第190話 北へ

 昨夜。


 ジョーカー三番隊宿舎の二階の一角には女性隊員の部屋が固まっている。明確にその様な取り決めがある訳ではないのだが、普段男性隊員がその一角に足を踏み入れる事はまずない。それは当然、要らぬ誤解を招き己の立場を悪くしない為である。しかしこの時ばかりはそんな悠長ゆうちょうな事を言ってはいられない。ブロスは聖域とも呼べるその一角にズカズカと踏み込むと、とある部屋の前で立ち止まりその扉をガンガンと叩く。


「ライエ! いるんだろ? 出てこい! ライエ! おいライエ!!」


 するとカチャリと扉が開く。少しだけ開かれたその扉からライエはスッと半分だけ顔を覗かせ、そしてブロスの姿を確認すると面倒臭そうに問い掛けた。


「うるさいなぁブロス……何?」


「やっぱ部屋にいやがったか。ちっと顔貸せ」


「は? 何? 面倒臭いんだけど……じゃ」


 そう言うとライエは扉を締めようとする。しかしブロスはそれを許さない。ガシッと扉を掴むとグッと強引に開く。


「いいから来い! ここじゃ何だ、外行くぞ」


 そしてライエの腕を掴み部屋の外へ引きずり出した。


「ちょ! 何!? 何なの!? ちょっとブロス! 引っ張んないで!!」



 ◇◇◇



 宿舎の外に連れ出されたライエ。「何なの、一体……」と呟きながらキョロキョロと辺りを見回している。


「心配すんな、アイツはいねぇ。街に飯食いに出てるとよ」


「な……何言ってんの……アイツって誰よ……」


 モゴモゴと呟くライエを無視して、ブロスは早速本題に入る。


「ついさっきマスター……じゃねぇ、団長が来てよ。コウのヤツ、早けりゃ今夜中にもここを出てくんじゃねぇか、っつってよ」


「そ……!? そう……へぇ~、そうなんだ。あ、そう……じゃあ、あたしは部屋に戻るから……」


 そそくさと宿舎の中へ入ろうとするライエ。しかしブロスは逃がさない。すかさずライエの腕を掴む。


「待てっての! お前、そうやって部屋に籠ってアイツと会わねぇ様に逃げてんだろ」


「な!? そんなの……そんなのあんたに関係ないでしょ……」


「こないだ飲み屋で言ったよな? お前はアイツと話すべきだってよ。惚れてんだろ? その気持ちにふたしてなんかいい事あんのかよ? いいじゃねぇか、ついてきゃあよ。お前の判断に文句言うヤツなんて誰もいねぇぜ?」


「何あんた……あたしを追い出したいワケ?」


「そういう話じゃねぇ! お前は自由だって話だ! お前がジョーカーに入ったのは弟の為だろ。だがベクセールは職が決まった、もうお前が世話焼いてやる必要はねぇはずだ。お前の好きに生きていいだろって……」


「ダメなんだよ……」


「あ? 何がだよ?」


「今コウに会ったら、引き止めたくなるし……ついて行きたくなる……」


「……はぁぁ!? だからよ、そういう話をこないだから……」


「ダメなの! それじゃ……ダメなんだ……」


「何がダメなんだよ」


「プルームでコウがアイロウと戦ってるの見て思ったんだ。ああ、きっとこの人はもっと強くなる。もっと名を上げる。きっと誰もが知る様な、それこそレイシィ様みたいな、そんな存在になるって……」


「ハッ、結構な事じゃねぇか。そんだけ強かったらしっかり守ってもらえるぜ?」


「……だからだよ」


「話が見えねぇな。一体どういう事だ?」


「コウは優しいから、きっと何があっても守ってくれる。仮にあたしじゃなくったって、側にいる人は守る。そう思う。でもそれが足枷あしかせになったら? あたしが弱いせいで……あたしのせいでコウの身に危険が及んだら? それはダメ……絶対にダメ。それだけは絶対に許せない! コウの隣に立つには、あたしは未熟すぎるんだ……」


 時に声を張り上げ、時に絞り出す様に、ライエは自身の想いを語る。ブロスはその気持ちにある程度の理解を示しながらも、しかしそれでも食い下がる。


「お前……そんな小難しい事考えてたのかよ。まぁ分からなくはねぇ。だがよ、もっと単純でいいだろ? 側にいたいから側にいる、それじゃダメなのかよ? 男の立場で言わせてもらえればよ、側にいる女の一人や二人守るくらいは当然で……」


「それに!」


「……何だよ?」




「それにあたしも…………魔導師だから…………」




 その瞬間、ブロスは全てを理解した。ここまで頑固に考えを曲げないライエの、その気持ちの根底が見えたのだ。


(……そうか。単に惚れたからどうとかじゃくて、魔導師としての憧れや嫉妬みたいな……そんなもんも絡んでやがったか……)


 そしてブロスは思い出す。プルームでアイロウとの戦いを見ていた時のライエの顔を。


(なるほど、合点がいった。色んな想いと、色んな覚悟が混ざり合った……あん時のあれはそういう顔だったか)


 自らの想いを全て吐き出したライエはまるでき物が落ちたかの様な、どこか清々しささえ感じる様な、そんな軽やかな表情を浮かべた。


「だからね、コウには会わない。会えないんだ……あ、そうだ。これさコウに渡してくんない?」


 そう話ながらライエは左腕からブレスレットを外すとブロスに手渡す。


「オートシールドのブレスレットなんだけど……でもコウには必要ないかもね」


「……」


「あ、でも万が一って事もあるし……」


「…………」


「あ、でもアレかな、身に付けてた物渡すって……やっぱ重いかな……?」


「………………ッダアァァァァ!!」


 突如叫ぶブロス。そしてライエの腕を掴むと「来い!」と言って早足で歩き出す。


「ちょ……ちょっと、どこに……ちょっとブロス!」



 ◇◇◇



 ライエを引っ張ってブロスが訪れたのは厩舎きゅうしゃだった。厩舎きゅうしゃの中に入るとブロスは「おぉい! 馬出せぇ!」と大声で叫ぶ。すると驚いた厩舎担当の隊員が慌てて飛び出してきた。


「何だブロスか……どうしたよ一体?」


「賢くて大人しくて従順な馬だ。どれだ? 連れてこい」


「はぁ? 何だよ急に……」


「いいから早くしろっての!」


「わ……分かったっての! ちょっと待て!」


 ブロスの勢いに押された隊員は急いで馬を選びに行く。何が何だか分からないライエは戸惑いながら問い掛ける。


「ちょっとブロス……何なのよ?」


「やっぱお前は最後にコウに会うべきだ」


「な……!? 何勝手な事言ってんのよ! コウには会わないって……」


「分かってる! 顔を会わせろとは言わねぇ、話もしなくていい、ブレスレットも渡してやる。だが最後にアイツの姿は見ておくべきだ。俺もアイツにゃ用がある、だから……待ち伏せすんぞ!」


「……はぁぁぁ!?」



 ◇◇◇



「そうだろうなぁって……ブロス、何か知ってんの?」


 急にぼんやりとし出したブロスに妙な違和感を感じた。しかしブロスは「ああ……いや、何でもねぇ」と言葉を濁す。そして続けて「これ持ってけ」とズボンのポケットから何やら取り出して前に突き出した。それはバングルタイプのブレスレット。そしてそのブレスレットには見覚えがあった。


「これ……ライエが着けてたヤツじゃない?」


「ほう、目敏めざといな。ライエからの餞別せんべつだ。オートシールドの効果が付与ふよしてある。お前にゃ必要ねぇかも知れねぇが……まぁ着けとけ。それとな……」


 そう言うとブロスは木に繋いでいた馬を引いてくる。


「これ乗ってけ」


「え? これお前の馬じゃ……?」


「俺のじゃねぇ。厩舎で適当に選んで乗ってきたヤツだ。俺の馬なんて勿体なくて渡せるかよ。お前、かちって事は馬車で行くつもりだったんだろ? イオンザまでどんだけあると思ってやがる。まぁこれで馬車よりは早く着くだろうよ」


「いやでも……」


「ごちゃごちゃ言うな! 乗ってけってんだよ!」


「分かった分かった、ありがとうよ。そうだ、ライエに伝えて欲しいんだけだけど……」


「おう、じゃあデケェ声で言え」


「は? 何で?」


「いいからよ! デケェ声で話せ!」


 そう怒鳴りながらブロスは馬を繋いでいた木をチラリと見る。するとその木の後ろで何かがササッと動いたのが見えた。


(……ああ、そっか。そういう……)


 全てを察した俺はその木に向かい話し掛ける。


「ライエ! お互い生きてればまた会える! 絶対だ! 次に会ったら、またご飯食べに行こう! 約束だぞ!」


 しかし木の陰からは何の反応もない。が、聞こえているはずだ。するとブロスはスッと俺に近付き小声で問い掛けてきた。


(一応聞いとくがよ……お前、ライエの気持ちには……)


 ゼルといいブロスといい、コイツらは急に核心を突く。突然の事で少しばかり面食らいながら、しかしきちんと話さなければ、と思った。


(ああ……さすがにそこまで鈍くない、気付いてたよ。ライエはいいだ、正直嬉しい。でも……分かるだろ? 何がどうなるかまるで分からない俺のこの状況では……)


(ん。まぁそうだわな、連れては行けねぇわな。全く、いらねぇ秘密共有させられたもんだぜ。ま、誰にも言わねぇからよ、安心して行きやがれ)


「……ああ」


 俺は左手首にブレスレットを着けるとあぶみに足を掛けグッと馬にまたがる。大人しい良い馬だ。するとブロスは「あ~、何だ……」と頭をガシガシときながら話し出す。


「アレだ、望む望まぬにかかわらず、力ある者はその行使を求められる。黒でも白でもいいんだがよ、いつまでもその境界の上を歩き続ける事は出来ねぇ」


「ブロス?」


「いいから聞け。んでだ、いずれどこかを選ばなきゃならねぇ時が来るはずだが……まぁ、わずらわしかったらジョーカーを選べ。多分それが一番面倒がねぇ」


「えと……どういう事?」


「今は分からなくても、その内分かる時が来る。だから覚えとけ。ブロス様の金言だ」


「……分かった、覚えとくよ。じゃあ行く。またな、ブロス」


「おう。またな……コ……コウ………………てめその顔止めろ! さっさと行きやがれクソ魔ぁ!」


 真っ赤になりながら走り去る騎馬を見送るブロス。そしてその姿が見えなくなると、馬を繋いでいた木に近付き声を掛ける。


「行ったぜ」


「うん」


「よく顔出さなかったな」


「うん」


「……帰るぞ」


「……うん」


 スッと木の後ろから姿を見せたライエ。ブロスの後を無言のまま歩き出す。しばし歩くとおもむろにライエは口を開いた。


「また余計な事して……」


「あん?」


「コウ、あたしがここにいるって気付いてたよね……あんた教えたでしょ?」


「知らね~よ。勘でも働いたんだろ」


「ねぇ、何で馬一頭しか連れてこなかったの? 歩くのダルいんだけど……」


「しょうがねぇだろがよ、時間なかった訳だし……そんな言うならお前が一頭乗ってくりゃよかったじゃねぇか」


「何あの最後のヤツ……ブロス様の金言って……意味分かんない」


「うっせぇ! お前こそ分かってんのかよ!」


「何が?」


「イオンザだよ! どんな国か知ってんのかよ」


「ドワーフの国でしょ?」


「ドワーフがどんなんか知ってんのかって聞いてんだ」


「どんなのって……」


「ドワーフは美人が多い」


 ピクリ、とライエは反応する。


「お互い生きてりゃまた会える……まぁ確かにな。だが一人で、とは限らねぇ。次にアイツと会った時、横に美人ドワーフでも立ってるかも知れねぇぜ?」


 ピクピク、とライエは反応する。


「女だけならまだマシだ。ガキでも抱えてたらどうするよ? アイツだって男だぜ、何がどうなるかなんて……」




 スパァァン!!




「痛ぇ!!」


 ニヤニヤと笑いながら話すブロスの裏太ももに、切れのあるライエのローキックが炸裂した。


「てめ何しやがんだ!!」


「うっさいこのバカブロス! そんな事言うな!」


「可能性としてありるって話だろ! やっぱお前、ついてった方がよかったんじゃ……」


 スパァァン!!


「痛ぇぇぇ!!」

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