態でベッドを倒したら非常に良くない。きちんと飲み込んだのを確認してからベッドを倒す。


 再び眠るかと思いきや、母はまたおれの手を握ってこう言った。


「おとそして」


 どうすれば。まあ最近はおれのことも分からなくなってきたし、この状態が続いていくのだろう。いちいち気にしても仕方がない。

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