第40話 イゼロンの主

 その日の夜、メチルはいつもの場所に来ていた。昼間コウに修行をつけていた場所。イゼロン山の山頂へと向かう山道の近く。元々この場所は、メチルが毎日のように鍛錬を行っていた場所だった。いつも決まってこのくらいの時間、誰にも会わない時間だ。


 一人暗闇の中、目を閉じ集中する。意識を、深く、深く、深く落としていく。集中するのと同時に、それは拡散していく。景色に、風景に、暗闇に、溶け込んでいく感覚。周りと一体になり、同化していく感覚。

 これは鍛練と言うより、暗殺者アサシン時代からの日課と言った方が良いかも知れない。確実に仕事をこなすには、周辺の変化を敏感に感じ取らなければならない。安全か、危険か、行動して良いのか、待たなければいけないのか。失敗は即ち、己の死を意味する。それだけなら良い。そこから、組織が暴かれるかも知れない。さらにそこから、依頼をしたクライアントにまで繋がるかも知れない。

 極限の緊張感、だが、それに飲まれないように、ある程度のリラックスも必要だ。相反するこの二つを両立させるため、この鍛練は効果的なのだ。


 が、ふと集中が解けた。


 いつもだったら「この程度の集中を持続できないとは」と、イラッとするところだが、今日のメチルは機嫌が良かった。その理由は考えるまでもない、昼間の出来事だ。自身の過去を話し、それ以上のことを詮索されなかったのは、初めてではないか? 〈いい加減〉が服を着て歩いているような老師でさえ「何であんなことしとったんじゃ?」と聞いてきたくらいだ。そのくらい、自分の過去というのは異質で、人に話すのもはばかられるような、後ろ暗いものであるという自覚がある。


 が、あの男は何も聞いてこなかった。


 単に、興味がないだけかと思ったが、話を聞くと一応こちらを気遣ってのことだったようだ。


「過去はどうであれ、メチルはメチルだ」


 その言葉を聞いたとき、何とも言えない気持ちになった。許された、という感じがしたのだ。

 老師に誘われ、エス・エリテに来て修道女シスターになったのは、十歳の時だ。それ以前は物の善悪も理解できず、ただ生きるために殺してきた。殺すという行為こそ、自分の存在意義そのものだったのだ。それでも、子供ながらに自分が犯してきた罪を償いたいという、贖罪しょくざいの気持ちがあったからこそ、今の自分があるのだ。過去は切り離せないし、切り離すつもりもない。いや、切り離してはいけない。しかし、そんな自分の今だけを見てくれた。それが何より嬉しかったのだ。


「ん……コウさんのくせに、生意気っすね」


 再び目を閉じ、集中する。と、


 ガサガサ、バキッ


 という大きな音。明らかに、何かいる。暗闇の中、何か大きなものが動いている。咄嗟に距離を取り、腰に手を当てる。


「あ……」


 ……得物は置いてきたのだった。


 無手むての格闘術も覚えてはいる。しかしリーチが短く、何よりパワーが足りないので得意ではない。が、仕方がない。


 暗闇の中、それは動いている、こちらに近付いて来る。相手が何者なのか、確認する必要がある。構えは解かず、じっと待つ。


 バキバキッ


「うぉ……」


 思わず声が出た。とうとうそれ・・が、姿を表した。大きな、黒い身体。

 目が合った、気がした。もちろんそれ・・には、目が付いている。しかも複数。だが眼球がないので、どこを見ているかは分からない。が、恐らく目が合っている。

 しばし、対峙する。沈黙の中、メチルはそれ・・をどうやって倒そうか、シミュレーションを繰り返していた。

 やがてそれ・・はゆっくりときびすを返し、暗闇の中に消えた。メチルは警戒を解かず、それ・・が消えていった暗闇をじっと見つめていたが、どうやらそれ・・は完全にこの場を離れたようだ。


「……そうっすね、今年は、そうだったっすね」


 メチルは神殿へと走り出した。


 広い農場を抜けると、居住区だ。そのさらに先に神殿がある。

 居住区に差し掛かった時、大きな人影が見えた。手には灯り用の魔法石が光っている。あの人影は……


「デンバさん!」


 呼ばれて振り向いた大きな人影は、やはりデンバだった。夜の見回りの最中なのだろう。


「メチル、どうした?」


「ヤバいっす、ヤツが出たっす」


「ヤツ、とは?」


「黒くて、デカいアイツっすよ」


「黒くて? ああ、ヤツか」


「そうっす。あたしは老師に伝えに行くっす」


「じゃあ俺は、エリノスに下りる」


「参道の封鎖っすね、任せたっす。途中の休憩所で休んでる信者達にも伝えるっすよ」


「無論」


 二人はそれぞれ走り出した。



 ◇◇◇



 神殿に着いた。事務所はまだ明るい。メチルは事務所のドアを乱暴に開ける。


「老師いるっすか!」


 事務所内にルビングの姿は見えない。残っているのは修道士だけだ。


「老師なら大分だいぶ前に部屋に……あ、おい!」


 メチルはすぐにルビングの部屋へ走る。部屋の前に着くと、ドアが割れるくらいの勢いでノックする。


 ドンドンドン!!


「老師! いるっすか! いるっすね! 開けるっす! 出てくるっす!」


 あまりの勢いに驚き、ルビングはドアを開ける。


「あ~! なんじゃい、騒がしい! 何事じゃい!」


 ドアの奥、テーブルの上には酒ビンがいくつか並んでいるのが見える。


「……姐さんエクシアから酒は少し控えろって言われてなかったっすか?」


「ちゃんと控えとるわい」


 あれでか……


「ちっとは飲まにゃ、やっとられんわい。デンバの阿呆あほうめが、ま~た道場の壁に大穴開けよった。こないだ直したばっかじゃぞ? ま~た金借りんといけんわい……」


「そのデンバさん、エリノス行ったっすよ」


「なんじゃい、こんな時間にかい、何ぞあったか?」


「ヤツっす、出たっすよ。黒くて大きな……」


 そこまで話すと、ルビングは全てを察した。


「あ~、そういうことかい。しかしのう、今年は早ないか? いつもじゃったらもっと暑くなってからじゃろ?」


「今年はそれだけ数が多いってことじゃないっすか?」


「早々に上層のエサ食い尽くしちまったか。まぁ、ええわい。警備隊に伝えてくれ、居住区、商業区、家畜小屋、ラグー貸出所を重点警備、見つけ次第排除じゃ。それと、明日朝イチでエリノス行ってくれ。ハンディルに討伐隊の依頼じゃ」


「了解っす。人数どうするっすか? やつらの数が多いなら、前回より多めにハンディル雇うっすか?」


「うむ……いや、前と同じでええ。今年は、あやつがおるでな」


「あやつ?」


「そうじゃ、いるじゃろ、火力スゴいのが」


「ああ、そうっすね」


「面倒見てやってるんじゃ、存分に働いてもらおうかのぅ」



 ◇◇◇



「んん~、何だ?」


 朝。騒がしくて目が覚めた。バタバタと走り回る足音、大きな声、怒鳴り声。


 ドアを開け廊下を覗くと、


「コウ、起きたか」


 デンバだ。


「何の騒ぎ?」


「ちょうど良かった、来い」


 と言ってデンバは俺の腕を引っ張る。


「な、ちょ、ちょっと待って! 着替え……ちょっと!」



 ◇◇◇



 デンバに引きずられ神殿に着いた。神殿内も騒然としている。


 エリテマ神の大きな石像の前で、ルビングが修道士達に何やら話をしている。


「老師、連れてきた」


「おう、デンバ、待っとったぞ。コウ、存分に暴れてくれて構わん、頼むぞい」


「あの、何が……?」


「ん? ……聞いとらんか?」


「何も……」


「あ~、デンバよ。確かに連れてこいとしかうとらんが、こういう時はお前、説明しながら来るとか、お前……」


「む、そうか」


「……まぁ、ええわい、説明しちゃるわ。実はのう……」


「老師! 大変です!!」


 若い修道士が慌てて走ってきた。


「なんじゃいな!」


「の、農場の方に、四十体ほど! 警備隊が押さえていますが、破られそうです!」


「デンバ! コウ連れて行ってこい! コウ! 実際見りゃあ分かる、殲滅せんめつしてこい!」


「コウ、行くぞ」


 デンバはまた俺の腕を引っ張り走り出す。


「ちょ、なに? なんなの!?」



 ◇◇◇



 農場に着いた。遠くの方で警備隊の修道士達が、黒い大きな何かと戦っているのが見える。


「……何だ、あれ?」


「コウ急ぐぞ、手遅れになる」


 デンバに引きずられ、警備隊と何かに近付く。段々と、その何かがはっきりとしてきた。


「ん?」


「え……?」


「え、え……」


「う~わ!!」


 小さな頭、大きな腹、全身真っ黒で毛が生え、長く太い足を巧みに操り動いている。何よりその大きさ、軽自動車くらいありそうだ。


「う~わ! もう……う~わ! デンバ! 何あれ……う~わ、キモッ!」


「イゼロスパイダー、イゼロンのぬしだ」


 その何かは、黒くて大きな蜘蛛だった……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る