どんなに小さくても一つはあったほうがいい

 朝8時30分、兄が2つ隣の市のT病院へ出発した。もう一度放射線治療を行うことができるかどうかの判断をしてもらうのだ。持ち物は病院からの紹介状とCT写真のCD-ROM。

 当たり前の話だが、こちらとしてはなにはともあれ治療してほしい。だが医者ができないと言えばできない。


 今、11時。兄から電話があった。結論から言うと、今の段階での放射線治療はできない。なぜかと問うと


「まだ脳が腫れているので、放射線治療によるダメージの方が不安」


 とのこと。

 望みは絶たれた……わけではない。


「現段階ではなにしろ様子を見るしかない。まだ腫瘍が生きていると決まったわけではない。それに、開頭手術という方法も最後に残っている」


 しかしそれはデメリットが大きすぎると昨日の医者は言っていたが。寝たきりや言語障害が予想できるとも。


「それはあくまで最悪の場合……らしい。お前も知ってるだろうけど、医者は良いことは言わない人が多い」


 理由はわかるが、特に今母が入院している病院はその傾向が強いように感じられる。20年前にくも膜下出血で運び込まれた時も「生存の可能性は五分五分です」と言っていた。3年ほど前に父が脳梗塞で倒れた時もなんか良くないことを言われたらしい。理由はわかる。


 いかんせん、脳の中のものである。おれのような素人には手術の成功確率がどれくらいなのか、本当に腫瘍を摘出できるのかもどうかも見当がつかない。

 こういう場合はネットから距離を置くことにしている。理解できないことは知らなくてもいいことなのだ。ただでさえ小さい我が脳みその容量がパンパンになっているのに無理して不安を詰め込む必要はないし、上辺の知識で医者に物を申すほど浅ましいことはないと思う。


 兄との会話を終え、軽い掃除をする。少しでも体を動かしていた方が不安は紛れる。


 母が入院しているうちに、冷凍庫がスカスカになった。母の大好物であるアイスを買っておく必要がないからだ。

 そんな小ざっぱりとした冷凍庫の霜を落としていたところ、母から電話があった。一応携帯電話を持たせているのだ。もしかしたら看護師さんが電話をかけるのを手伝ってくれたのかもしれない。

 つっかえつっかえながら、母は話しだした。


「いつ頃ここ退院するのかな? リハビリ病院はいつ行くんだっけ?」


 まだ何も決まってない。いずれはきちんと説明しておかなくてはならないのだが、今はまだ何も話せることがない。

 ただ、転院を考えているということは、その次の帰宅も視野に入れているということ。こういう前向きさは必要、絶対に必要である。どんな小さな希望でも胸に一つは持っていたほうがいいのだ。後押しの意味でおれは伝えた。


「アイスが安かったから、たくさん買っておいた」

「ああ、どこだっけ。名前が出てこないや。あの安いスーパーで買ったの?」

「うん。たくさんあるから、食べてくれないと困る」

「それは嬉しいねえ」

「なるべく早く帰って来ないとね。暑いうちの方がアイスは美味いから」


 自分の言葉の軽さに、少しだけ後ろめたくなった。冷凍庫の扉を開き、もう一度中を確認する。アイスは無いが、冷凍されたアンパンが隅っこに転がっていた。

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