薬効が切れると

 ここ数日、洗濯物を干す時以外に外に出ていない。外と言ってもベランダが外にカウントされるかは人による。おれはもうベランダですら外という認識でいる。座敷わらしの方がまだ自由度が高いのではないだろうか。

 何しろ、リビングで母の様子を見るだけの毎日だ。どうにかして鬱屈しないでいる方法を探すしかない。

 方法の一つはこの日記である。ここでものごとをぶちまけ、頭の中を整理する。赤の他人と話すこともほぼないので、言葉が出てこないことが増えた。書くのもまた同じで、手癖で書くから使う言葉が少なくなってくる。その確認の意味もあって日記を続けている。


 応援ボタンを押してくださる方もいる。それどころかたまにコメントを頂く時もある。感謝してもしきれない。ついでに言うと時たまPVがすごく伸びる日がある。何しろ自分の精神の安定の為だけに書いているものなので、こちらは「お見苦しいものをお見せして誠にすみません」という気持ちでいる。ならノートの端っこにでも書いておけという話になるが、それはまた違う恐ろしい問題への対策でもある。


 その恐ろしさが何かというと、孤独である。日中介護夜介護、曜日感覚なし、ベランダを除く外出は週にゼロ、月で数えれば通院があるので1から2回。余裕がないのでカープが負けている時はテレビから顔を背け、音が聴こえないと怖いのでラジオも消している。ただただ不気味な静寂の中に身を置いていると世の中からの隔離を強く感じることがある。錯覚ではなく実際にそうなのだろう。


 ともすれば世の中に必要ないたわごとを読んでもらえるというのは、本当に心の支えになる。「もう少し頑張ってみよう」という気になる。さらに、きちんと介護の情報を提供することができれば、読んでもらった方への間接的な恩返しになるかもしれない。「そういえばあのバカ、救急車の準備する時に用意しておくものとか書いてたな」と万が一にでもなってもらえれば、読者の方とおれの関係は、決して孤独とは呼べないものになるはずだ。

 この一方的な思い上がりによる善意の押し売りが、この日記を続ける理由の一つでもある。


 すごく疲れていて若干リリカルな内容になってしまっているが、本番はまだこれから。9月9日には父が退所してくる。もしその日を境にこの日記がアップされなくなったら、「なんかあったんだな」と心の中で線香を上げてもらえれば幸いである。


 この疲れがどこから来ているかというと、昨日の19時の夕食時から来ている。

 母がフォークを握れなくなったのだ。手を開くように促しても、言葉が理解できていないようでポカンとしている。口に入れたものも上手く咀嚼できずにこぼれ出した。目の焦点も合っていない。てんかんの前兆かと疑い、緊張で口が渇いた。

 疲れた、寝たいと急に言い出したので、食事を切り上げて薬を飲ませる。歯を磨かせていると、「テーブルはどこにありますか」とはっきりしたうわ言を口にした。


「テーブルって何」


 背筋に冷たいものを感じながらおれは聞いた。30分前まで特に異常はなかったが、もうどうにもできない状態にまで来ている。


「テーブルを拭かなければなりません」


 と母は言った。恐らくおれのことを息子ではなく、病院の看護師か誰かと思い込んでいる。


「テーブルなんてここにはないよ」

「テーブルを。テーブルを」


 テーブルをと連呼させたままトイレをなんとかして終わらせ、ベッドに横たわらせる。様子を見ながら救急車を呼ぶ準備を進めた。保険証、お薬手帳、診察券。外履きとスリッパの確認。これで発作が起きたらすぐに救急車を呼ぶことができる。できることはそれしかないのだ。


 30分ほど様子を見ていると、母が「起きる」と言い出した。意識ははっきりしているようだ。手の開閉も問題ない。食事を切り上げた時に飲んだ薬が効いてきたのだろうか。


 とりあえず車椅子に座らせ、会話をしてみる。あなたの名前は。生年月日は。今話しているのは誰ですか。今日は何日で今何時ですか。全てクリアーしたので問題ないようだ。やっぱり薬のおかげだ。


 母の願いに従い、家での夕食は19時に設定した。だが病院では18時。一時間の差で薬の効果が如実に現れたのだ。これはとても大事な点であり、また病院で決まった時間に食事を提供する理由もわかった。


 ホッとしたと同時にものすごい疲れが全身を襲った。しかし夜の見回りは続けなければならない。なんとか乗り切ろう。がんばるしかないのだ。

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