整理しつつ
母の遺品を整理していると、左腕のアップルウォッチ様がお震えになられあそばした。
「その調子です!」
何回目だ、このくだり。
12月24日、木曜日。ああ、クリスマスイブか。すっかり忘れていた。
大切なものだけ残しておこうと整理をしている。皿や服類は捨てられる時に一気に捨てないと難しい。ごみ収集のタイミングもあるし、毎日やる必要はない。なんていうかやる気という戦力の逐次投入がいかにダメなものかがわかる。
そもそもやる気は出ない。「要らないものを整理する」だけなので生産的な作業ではない。心身にスペースを作る為に必要な撤退しつつの攻撃。
昨日の昼、母が一足先に家を出た。エンバーミング、いわゆる死化粧を施してもらう為だ。気持ちは切り替えてある。悲しみはない。
その直前、一年近く良くがんばったねと顔を撫でていたところ、ドアホンが鳴った。ご近所さんが来てくれたのだ。
考えてみれば母は、周囲と仲良くすることを重要視していた。そこにまつわる感動的なエピソードなどは特にないのだが、強いていうのであれば14年前の話をしたい。
夜中に騒ぎ立てる迷惑な学生が隣に住んでいた。その時おれは横浜に住んでいて、たまたま帰省した時に現場にかち合ったのである。思わず母に聞いた。
「サルでも飼ってんのか。あの家は」
「我慢しなさい。色々事情があるんだから」
どうやら毎晩ド派手に騒ぎ立てているようだ。我慢など一切せず、相手の騒ぎに対応して夜中の3時に敵の家のドアホンを連打。ついでに近所迷惑を前提とした大声で「出てこい佐々岡(仮名)。ぶっ壊されてえか佐々岡(仮名)。コラ佐々岡(仮名)」と連呼。
その明け方、佐々岡(仮名)のお母さんが青い顔して謝りに来た。対応したおれは怒り心頭、本人が土下座に来ないなど許されるはずがない。
「本人を連れてきなさい。殴りゃしねえから。なんでお母さんが謝りに来るんだよ。騒いでるのアンタ?」
「いえ……」
「ならサルが騒いでんの? なんでうちが我慢してやらなきゃいけねえの? そんなにお前らは偉いの?」
といきり立つおれを止めたのが母だった。なぜ止める、こいつん家にこんだけ迷惑かけられて、なぜ文句を言わないのだと食ってかかると
「そのうちわかってくれるから」
と言っていた。
「いや、わからないよ。こいつら(佐々岡『仮名』)は常識ないから。なあ、そうだよなお前。だって我が家は今までずっと我慢してたんでしょう」
「まあそうだけど」
「で、こいつらはわかってくれましたか。少しでも地域に溶け込もうとしましたか」
手を振って迷惑極まりない佐々岡(仮名)のお母さんを「帰れ。次はねえぞ」と追い出した。
以後、佐々岡(仮名)の家は静かになったというだけの話なのだが、おれ最初に言ったよね、感動的なエピソードは特にないって。本当に何もないとは皆さん思ってなかったかもしれないけど、最初に言っておいたから。
それでも「こんなにも母は周囲に気を使う人間だったんですよ」という話にまとめるつもりではいた。無理ですな。
母の遺体を積んだ車を見送りながら考えてみた。
これで母の面倒を見てくれた業者さん達からの連絡は来ないことになる。つまりおれの携帯が私用以外で鳴ることは無くなったのだ。
なら、もう確実に着信を知らせてくるアップルウォッチは必要ないのではないか。整理してもいいモノではないのか。今まさに
「まだ時間はありますよ」
と運動を無理強いしてくる左腕のウォッチ様を見ながら、真面目に考えている。
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