12月21日 目覚めよ我が第二人格・痰取忍

 終末期鎮静という言葉を知った。

 末期癌患者に対するケアの一つで、亡くなるおよそ一週間前に様々な治療を試しても効果が見られない時に行うそうだ。鎮静剤を打って痛みを無くし、睡眠状態にさせる。安楽死と呼ばれるものとは違うらしい。そこらへんの違いはわからないし、調べる気はない。


 12月21日、月曜日。晴れ。睡眠時間が短いんじゃ。


 朝9時、父の訪問看護師が来た。古くから付き合いのある人で、母のことも良く知っている。その人がおれを廊下に連れ出し


「お母さん、どんな感じって先生に言われた?」


 と聞いてきた。正直に「次の発作が起きたらまず助からないと言われています」と答えると、


「年内は難しいかもしれない。心の準備をしていた方がいいよ」


 と励ましてくれた。とはいえもう心の準備はできているのである。問題は母が亡くなるタイミングによって父のショートステイがどうなるのかということ。それが無くなるととても嫌なんです! 一月父の介護を続けるのは嫌なんです! いやだ〜!


 母の手を握りながら調べたことがある。看護師さんたちが良く口にする「身の置き場のない痛み」という単語だ。何回聞いても連想が難しい。

 末期癌患者特有の絶望的な痛みらしいのだが、医療従事者兼末期癌患者が痛い痛いと連呼しながら「こ、この痛みを身の置き場のない痛みと呼称しよう」と発案したのだろうか。もしその遠回しな痛みの表現がドンピシャだとしたら絶妙としか言いようがない。


 で、続けて調べているうちに「終末期鎮静」という言葉に当たったのである。絶望的とも言われる身の置き所のない痛みを感じず、眠るように穏やかに衰弱していく方法だ。

 毎晩のように母はうめき声を漏らす。あれを聞くと居た堪れない。


 ただその前に、痰はしっかりと取ってあげないとならない。身の置き所のない痛みに関してはピンと来ないが、呼吸が苦しいというのは簡単に理解できる。

 寝不足でこちらも辛いが、やはり母の方が辛いに決まっている。おれができることとしては、心に眠りし第二人格の金髪女子プロレスラー「たんどりしのぶ」か、スパイスの効いた第三人格「タンドリーチキン」にこの体を乗っ取ってもらい、寝る間を惜しんで痰を摘出し続けるだけなのである。

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