第40話 イゼロンの主
その日の夜、メチルはいつもの場所に来ていた。昼間コウに修行をつけていた場所。イゼロン山の山頂へと向かう山道の近く。元々この場所は、メチルが毎日のように鍛錬を行っていた場所だった。いつも決まってこのくらいの時間、誰にも会わない時間だ。
一人暗闇の中、目を閉じ集中する。意識を、深く、深く、深く落としていく。集中するのと同時に、それは拡散していく。景色に、風景に、暗闇に、溶け込んでいく感覚。周りと一体になり、同化していく感覚。
これは鍛練と言うより、
極限の緊張感、だが、それに飲まれないように、ある程度のリラックスも必要だ。相反するこの二つを両立させるため、この鍛練は効果的なのだ。
が、ふと集中が解けた。
いつもだったら「この程度の集中を持続できないとは」と、イラッとするところだが、今日のメチルは機嫌が良かった。その理由は考えるまでもない、昼間の出来事だ。自身の過去を話し、それ以上のことを詮索されなかったのは、初めてではないか? 〈いい加減〉が服を着て歩いているような老師でさえ「何であんなことしとったんじゃ?」と聞いてきたくらいだ。そのくらい、自分の過去というのは異質で、人に話すのもはばかられるような、後ろ暗いものであるという自覚がある。
が、あの男は何も聞いてこなかった。
単に、興味がないだけかと思ったが、話を聞くと一応こちらを気遣ってのことだったようだ。
「過去はどうであれ、メチルはメチルだ」
その言葉を聞いたとき、何とも言えない気持ちになった。許された、という感じがしたのだ。
老師に誘われ、エス・エリテに来て
「ん……コウさんのくせに、生意気っすね」
再び目を閉じ、集中する。と、
ガサガサ、バキッ
という大きな音。明らかに、何かいる。暗闇の中、何か大きなものが動いている。咄嗟に距離を取り、腰に手を当てる。
「あ……」
……得物は置いてきたのだった。
暗闇の中、それは動いている、こちらに近付いて来る。相手が何者なのか、確認する必要がある。構えは解かず、じっと待つ。
バキバキッ
「うぉ……」
思わず声が出た。とうとう
目が合った、気がした。もちろん
しばし、対峙する。沈黙の中、メチルは
やがて
「……そうっすね、今年は、そうだったっすね」
メチルは神殿へと走り出した。
広い農場を抜けると、居住区だ。そのさらに先に神殿がある。
居住区に差し掛かった時、大きな人影が見えた。手には灯り用の魔法石が光っている。あの人影は……
「デンバさん!」
呼ばれて振り向いた大きな人影は、やはりデンバだった。夜の見回りの最中なのだろう。
「メチル、どうした?」
「ヤバいっす、ヤツが出たっす」
「ヤツ、とは?」
「黒くて、デカいアイツっすよ」
「黒くて? ああ、ヤツか」
「そうっす。あたしは老師に伝えに行くっす」
「じゃあ俺は、エリノスに下りる」
「参道の封鎖っすね、任せたっす。途中の休憩所で休んでる信者達にも伝えるっすよ」
「無論」
二人はそれぞれ走り出した。
◇◇◇
神殿に着いた。事務所はまだ明るい。メチルは事務所のドアを乱暴に開ける。
「老師いるっすか!」
事務所内にルビングの姿は見えない。残っているのは修道士だけだ。
「老師なら
メチルはすぐにルビングの部屋へ走る。部屋の前に着くと、ドアが割れるくらいの勢いでノックする。
ドンドンドン!!
「老師! いるっすか! いるっすね! 開けるっす! 出てくるっす!」
あまりの勢いに驚き、ルビングはドアを開ける。
「あ~! なんじゃい、騒がしい! 何事じゃい!」
ドアの奥、テーブルの上には酒ビンがいくつか並んでいるのが見える。
「……
「ちゃんと控えとるわい」
あれでか……
「ちっとは飲まにゃ、やっとられんわい。デンバの
「そのデンバさん、エリノス行ったっすよ」
「なんじゃい、こんな時間にかい、何ぞあったか?」
「ヤツっす、出たっすよ。黒くて大きな……」
そこまで話すと、ルビングは全てを察した。
「あ~、そういうことかい。しかしのう、今年は早ないか? いつもじゃったらもっと暑くなってからじゃろ?」
「今年はそれだけ数が多いってことじゃないっすか?」
「早々に上層のエサ食い尽くしちまったか。まぁ、ええわい。警備隊に伝えてくれ、居住区、商業区、家畜小屋、ラグー貸出所を重点警備、見つけ次第排除じゃ。それと、明日朝イチでエリノス行ってくれ。ハンディルに討伐隊の依頼じゃ」
「了解っす。人数どうするっすか? やつらの数が多いなら、前回より多めにハンディル雇うっすか?」
「うむ……いや、前と同じでええ。今年は、あやつがおるでな」
「あやつ?」
「そうじゃ、いるじゃろ、火力スゴいのが」
「ああ、そうっすね」
「面倒見てやってるんじゃ、存分に働いてもらおうかのぅ」
◇◇◇
「んん~、何だ?」
朝。騒がしくて目が覚めた。バタバタと走り回る足音、大きな声、怒鳴り声。
ドアを開け廊下を覗くと、
「コウ、起きたか」
デンバだ。
「何の騒ぎ?」
「ちょうど良かった、来い」
と言ってデンバは俺の腕を引っ張る。
「な、ちょ、ちょっと待って! 着替え……ちょっと!」
◇◇◇
デンバに引きずられ神殿に着いた。神殿内も騒然としている。
エリテマ神の大きな石像の前で、ルビングが修道士達に何やら話をしている。
「老師、連れてきた」
「おう、デンバ、待っとったぞ。コウ、存分に暴れてくれて構わん、頼むぞい」
「あの、何が……?」
「ん? ……聞いとらんか?」
「何も……」
「あ~、デンバよ。確かに連れてこいとしか
「む、そうか」
「……まぁ、ええわい、説明しちゃるわ。実はのう……」
「老師! 大変です!!」
若い修道士が慌てて走ってきた。
「なんじゃいな!」
「の、農場の方に、四十体ほど! 警備隊が押さえていますが、破られそうです!」
「デンバ! コウ連れて行ってこい! コウ! 実際見りゃあ分かる、
「コウ、行くぞ」
デンバはまた俺の腕を引っ張り走り出す。
「ちょ、なに? なんなの!?」
◇◇◇
農場に着いた。遠くの方で警備隊の修道士達が、黒い大きな何かと戦っているのが見える。
「……何だ、あれ?」
「コウ急ぐぞ、手遅れになる」
デンバに引きずられ、警備隊と何かに近付く。段々と、その何かがはっきりとしてきた。
「ん?」
「え……?」
「え、え……」
「う~わ!!」
小さな頭、大きな腹、全身真っ黒で毛が生え、長く太い足を巧みに操り動いている。何よりその大きさ、軽自動車くらいありそうだ。
「う~わ! もう……う~わ! デンバ! 何あれ……う~わ、キモッ!」
「イゼロスパイダー、イゼロンの
その何かは、黒くて大きな蜘蛛だった……
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