第162話 悪役の流儀

 これはあとになって気付いた事だ。このいくさが終わり少しって、そう言えば……と思い返してみて気付いた事だ。何に気付いたのかというと、それはあの日の俺は随分と好戦的だったのではないか、という事だ。そう、間違いなくいつもより好戦的だった。好戦的で挑発的で挑戦的だった。場の雰囲気に酔ってしまったからではないか、と推測する。


 開戦直前、リザーブル軍の白で統一された装備があまりに綺麗で、行軍の際の立ち振舞いがあまりに見事で、更にアルマドの軍勢のがらの悪さもあいまって、こちらが攻められているにもかかわわらず、あれ? 向こうが正義でこっちが悪? などと変な錯覚を覚えてしまった。


 戦争には正義も悪もない。そんな道徳観、戦争には必要がない。何故なぜならば、その様な道徳観はどんな立場の者の中にも存在しているからだ。片方が相手を悪だと言う。言われた側も相手を悪だと言う。そして実力行使、戦争が起こる。双方自分が正しく相手が悪いと思っているのだ、衝突が起きて当然。


 一方的にアルマドに侵攻してきたリザーブル王国。彼らには彼らなりの正義がある。その正義に照らせばアルマドは悪。いや、仮に悪じゃなかったとしても悪に仕立て上げなければならない。じゃなければ自分達が悪になってしまう。逆もまたしかり。言わずもがな、アルマドもリザーブルを悪だと捉えている。


 ただそれだけの事なのだ。


 正義と悪は表裏一体。立場や見方が変われば容易にひっくり返ってしまうものだと思う。それ以前に暴力に訴えてしまった時点で、どんな正当性も胡散うさん臭く感じてしまうのではないだろうか。ゆえに俺が正義や悪だと言ったのは、あくまでそれっぽい、というだけの話。正義の味方風だと、悪の軍団っぽいと、単純に見た目でそう思ったに過ぎないのだ。


 役回り、と言った所だろうか。


 悪役としての役回り。その雰囲気に酔ってしまったのだ。ならばこのいくさは徹底して悪役を演じよう。誰にはばかることなく傍若無人ぼうじゃくぶじんに振る舞い、誰をもねじ伏せ悪逆無道あくぎゃくむどうの限りを尽くす。それが悪役の流儀ではないだろうか。そう思ったからこそあの魔法を試したのだ。


 試して、そして楽しんだのだ。



 ◇◇◇



 パァァァーン!


 雷撃を放つたびに敵は俺との距離を空ける。だが退却する素振りはない。遠巻きに俺を睨みながら剣を構えている。


(何だ……何で逃げないんだ?)


 ここまで力の差を見せ付けたというのに、一向に逃げようとしないリザーブル兵達に俺は困惑していた。上からの指示を忠実に守っているのか、それとも大軍で攻めてきたのだという自負や意地があるのか。もしそうだとしたら、軍としての練度が極めて高いと言えるだろう。こんな末端の兵にまでその様な意識が染み渡っているのだから。では、だとしたら足りないものは何だ? 威圧した、圧倒もした。何が足りない?


 恐怖だ。


 恐怖が足りないのだ。恐い、危険だ、この場には居たくないと思わせる恐怖。兵としての責任など放り出してしまうくらいの恐怖。ならば与えよう、恐らく彼らが今まで経験した事がないであろう恐怖を。


 両手を前に出し呪文を詠唱えいしょうする。確か呪文は……


「スマイガ、クヨシン……」


 すると前に突き出した両の手のひらから、何本もの薄く光る細い糸の様な物がスゥゥ……と顔を出す。そしてその糸は四方に散らばる様にシュッ! と勢い良く飛び出した。それを見ていたリザーブル兵達はグッと固くなる。また何かの攻撃ではないかと思ったからだ。しかし飛び出した糸は全て地面に消える。正確に言うと地面に横たわる何体ものリザーブル兵の亡骸なきがらにだ。糸がその身体に入った瞬間、亡骸なきがらはビクンッ、と大きく跳ねる様に反応した。死んだはずの仲間達の身体が動いたのだ、周りのリザーブル兵達は皆息を飲んだ。やがて彼らの顔は徐々に恐怖の表情へと歪む。




 ビクンッ、ビクンッ、ビクッ……ザッ、ザザ、ガシャ、ガシャ……




 立った。




 立ち上がった。四つんいになりながら、何度も足を滑らせながら、身体を大きく揺らしながら、瞳孔が開いたまま、首を大きくかしげたまま、上半身がよじれたまま、明らかに不自然な姿勢で、全くの無表情で、一人、また一人と地面に倒れていたリザーブル兵が立ち上がる。所々黒く焦げた鎧やヘルメット、皮膚は火傷を負い赤く腫れ上がり、あるいはただれて血を流している。周りで見ていたリザーブル兵達は何が起きたのか理解出来ず、ただただ呆然とその様子を眺めていた。その間にも死体は次々と立ち上がり、総勢百体程の命なき兵の集団が生まれた。


「あ……あぁ……」


 その内、声とも吐息ともとれる様な息遣いが、リザーブル兵達から聞こえ始める。あり得ない、あり得ない事が起きている。死んだはずの仲間達が立ち上がった。その不可思議さ、その異常さを徐々に認識し始めた彼らの顔には、明らかな恐怖の色が浮かんでいた。


 俺は念じる様に「武器を取れ」と命じる。命なき兵達はカチャカチャとそこらに転がっている剣を拾い始める。そして更に命じた。


「俺以外の生きている者は敵だ。敵をほふれ」




 ザ……ザザザ……ダダダダダダダダダダッ!!




 命じた直後、命なき兵達は一斉に走り出した。ある者は剣を構えながら、ある者は剣を引きずりながら。生きている者、すなわちリザーブル兵達に向かって。




「「「 うわあぁぁぁぁぁ!! 」」」




 リザーブル兵達は声を上げた。驚きと恐怖の声だ。襲い掛かる命なき兵達。たちまちそこかしこで斬り合いが始まる。命ある兵達と命なき兵達の戦いだ。





 ガイン! と命なき兵の剣を防ぐリザーブル兵。つばぜり合いの中リザーブル兵は気付いた。


「お前……リクスか!? 何で……お前はさっき……死んだだろ!!」


 どうやらこのリザーブル兵とリクスと呼ばれた命なき兵は同じ部隊の仲間だったようだ。


「おいリクス! 俺だ、レンデンだ!! くそっ……分からないのか……」


 そう、分からないのだ。リクスは自分が殺そうとしている相手が何者なのか理解出来ていない。焦点が合っていないリクスの目には果たしてレンデン姿が映っているのか、それすらも怪しい。リクスの強い力にジリジリと押され気味のレンデン。


(こいつ……こんなに力が強かったか……?)


 すると「待ってろ!」と声がした。別のリザーブル兵が助太刀に来たのだ。彼はリクスの右腰、鎧の隙間に剣をねじ込むと「ぬぅぅぅん!」と唸りながらその剣をリクスの身体に深く突き刺した。が、リクスはそんな事には全く動じず、ガシッと左手でレンデンの顔面を鷲掴みにする。リクスの動きが止まらないのは当然だ。彼を殺す事など出来やしない、すでに死んでいるのだから。


「ッガアァァァァ!!」


 激しい痛みに大声を上げるレンデン。リクスに掴まれている自分の顔が、まるでミシミシと音を立てているかの様にきしむ。そして……




 ズボッ……




「ギャァァァァァ!!」


 先程よりも更に大きな叫び声。リクスの親指がレンデンの左目をえぐった。





 操死術そうしじゅつ。死を操ると書くこの魔法は、対象を自在に操作する事が出来る魔法だ。魔力を糸状に伸ばし対象に接続、そして魔力を流し込みながら操作する。レイシィの自宅の魔導書庫。そこに眠っていたこの魔法が記された魔導書の表紙には、頭の中を疑われるくらいえげつない魔法、とレイシィの字で書かれた付箋ふせんが貼ってあった。確かにえげつない魔法だ。こんな魔法を使う者は、頭がおかしいと思われても仕方がないだろう。


 死者を操る魔法、死者への冒涜ぼうとく


 いくら人が簡単に死ぬ世界だとは言っても、死者をおざなりにする様な世界ではない。誰しも人が死ねばその亡骸を手厚く葬ろうとする。そういう、俺からすれば当然の倫理観が存在している世界だ。決して受け入れられる様な魔法ではないだろう。

 何より、これはそうそう使う事など出来ない魔法なのだ。倫理的な問題はもちろんだが、当然の事ながら死体がないと試す事は出来ない。練習すらままならない魔法という事になる。しかしこの戦は操死術そうしじゅつを試すのにはうってつけだった。周りには敵しかいないのだ、魔法を掛ける対象には事欠かない。そして何より、敵に恐怖を与える事が出来る。


 いや、それだけか?


 違う、それだけではない。


 俺はこの魔法に興味があった。機会があればどこかで試してみたいと思っていた。そして、その機会が訪れた。それでも普段だったら使う事はなかっただろう。酔ったのだ、悪役としての役回りに。この戦を早期に収める為。アルマドを守る為。そういうもっともらしい理由を付けて。


 何より、倫理より興味が勝ったのだ。





「無理だ……無理だ無理だぁぁぁぁぁ!!」

「殺される! みんな死んじまう!!」

「退け……退けぇぇぇ!!」


 しものリザーブル兵達も完全に士気が折れた様だ。皆一目散に後方へ逃げ去って行く。しかしこれで戦が終わった訳ではない。この戦に止めを刺すのは俺の役目ではない。それは彼女の役目だ。



 ◇◇◇



「走れ走れ走れぇぇぇ!! モタモタするなぁ! 敵に飲み込まれたいか! 罠に巻き込まれたいか! 死にたくなかったら走れ走れぇ!!」


 部下の兵達にげきを飛ばしながら馬を駆るのはアルマドを治める貴族、ラックス・バーデン侯爵。危険だから下がっていろ、と再三ゼントスに釘を刺されていたが「わしが出ずして兵が動くか!」とゼントスの言葉を押し退け兵達と共に戦場に立っていた。


 彼らアルマド軍五千を追いかけるのは、中央を抜いてきた二千のリザーブル軍騎馬隊。やがてアルマド軍は所定の場所まで撤退を完了する。そこに待っているのは狩猟蜘蛛だ。


「ライエェェェ! 頼むぞぉぉぉ!!」


 すれ違い様に叫ぶ侯爵。ライエは「任せて!」と返す。続けて自身の護衛の為に後方に控えていたゼントス、デーム、カディールが西から連れてきた四番隊の隊員らに「始めるよ! 下がって!」と指示を出す。前方にはドドドド……と低い音を響かせながら迫り来る騎馬隊。


(何だ……おかしいぞ……?)


 騎馬隊の先頭を走るのは先程隊を離脱した将軍、デイバルの副官。主力であるはずのアルマド軍を叩き潰そうと考えていたが、そのアルマド軍は早々に撤退。しかし前方には少数の人影が見える。明らかにおかしい。こんな場合、真っ先に疑うべきは罠の可能性だ。


「止まれぇ! 止まれぇぇぇ! 全軍停止だぁぁぁ!!」


 副官は慌てて指示を出す。しかし充分スピードに乗った騎馬を急に止める事など出来やしない。




「いらっしゃい、さようなら」




 そう呟いたライエは前方に魔弾まだんを飛ばす。魔弾まだんは地面に吸い込まれる様に消えた。次の瞬間、




 ボン!! ボンボンボンボン!!




 地面が火を噴いた。中央から左右に向けて、四、五メートル程の高さの火柱が次々と地面から噴き出し、同時に激しい爆風が巻き起こる。まるで上空から爆撃でも受けたかの様だ。燃えながら吹き飛ばされた兵や馬がドスドスドス……と地面に落ちる。


 ライエは見事この戦に止めを刺したのだ。

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