第161話 迅雷

 平原の草に燃え移った炎は風にあおられ右に左に暴れながら、徐々にその範囲を広げて侵食しんしょくして行く。そしてその炎の海の中を火だるまになりながら走り回り、あるいはのたうち回るリザーブル兵達。炎龍の直撃を免れた他の兵達は、仲間を助けるべく動く者、進軍を続けようとする者、ただ呆然とする者と様々だ。


 しかし彼らの悪夢は終わらない。


 炎龍が落ちた地点から十メートル程左、ボウゥ! と地面から突如大きく口を開けた巨大な炎龍の頭が姿を現す。そして炎龍はそのままボボボボボゥ! と低い音と共に炎を撒き散らしながら天高く上昇する。上空に舞い上がった炎龍はゆるりと大きな円を描くように地上まで降りてくると、地面すれすれを猛スピードで水平に移動、再びリザーブル軍に襲い掛かる。バクゥ、バクゥと口を大きく開け閉めし、さながら捕食しているかのごとく逃げ惑うリザーブル兵達を次々と飲み込んで行く。リザーブル兵達は散り散りに逃げ惑い、もはや隊列も陣形もあったものではない。

 ふと左を見る。遠く左側には小さなカディールの姿。腕組みを……してるのか? 微動だにしないカディールの前方では真っ黒な巨体、彼が呼び出したのであろう六体のがリザーブル兵達を蹂躙じゅうりんしている。どうやら向こうも順調なようだ。しかしそんな前線の様子に思わず怒鳴り声を上げる者がいた。



「何だ、これは……一体何なんだぁぁぁ!!」



 驚きと怒り、困惑に焦り。様々な感情を乗せた言葉が吐き出された。無論、目の前で繰り広げられている一方的な殺戮ショーを目の当たりにしたからである。怒鳴り声の主はリザーブル軍の最後尾、戦場を見渡す為に組み上げられたやぐらの上に立つリザーブル軍指揮官ボルガ・ワイト将軍である。


「アイロウがいるなどと言う報告は受けておらんぞ! 案山子かかしめぇ……たばかりおったかぁ!」


「お待ちを」と声を掛けるのは副官だ。


案山子かかしからの報告通り、アイロウは東へ行ったままです。裏も取れております」


「では何か……アイロウ並の化け物が他にもおると申すか……冗談ではないわ! あんな者がそうそういてたまるものか!」


「あれの素性はさておき、前衛を一旦退かせましょう。すでに統制を失っております」


「馬鹿を申すな! この私が直々に三万もの軍を率いておるのだ、斬り結んだ直後に兵を退かせるなど……そんな無様な真似が出来るかぁ!! 中衛を上がらせろ! 今すぐだ!!」


 すると伝令兵が勢い良くやぐらを駆け上がってきた。そして慌てた様子でボルガに報告する。


「報告! 中衛二千が独断で前進! デバイル将軍です!」


「ほう、さすがはデバイルだ、良く分かっておる。そのまま行かせよ!」


 伝令を聞いたボルガは満足そうな表情を浮かべる。しかし副官は眉をひそめていた。


(ボルガめ、いくら何でも焦りすぎだ。何をそんなに……やはりあの女の台頭を警戒しているのか? 乗り換えるなら……早い方が良いかも知れんな……)



 ◇◇◇



「お前らは中央を抜け! アルマドの弱兵共を食い散らかしてこい! 俺は……アイツだ。アイツを潰せばあの炎の化け物は消える!」


「将軍! お気を付けを! あの魔導師、尋常では……」


「ハハハハハァッ! 誰に言っている!」


 デイバルは笑いながら中衛二千の隊列を離れる。剣士であり魔法も扱えるデイバルは魔導師との戦いを得意としていた。そんなデイバルの前に現れた炎の化け物を操る魔導師。格好の獲物だった。デイバルはその魔導師に向け一直線に馬を走らせる。






(単騎……)


 中央を抜けようとする騎馬隊から、一騎の騎馬が方向を変え真っ直ぐに向かってくる。たった一騎で向かってくるという事は自信があるという事なのだろう。試しに魔弾を放ってみる。狙いを定めて放った魔弾はブン……と音を立て飛んで行く。しかしその魔弾は騎馬に当たる直前にパシィィィ……と打ち消された。


(シールド!)


 決して半端な魔弾ではない。しかし防がれた、手練てだれだ。連続で放つ魔弾を次々と防ぎながらその騎馬は見る見る間合いを詰めてくる。


(この馬、早いぞ!)


「随分と好き勝手やってくれる! だが俺に出会ったのが運のツキだ! 魔導師は……大好物でなぁぁぁ!!」


 騎馬の男は背に担いでいる剣を抜く。長い。異様に長く白い剣。明らかに馬上で使う為の物。馬上から相手を仕留める為の剣だ。騎馬の男は笑みを浮かべながら右手に持った長い剣を肩口の辺りに構える。そしてすれ違い様にその剣を突き下ろした。


 俺は腰の剣を抜く。途端にグォォォ……とつかを握った俺の手から魔力を吸い取られた。使用者の魔力を吸い取り自身に硬化処理を施す魔道具、さやつか剣身けんしんも真っ黒な短剣、魔喰まくいだ。

 魔喰まくいが黒い理由は素材に黒鉄こくてつが使われているからだそうだ。白鉄はくてつで打たれたリザーブルの白い剣と黒鉄こくてつで打たれた俺の黒い魔喰い。


 一瞬の白と黒の交錯。


 ガチィィィン! と耳をつんざく激しい金属音。斜め上から飛んでくる騎馬の長い剣を、俺は下から上へ弾き飛ばした。「ぬぅぅ!」と声を上げる騎馬の男。馬の速度を緩めると少し先でくるりと馬を反転させる。


「剣も使うか! 益々良い! しかも良い剣を持って……」


「遅い」




 パァァァーン!




 閃光と同時に乾いた音が響く。騎馬の男は馬諸供もろとも地面に崩れ落ちた。雷撃だ。相手の剣を弾いた直後、すかさずマーキングを施したのだ。いかに手練てだれと言えどもアイロウではない。そうそう雷撃を防がれてたまるものか。と、そこで気付いた。炎龍がすぅぅ……と消えて行くのを。炎龍への意識が途切れてしまった為だ。


(ま、ないならないで……また出すのも面倒だし……)


「デイバル将軍だぁ! 身をていしてあの化け物を消してくれたぞ!」


 炎の中を炎龍から逃げ惑っていたリザーブル兵の一人が叫ぶ。他のリザーブル兵達は一瞬ポカンとしたが、すぐに状況を把握して「「「 おぉぉぉー!! 」」」と雄叫びを上げた。


 良くない。良くない状況だ。


 あの炎龍が消えたから何だと? あんな見かけ倒しの魔法がこちらの力の全てだと、そんな風にでも思われているのだろうか。心外だ。だとしたらはなはだ心外だ。地力じりきの差というものを見せつけてやらなければならない。


 すると一人のリザーブル兵が声を上げた。ここから巻き返しを図るつもりなのは明白だった。


「サミー小隊集合せよ! あの魔導師を潰すぞ! 魔導兵、シールドを張りつつ先行……」



 パァァァーン!



 閃光と炸裂音。小隊長だったのだろう。声を上げ部下を呼び寄せようとしたリザーブル兵は地面に倒れた。


「隊長! 隊……」



 パァァァーン!



 小隊長に駆け寄ろうとした兵も倒れた。パァァァーン! パァァァーン! パァァァーン! と続けざまの閃光と炸裂音。十、二十、三十と一度に倒れる兵の数も増えて行く。


「何だ……あれは?」


 パァァァーン!


「ひぃ! ありゃ……雷か……?」


 パァァァーン!


「うっ……ちょっと待てよ……何だあの光……」


 リザーブル兵達の動きが止まった。激しい光と音の後に仲間が倒れる、攻撃を受けていると認識したからだ。俺は前方に無差別にマーキング用の極小魔弾を放っていた。リザーブル兵に当たろうが当たらなかろうが関係ない。そして雷撃を撃つ。四方に飛び散る様に走る閃光、その度にリザーブル兵が倒れる。周りに敵しかいないこんな状況でもなければ出来ない攻撃。


 雷撃の無差別攻撃だ。



 ◇◇◇



 ピカッと青白い閃光が何本も走る。直後にバタバタと倒れるリザーブル兵。少し遅れてパァァァーン……と乾いた音が届く。戦場の遥か後方、石造りの物見台。かつては北への備えの一つとして機能していたこの物見台も、放置される様になってからは久しい。人の手が入らなくなると途端に建物は朽ちるスピードを増す。今では老朽化が進み外壁などが崩れ始めている。ここより更にアルマド寄りに新しい物見台が設置された為、今ではここの存在を知る者すら少ない。


 そんな朽ちかけた物見台の最上階、望遠鏡で戦場の様子をうかがう女。するとその背後からカツン、カツンと階段を上ってくる足音が聞こえてきた。振り向いた女は「あらベルーナ、あなたも来たの?」と階段を上り姿を現したもう一人の女に尋ねる。「いやぁエイナ。先客がいると思ったらやっぱり君だったのかい」と、もう一人の女は先にいた女に笑顔を見せる。二人はジョーカー参謀部マスター、エイナ・プロコットと、同じく工作部マスター、ベルーナ・アッケンバインだ。


「珍しいわね、ベルーナ。あなたが様子を見に来るなんて」


「そりゃあそうさ。今回ばかりはさすがに気になるからねぇ。なんせあの適当大王ゼル・トレグが立てた作戦だって言うじゃないか。まぁ君とデーム辺りが修正を加えたんだろうけどね」


「当然よ。あの適当大王、最初リザーブル軍を押さえるのはコウ一人で十分だなんて言っていたのよ」


「アッハハハァ! さすがゼルだ、適当が過ぎるねぇ。いくら何でもそれは無理があるじゃあないか」


 笑いながらベルーナは斜めに掛けているバッグから望遠鏡を取り出す。


「三万の大軍に攻められ風前のともしびのアルマド。その窮地きゅうちを救うべく迎え撃つは少数精鋭の勇者達。と……物語としてはいささ陳腐ちんぷなストーリーではあるけどねぇ。さて、事実はどうなのか?」


陳腐ちんぷなストーリー通りよ。まぁ痛快ではあるけれども」


 望遠鏡を覗き込むベルーナ。「お、ほうほう……これはこれは、確かに痛快だねぇ」と思わず声が出た。閃光が走るとリザーブル兵がバタバタと倒れる。望遠鏡を覗き込むベルーナは嬉しそうに笑みを浮かべた。


「あれがコウの雷かい? 噂通り素晴らしいねぇ、雷撃の魔法は難しいんだろう?」


「難しい所じゃないそうよ。本来制御するのは不可能だって話よ」


「ふ~む、それを事も無げにやっているんだから大したもんじゃあないか」


 ベルーナはすぅ~、と視線を左に移す。左翼ではリザーブル兵達の三倍はあろうかという六体の真っ黒なが大暴れしている。


「カディールも相変わらずだねぇ。相変わらず気持ち悪いのを呼び出しているじゃあないか。もっと美しいのは出せないもんなのかねぇ」


「女の魔なら美しいんじゃないのかしら」


「女ぁ? 魔に性別なんてあるのかい?」


「…………」


 エイナは無言だった。始まりの家でカディールが呼び出した女だという魔に追いかけ回された事を思い出していたのだ。忌まわしい記憶、今思い出しても腹が立つ。思わず「チッ……」と小さく舌打ちをしてしまった。だがどうやらベルーナには聞こえていないようだ。


「しかしリザーブル軍にとってはまるで悪魔の光だねぇ。ピカッと光れば人が倒れる。命を奪う光……でも……いや、だからこそあんなにも綺麗なのかねぇ。あの光はまさに命の閃光。これが夜だったらもっと綺麗だったろうし、近くにいたら音も凄いんだろうねぇ。炎揺らめく平原に走る閃光、轟く迅雷じんらい……て所かねぇ。でもまぁ、大勢は決したんじゃないのかい? 連中、前に出る事すら出来なくなってる様じゃあないか」


「すでに士気も落ちきっているでしょうしね。この状況で自分の身を犠牲にしてまで前に出ようなんて……考える者はいないわ」


「ふむ……では何故なぜ向こうの指揮官は兵を退かせないんだい? すでに引き際は越えていると、素人の私でもそう思うがねぇ」


「認めなくないのでしょうよ、たった二人に良い様にやられているなんて。プライドが高い指揮官の様ね。でも何か切っ掛けがあれば、退却の指示が出る前に前線は瓦解するわ」


「お、どうやらその切っ掛けってのが生まれそうだねぇ。千……二千? 騎馬隊が真ん中から突っ込んで来る。あぁ、いけないねぇ。迂闊うかつ、あまりに迂闊うかつだねぇ」


「ええ、全く。その先は蜘蛛の巣、狩猟蜘蛛のテリトリー。迂闊に踏み込もうものなら丸飲みされるわ」

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