第142話 夢の為

「おおぅ……」


 思わずうなってしまった。そのくらい大きな倉庫だ。と、ライエは俺のそでをグイグイ引っ張る。


「ねぇコウ、本当ほんとにここ? ここで合ってる? 何かすごい大きいんだけど……」


「いや、そう言われても……俺も初めて来たし……」


 南のセグメトで療養していた俺は、ようやく長距離の移動にも耐えられるくらいに体力が回復した。一足先にアルマドへ向け出発したデームとユーノルに遅れる事十日、俺達はとうとうセグメトを出発し、アルマドへ向かう途中にあるここ、ミラネル王国の王都ミラネリッテに立ち寄っていた。


「ここで合ってんだろうよ。デケぇ看板もあるしよ」


 そう言いながらブロスは倉庫を指差す。倉庫の大きな扉、そしてその上に掲げられているこれまた大きな看板にはロイ商会の文字がある。そう、ここは俺がイゼロンに行く途中に知り合ったユージス・ロイが会頭を務めるロイ商会の前……のはずだ。

 なぜ、はずだ、などと曖昧あいまいな言い方なのか。どうやらここは確かにロイ商会のようだ。しかし俺の知っているロイ商会ではない。俺の知っているロイ商会とは場所も倉庫の大きさも全然違うのだ。


 ミラネリッテに着いてすぐ、過去の記憶を頼りにロイ商会を訪れた。小さな倉庫がひしめく倉庫街、その一画だ。しかしそこにはロイ商会ではなく違う商会が入っていた。話を聞いてみるとロイ商会は半年程前に引っ越したとの事。そこでその辺を歩いていた巡回中の衛兵を捕まえ、今のロイ商会の場所を聞いてここに辿り着いたのだ。そうした所、目に飛び込んできたのはこの大きな倉庫。そしてその大きさに思わずうなってしまった、という訳だ。


「ねぇ、ロイ商会ってこんな大きな商会なの? 聞いてた話と違うんだけど? ねぇ大丈夫? 本当ほんと本当ほんとにここなの?」


 再び俺のそでを引っ張りながら、そわそわと落ち着かない様子のライエ。その横にはガッチガチに緊張した面持おももちのベクセールの姿。まぁ気持ちは分かるが……


「取り敢えず行ってみよう、ここで眺めててもなんだし……」


 一歩踏み出そうとする俺の袖をまたまたググイ、と引っ張るライエ。


「い、行くの!? もう!? まだ……まだ待って、心の準備が……」


 すると今までのやり取りを静かに見ていたブロスは「っだぁぁぁ~!」といきなり声を上げる。


「何をごちゃごちゃ言ってやがる! さっさと行くぞ! 大体何をそんな緊張する事があんだよ!」


 イライラしながら怒鳴るブロス。どうやらずっとドギマギしているライエの様子が我慢出来なかったようだ。しかし負けじとライエも怒鳴り返す。


「あたし達みたいな貧乏人はお金持ちに緊張すんの! さして裕福でもない家に生まれて、しかも戦争難民であちこち回って苦労して……だからこういうシチュ・・・は経験少ないの! あんたみたいなお坊ちゃんにはあたし達の気持ちなんて分かんないでしょ!!」



 ……ん?



「え……なに? ブロス……いいとこの子なの? お坊ちゃんなの?」


「な……なに言ってやがる!? 全然そんな……」


「おっきいお家で、おっきい庭があって、執事もメイドさんも何人もいて、美味しいもの一杯食べれて、かわいい妹にお兄様、とか言われて!」



 ん? んん?



「え? え?? なになに? ひょっとして、ブロス……貴族!? お貴族様なの? お兄様なの!?」


「だ、だからちげ~よ!! ライエてめぇその辺に……」


「定期的にパーティーとか開いて社交界でも名をせて、逆玉狙う女の子達にチヤホヤされて、街を歩けばブロス様ぁ! って街の人達に笑顔で手を振られてぇ!」



 お? おおお?



「え? え?? え??? なになになに? 踊っちゃうの!? パーティーで踊っちゃうの? 女の子エスコートとかしちゃうの? え? え?? ブロスって……ブロス様なの!?」


「だ、だから……だからそういうんじゃ……」


「そんなブロスにぃぃ! あたし達の気持ちなんかぁぁ……!」


「わ~かったぁ!! 分かった、分かったライエ! 悪かった! 俺が悪かったぁ!」


「そんな……謝罪なんてもったいないデス。あたし達下々しもじもの者達の気持ちを少しでも汲んで頂いて感激デス」


「だから悪かったっての!!」



 衝撃。



 何だこれ……まさかのブロスぼんぼん適正。とてつもなく面白いけど、知っちゃいけない事を知ってしまったような……いや、とんでもなく面白いけど……


「こほん。では……参りましょうか、ブロス


「んな!? てめぇクソ魔ぁ……!」


 これはしばらく遊べそうだ。フフフ……



 ◇◇◇



 大きな倉庫の前を横切り、併設へいせつされている事務所と思われる建物へ向かう。相変わらずそわそわキョロキョロしているライエ。ベクセールに至っては手と足が一緒に動いている。


 トントン、と扉をノックしゆっくりと開く。すると正面には受付があり、キレイなお姉さんがニッコリ微笑んでいる。


「いらっしゃいませ、お客様。本日はどの様なご用件でしょうか?」


「あ~、はい。ユージスさんはいらっしゃいますか?」


「はい、ユージスですか? 失礼ですがお客様は……?」


「コウ・サエグサと言います。少し前にゾーダという人から書簡が届いているかと……」


「ゾーダ……様……あ~、はい! 確かに、ユージスから聞いております。どうぞこちらにお掛けになってお待ち下さい。只今ただいまユージスを呼んでまいります」


 受付のお姉さんは俺達に扉の横にある応接用のソファーに座るよう案内すると、奥の部屋へ消えていった。そしてしばしの沈黙。そわそわのライエにガチガチのベクセール、ブロスは何か話したらまたからかわれると思っているのか、口を真一文字に結んだまま腕を組み下を向いている。


 さて、なぜ真っ直ぐアルマドへ行かずミラネリッテのロイ商会を訪れたのか。セグメトを出発するその日、ゾーダからくれぐれもよろしく頼む、と言われていた事がある。それはライエの弟、ベクセールの事だ。

 南は依然テグザの勢力下にあり、とてもじゃないが安全とは言えない。さらに意図したものではなかったにしても、あれだけの騒ぎを起こしてしまったからには、再び学園に戻るというのは難しいだろう。つまりそう考えると、今回の一件で一番割りを食ったのはベクセールという事になる。俺がベッドの上で意識を失っている間、そんなベクセールを不憫ふびんに思ったゾーダは彼の為に少々骨を折っていたのだ。

 エクスウェルの追手から逃げる際にゾーダはユージスの荷馬車にかくまってもらっていた。ゾーダはベクセールを連れてセグメトへ帰還すると、その縁を頼りに諜報部の協力のもとユージス宛に書簡を送っていた。そしてユージスからの返答を受け、アルマドへ出発する俺達にベクセールを同行させたのだ。





「コウさん!」


 ガチャ、と奥の扉が開くのと同時に懐かしい声が聞こえてきた。


「ユージスさん、久しぶりです!」


 立ち上がる俺の側まで来るとユージスはガシッと俺の肩を抱いた。


「心配していたんですよ。ゾーダさんからの書簡にはコウさんの事も書いてあったので……大変でしたね。でも、無事で何よりです」


 そうか。ゾーダは俺の事も書いてくれていたのか。それは心配させてしまったな。


「はい大丈夫です、あの程度じゃ死にませんよ。それよりユージスさんこそ凄いじゃないですか、こんな大きな倉庫に引っ越しなんて」


「お陰さまで順調です。一年程前から北西方面との大口の取引が始まりまして、人も結構雇ったんですよ。で、前の倉庫じゃ手狭になってきたものですから、ちょっと大きいかな、って感じなんですが思いきってここに引っ越したんです」


「なるほど。それであの……リアンさんは?」


 そう、ずっと気になっていたのだがロイ商会で事務を担当していたリアンさんの姿が見えないのだ。もしや辞めちゃったとか? するとユージスは何やら照れ臭そうに話し出す。


「いや~、リアンはですねぇ……今は自宅で静養というか、安静にしてるというか……」


「え!? 安静にって……病気でもしてるんですか?」


 するとユージスはさらに照れ臭そうに答える。


「いえ、あの~……出来たんですね……子供が……」


「え? 子供って……ひょっとしてユージスさんの!?」


「はい、あの~……そうなんです」


「うお~! おめでとうございます!! ていうか結婚されたんですね!?」


「はい、ありがとうございます! 実はコウさんがイゼロンへ旅立ってすぐにプロポーズしまして……コウさんにもお伝えしようと思ったんですが、修行で大変でしょうからお伝えするタイミングを計ろうかと……」


 終始照れっ照れのユージス。商売も順調で家族も増える、実に幸せそうだ。そんなユージスの顔を見ていたらふと思った。この世界に来てこんな良いニュースを聞いたのは初めてではないかと。思えばずっと斬った張ったの殺伐とした日々。毎日多くの血が流れているこんな危険な世界にだって、当然人々の日常、人々の幸せはあるのだと痛感した。そして少し心が温かくなったような感じがした。


「っと……フフ……」と静かに笑い出すユージス。


「積もる話はありますが、先に本題を片付けちゃいましょうか。さすがにこのまま放っておくのは可哀想ですし」


 ユージスの視線の先にはガッチガチのベクセール。ユージスは微笑みながらベクセールに問い掛ける。


「君がベクセール君ですね?」


 ビクッとしながら、そして相変わらずガチガチのままベクセールは答える。


「は、はい! ベクセールです!」

「姉のライエです!」


 どういう訳かライエも答える。「てめぇは要らねぇだろ」と突っ込むブロスだったが、二人にはそんなブロスの声は聞こえていない。


「はい、ベクセール君にライエさん。改めまして、私はロイ商会の会頭を務めておりますユージス・ロイです。よろしくお願いします」


「はい! よろしく……」

「よろしくお願いします!!」


 ベクセールに被せるように元気良く挨拶するライエ。「だからてめぇは要らねぇって」と突っ込むブロスの声はやはり二人には聞こえていない。


「ゾーダさんからの書簡を読みました。ベクセール君、大変でしたね。学園にも戻れないとか……」


「はい。俺……いえ、僕よりも姉の方が大変な状況だったようですし、僕は全然大丈夫です」


「うん、そうですか。ベクセール君、君は優しいですね。実にお姉さん思いです。優しさというのは商人にとって重要な要素です。商売とは単なる金儲けではありません。良い商品を欲しいと思う人に適正な価格で届ける。するとその人は笑顔になる。商売とは人を笑顔にする事なんです。人に喜んでもらう為に努力する、その行為の根底には必ず優しさがあるのです。優しさは良い商人の条件の一つ。そしてベクセール君、君はその条件を満たしている。どうでしょう、私の商会で働いてみませんか?」


 ニッコリと微笑むユージス。固かったベクセールの表情はパァッと明るくなった。


「はい! ぜひお願い……」

「おおお、お願いします! ありがとうございます!!」


 またまたベクセールをさえぎり大声で答えるライエ。「てめぇが働くのかよ」と突っ込むブロスの声は……聞こえていないだろう。まぁライエの気持ちは良く分かる。そりゃあ心配だったろうし、自分のせいでベクセールが……という後ろめたさもあっただろう。そしてベクセール本人同様、いや、ひょっとしたら彼以上に嬉しかったのかも知れない。たった二人きりの家族なのだから。


 ゾーダに頼まれミラネリッテに立ち寄った理由。それはベクセールの夢を叶える為。商人になりたいというベクセールを、ユージスはこころよく受け入れてくれたのだ。

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