第267話 王女一行は
「クソッ……シクった……」
狭い路地。正面には巨体のオーク。慌てて引き返そうと
(どうする……どうする!)
衛兵はキョロキョロと辺りを見回す。抜け道はない。左右の建物はどうだ? 扉も窓もない。では上だ。何とか建物の屋根の上に……いや、無理だ。登れそうな所はない。ならば前後どちらかのオークを仕留めて押し通るしかない。
王都マンヴェント西地区。職人街や問屋街の細く狭い通りが連なるこの地区にもオークは押し寄せた。パニックに
路地の中ならば労せず仕留められるのではないか。
あの巨体にあの得物だ、狭い路地ならば満足に暴れる事は出来ないだろう。これは妙案だと、衛兵は一人路地へと入る。試しにそこで出くわしたオークに仕掛けてみよう。狭い場所ならば小さい者の方が有利なはずだ。仲間もいらない、
などと考えていた少しの前の自分を思い切り殴り付けてやりたい。
あれだけの巨体だ、狭い路地では確かに動き辛いだろう。だが狭さというのはこちらにも適応される共通のルールだ。魔法を放たれたらどうするのか。隙を突く為にはどう動けば良いのか。左右に移動出来ない事のデメリットは非常に大きい。
加えて狭い路地の中で見るオークは一際大きく感じ、放っている強烈な存在感と圧迫感はこちらの戦意を
更に間抜けな事に、挟撃を受ける可能性があるという事が頭の中からすっぽりと抜け落ちていた。そして今まさに、逃げ場のない細い路地で前後を挟まれてしまっている。
(何が妙案だ……)
全く
「バカか俺は……」
我が事ながら衛兵は呆れる様にそう呟いた。今回ばかりは心底そう思う。だが自己嫌悪しつつ同時に覚悟も決めた。狙うのは後ろから現れたオーク。そちらは自分がこの路地に入ってきた方向で、それはつまり大通りに近いという事だ。だが戦う気はない。少しばかり腕には自信があったが、誰とやっても負ける事はない、と
「………………クソッ」
が、いざ踏み込もうとなるとどうにも足が前に出ない。飲まれている。オークの圧に当てられている。
「えぇい!!」
このままでは死を待つだけだ。衛兵は意を決して飛び出した。すると二歩程走った所で、突如オークは両膝を地面に付きそのまま前のめりに倒れ込んだ。倒れたオークの背後には剣を握った男の姿。
「そのまま走れ!」
そう叫ぶと男もまた走り出す。そして走り来る衛兵とすれ違うと前方へ向け低く飛び込んだ。衛兵の背後にいたオークが抱える様に持っていた巨大な剣を構え突きを放ったのだ。
男は飛び込んだ勢いそのまま、着地しながら前転するとオークの突きを
「はぁ………凄い……」
倒れ込むオークの下敷きにならない様、するりと壁際に避けながら男は立ち上がる。一切の無駄と
「間に合って良かった」
「俺はドーギン。貴方の名は? 恩人の名を憶えておきたい」
「ヤリスという。イオンザ王国ジェスタルゲイン殿下の…………お側付きだ」
名を聞かれたヤリスは立ち止まり、少し考えながらそう名乗った。
お側付き。
「ではヤリス殿、俺は隊に戻る。本当にありがとう」
大通りに出るとドーギンは改めて礼を
「恐らくは三十人程ではないかと思うが、もし馬車と一緒にいるそんな集団を見掛けたら、デバンノ宮殿まで案内してやってもらえないだろうか」
「馬車を……護衛している集団と……?」
ドーギンがそう問い掛けるとヤリスは静かに
□□□
だが一行は姿を見せずやがて日が傾く。その名の通り門が闇を誘った頃、にわかに天候も悪化し雨が降り始めた。さすがに今日はもう来ないだろう。グレバンだけなら
さてこの西大通りだが、真っ直ぐにレクリア城まで伸びている訳ではない。そもそも街中の道が複雑な動線となっているマンヴェントの中でも、取り分け西大通りは奇妙な程大きくS字を描いている。誘黒の門より街の
ダグベ王国と隣接するセンドベル王国。この二カ国は過去に起きたイオンザ王国の内乱、
その為王都マンヴェントは対イオンザを念頭に置き街全体を要塞化する様に設計された。まさにイオンザがある方角の北地区には大通りを造らず、次に攻め込まれる可能性の高いこの西地区に大きく湾曲した大通りを敷いたのもその為である。これにより敵軍は街中でのスムーズな進軍が
そんな大通りを歩くヤリスは、ちょうど問屋街に差し掛かる少し手前で不思議な光景を目にした。視界の少し先に何やら大きな黒い
□□□
(路地を突っ切るのは無理だな……)
ドーギンと別れたヤリスは恨めしそうに路地の奥に目をやった。一刻も早く宮殿へ戻らねば。ここを真っ直ぐに進むのが近道だ。だがそれは無謀な事だと知った。致し方ないが大通りを進む方が安全か。ヤリスはグッと剣を強く握ると通りの先に見えるオーク目掛けて走り出す。そして走りながら思った。セムリナ殿下らが来ていなくて本当に良かったと。
だが一行はすでに王都に到着していた。
◇◇◇
「押さえろ! 決して馬車には近付けさせるな!!」
叫ぶ様に
「だがなテム! やらねばなるまいよ!」
そう叫ぶとダイナストンはブスリとオークの腹に剣を突き刺した。
縦に二台並び停車している馬車を守る四十名の兵士達。決して広い道ではないが、馬車は右側の建物に寄せる様に停車させており、前後と左側にだけ気を払えば良いというのはいくらか気が楽だ。とは言え厳しい状況である事に間違いはない。次々襲い来るオークは手にした巨大な得物を容赦なく振り回す。馬車に当たりでもしたら一撃で粉砕されてしまうだろう。
テムはオークの振り下ろす
「手が足りんだろう! 私も出る!」
そう声を張り上げながらドスンと馬車から降りるのはグレバン・デルン侯爵。手にした剣を抜くと
「グレバン様!?」
「危険です! お戻りを!!」
慌てて声を上げたダイナストンとテムであったが、グレバンは「案ずるな! これでも南部貴族ぞ!」とその忠言を制した。
「今からそなたの
グレバンはベリックオの横に立つとパシンと彼の腰を叩いた。一瞬驚いた顔を見せたベリックオ。だがすぐにグレバンの意図を理解した。
「
グレバンを気遣うベリックオだったが、グレバンは「お前もそう言うか!」と怒鳴ると突如前方へと駆け出した。そして巨大な剣を横に振り抜こうと構えるオークへ強烈な斬り下ろし一閃。その右腕をスパッと斬り落とした。
「私よりも案じなければならん御方が前の馬車にいらっしゃる! 殿下に何かあればジェスタ様に顔向け出来んぞ!」
グレバンはそう怒鳴りながら、返す刀で残ったオークの左腕も斬り落とした。そして「この程度でビビっておったらメイリーに尻を蹴り上げられるわ!」と笑った。
▽▽▽
ビリビリと伝わるのは地を打ち付ける
「大丈夫よレーノ、大丈夫」
そう言ってセムリナはニコッと笑う。レーノはグッと背筋を伸ばし、恐怖で
先頭の馬車にはセムリナと二人の侍女、そして側近のズマーが乗っていた。一体何が起きたのか、訳の分からない内に戦闘となった。ただじっと待っているしかない現状。
重苦しい空気に包まれた馬車の中でセムリナは気丈に振る舞っていた。だがすぐ向かいに座るズマーには分かっていた。彼女は随分と無理をしているという事が。「ふぅむ……」と声を漏らすとズマーは神妙な顔をする。
「このままでは……この馬車が我々の
そんなズマーの言葉にレーノは再びビクリと身体を揺らし、もう一人の侍女セリーは「殿下……!」とすがる様な声を上げた。セムリナは「はぁぁ……」と深いため息を
全く不謹慎な。
そう思い呆れるセムリナだったが、しかし同時にこんな状況下にあってもいつも通りの姿を見せるズマーを頼もしく思った。セムリナは理解している。今の笑えない冗談は自分の事を気遣ってくれたものだと。彼はいつも自分を気に掛けてくれている。だが優しい言葉は中々言わないひねくれ者だ。こんな時くらいは優しい言葉の一つくらい掛けてくれても良さそうなものだが……
(いやでも……それはそれで……)
それはそれで調子が狂う。セムリナは睨む様にズマーを見る。ズマーは涼しい顔で馬車の外の様子を見ていた。「はぁ……」とセムリナは再びため息を一つ。全く、嫌な側近だ。だが気付けば随分と気が落ち着いていた。彼がいつも通り冷静でいるのならば、きっと今回も大丈夫だ。
「で、ズマー。この先どうするのが良さそうかしら。私としては宮殿を目指すべきだと思うのだけれど?」
そう問い掛けるセムリナをじっと見つめるズマー。さすがに緊張感はあるものの、先程よりも
「そうですね、王都の外へ脱出する選択もありますが……敵がどこにどの程度展開しているかも分かりませんし、それにこの場所からならば宮殿を目指す方が近いでしょう」
ズマーの返答に「そう」と返すセムリナ。ズマーがそう言うのだ、恐らくそれが正しい。
「そうね。ジェスタの事も心配だし……」
そう言いながらセムリナは馬車の外に目をやる。外では相変わらず激しい戦闘が続いている。
「まさかこんな北にまで……」
ぽつりと呟いたセムリナの言葉を聞いて、ズマーは「おや、ご存じでしたか」と感心した。
「当然よ。私が何て呼ばれてるか知ってるでしょう?」
「人材マニア……でしたね。
「ご名答。彼が言うにはオークの襲撃事件は大陸のあちこちで起きているとか。しかも連中は街中に湧いて出るんだなんて……
「ええ、私もそう思っておりました。ですが事実の様ですね。これだけ目立つ連中の進軍など気付かない訳がありません。何なら王都へ入る前に私達が遭遇していたでしょう。ですがこうなると……」
そこまで話すとズマーは急に言い
そもそも
「……こうなると、何?」
一向に口を開かないズマーに、セムリナは話の続きを
「あの通りは大きく北側に曲がっています。そして確か宮殿の前辺りに出るはず……少し遠回りになりますが、この辺の狭い道を通るより安全かと思われます」
ズマーの
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