第191話 師の師

「これは……」


 それ以上、言葉が出てこない。レイシィは絶句した。本来ならば懐かしい街並みが迎えてくれるはずなのだ。しかし目の前に広がる光景は、見覚えのあるそれとは大違いの焼け焦げた街だった。


 東側から街に入ると程なくして見えてくるのは、漆喰しっくいで仕上げられた白亜はくあのエリテマ真教大聖堂。この地方随一の大きさを誇る大聖堂は当然人気の観光スポットにもなっている。が、木造の屋根は焼け崩れ白く美しいはずの外壁は真っ黒に変色、エリテマ神が地上へと舞い降りるさまを描いた大きなステンドグラスは、バリバリに割れてしまっており見るも無惨むざん様相ようそうだ。

 漂う焦げ臭さに顔をしかめながら、レイシィは大聖堂前の通りを西へ進む。通りに面した建物は軒並み燃えてしまっており、その家の住人かもしくは店主なのであろう、焼け崩れ瓦礫がれきと化した建物の前に座り込み、力なく項垂うなだれる人々の姿がある。

 そして街の中央へ。そこに広がるのは広大な敷地を誇る公園。当然正式名称はあるのだが、その長ったらしい名前を覚えている者はほとんどおらず、街の人々はもっぱら中央公園と呼んでいる。およそ街中にあるとは思えない程の大きなこの中央公園、周囲にはいくつもの学園が建ち並ぶ。この街、エムンデル王国第三の都市であるダイラーが知の都と呼ばれている所以ゆえんである。

 普段の中央公園であれば、それらの学園に通う多くの学生達の姿を見る事が出来る。周辺の店でテイクアウトした昼食を楽しんだり、教室の延長戦さながら激しく議論をぶつけ合うなど、まさに学生達が集ういこいの場である。しかしこの公園にも炎は押し寄せた様だ。木々は焼け草木は灰になり、緑溢れる美しかったその姿は見る陰もなく、今は焼け出された人々が肩を寄せ合う巨大な避難所と化していた。


 被害の大きさをまざまざと見せつけられたレイシィは、終始険しい表情のまま公園内を進む。レイシィの脳裏にはオルスニア王国、ラスカの街の光景が浮かんでいた。街の大きさや被害の規模は違えど同じ様に炎に包まれた街だ、どうしたってだぶってしまう。

 そして公園の中心にある噴水広場を北へ進む。その先、公園に面して鎮座ちんざするのはベルドムーア国立魔導学園。大陸一二を争う屈指の名門校、レイシィの母校だ。


(ここもか……)


 被害は学園にも及んでいた。本校舎の西側、三分の一程度が焼け崩れている。その後方には貴重な書物が納められた書庫がある。よもや灰になどなっていないだろうか……


「ふむ、見慣れぬ者がると思うたが、見知った顔であったか……」


 背後から聞こえてくる聞き慣れた声に自然と背筋も伸びる。振り返るとそこにはあんじょう懐かしい顔があった。真っ白なローブを羽織はおり、そのローブに劣らぬくらい真っ白な頭の老人。しかし鋭い眼光は昔のままだ。レイシィはその老人に近付くとうやうやしく挨拶をする。


「ご無沙汰しております、先生」


「ふむ、最後にうたのはいつだったか……時の流れとは偉大よの、よもやそなたの口から敬語なる言葉が出てくるとは」


「先生、私もいい大人ですよ?」


「確かに。しかしこれはいささか……むずがゆいと言おうか、収まりが悪いと言おうか……ふむ、以前の様に話す事を許可しようぞ」


「そうですか……? いや、それは助かる。私もその方が話しやすい」


 ニカッと笑うレイシィを見て「そなたも変わらぬな」と呆れる様に話す老人、ネイザン・リド。ベルドムーア魔導学園の学長にしていまだ教壇に立ち続ける現役の講師であり、そして学園在学中のレイシィに魔法の全てを叩き込んだレイシィの師に当たる人物だ。


「さて、かつての悪童が斯様かようおりに一体何用で参ったのか。街の惨状さんじょうを聞きつけ見舞いにでも来たというのなら殊勝しゅしょうであるが……見ての通り、今必要なのは見舞いの言葉ではなく後始末に従事じゅうじ出来る人足にんそくであるぞ」


「勿論手伝える事は手伝うし、街や学園が気になったのも事実だよ。だが先生、私の一番の目的は仕事だ」


「ほう、仕事とな……そなた今、何をしておるのか」


「国仕えさ。東のオルスニア王国の魔導院だ。誇ってくれていいぞ、かつての教え子が今では宮廷魔導師長。オルスニアでは国王に次ぐ権力者だ」


「ふむ……まぁそなたの能力と功績を考えれば、何の違和いわもない話であるな。してオルスニアとは、東の大同盟の盟主国であったか……なるほど理解した。そなたの目的はオークであろう? 大同盟はオークの襲撃が切っ掛けでったと聞いておる」


「さすが先生、話が早い。説明の手間がはぶけるよ」


「ここでは何だ、わしの部屋へ行こうぞ」



 ◇◇◇



 時間を少しさかのぼる。


 レイシィとエルバーナ大同盟、対オーク特務機関エルバ局長、ニール・ネイトがエス・エリテを訪れて二ヶ月。ハイガルド王国によるイゼロン山への侵攻に従軍していたオーク兵に対する調査が終わった。そしていざ東へ帰還しようとイゼロン山を下山したその矢先、ふもとの街エリノスにて驚きの情報を入手する。


 エムンデル王国、知の都と称されるダイラーがオークの集団に襲撃された。


 大陸南西部に位置するエムンデル王国。国土も小さくこれといった産業もない小国家だが、知名度は高く他国からも一定の評価と敬意を持たれている。理由はこの小国に数多く点在する学校や研究施設だ。学びを求めるならエムンデルへ、と言われる程この国の学術への意識は高い。この国で学んだ者が故郷へ戻り、様々な事柄をその地に広め根付かせる。あらゆる知識や技術を大陸中に浸透させる、その源流となっている国なのだ。


 一報を聞いた二人はここで二手に別れる決断をする。ニールはエス・エリテで得た情報を東へ持ち帰り、レイシィはこのままエムンデルへ向かい更なる情報を集める、というものだった。レイシィにとってダイラーは第二、いや第三の故郷とも言える街である。良く良くオークとは因縁がある、レイシィはそう思った。



 ◇◇◇



 二人はネイザンの学長室へ。名門校の学長室とは思えない程質素なその部屋は、必要最低限の物しか周りには置かないというネイザンの性格を良く表していた。ソファーに腰を下ろしたレイシィは部屋の中を見回し、変わっていないなと懐かしく思った。


「――ほう、エス・エリテへ行っておったか。ルビングは息災であったかな?」


「ああ、元気も元気。しかし……」


「何か?」


「いや……老師も先生もそうなんだが、前に会った頃とまるで変わっていない。不老の術でも使っているんじゃないか……ってね」


斯様かような術があるのなら貴族共にでも施して、今頃はひと財産築いておるだろうよ。わしもルビングも好きな事しかしておらんのだ、老いる訳がなかろう。恐らくは、ゼントスもな」


「なるほど。確かにそうかも知れないな。ヨボヨボのゼントスなんて想像も出来ないね」


 と言いながらも、腰の曲がったゼントスの姿を思い浮かべてプッと吹き出すレイシィ。ベルドムーア魔導学園学長のネイザン、エリテマ真教大司教のルビング、そしてジョーカーいち番隊マスターのゼントス。この三人、歳はいくらか違えど同郷で友人同士なのだ。


「して、エス・エリテには何用で行っておったのか? よもや単に里帰りという訳ではあるまいよ」


「何だ先生、知らなかったのか? ハイガルドがエリノスに侵攻した」


「それは聞いておる。退しりぞけたともな」


「そのハイガルド軍だが、オーク部隊を率いていた」


「何と……それは知らなんだ、そこでもオークか……」


「しかし先生、随分と手痛くやられた様じゃないか。まさかこの学園まで被害にっているとは……」


「全く、返す言葉もなしとはこの事であるな。よもやこの知の都を蹂躙じゅうりんせんとする不届き者があろうとは、わしを含め誰の頭にもよぎらんかったのだよ。そも、この国は建国以来戦乱とはあまり縁がない。斯様かような小国、攻め落としたとて大したえきもなかろうでな。まぁ一言で申せば平和ボケしとったのであろう。ゆえにこちらの対応は後手後手であったわ。しかしそれを良い事にオーク共め、そこら中に魔法を放ちおってからに……」


 ネイザンの口からさらりと驚きの言葉が飛び出した。一瞬聞き流しそうになったレイシィだったが慌てて聞き返した。


「ちょ……待ってくれ先生! オークが魔法を使ったと……!?」


「何を驚く。オークであろうが人であろうが、知性ある者は魔法を使う。世の常識であるぞ?」


「操られてはいなかったのか?」


「操られ……? ふむ、ふむふむ……」


 宙の一点を見つめネイザンは何やら考え込む。思案の仕方も昔と変わっていない。


「まぁ違和感はあった。皮膚の色から察するに魔力干渉を受けていたとは思うが、しかし暴走しているという素振りは一切なくむしろ……そうであるな、何の迷いもなく行動しておったという印象か。それはもう、不自然な程にな。そも、一千からのオークが皆魔力干渉を受けた状態だというのもおかしな話。だが……」


 再び宙を見つめるネイザン。しかし何かを見ている訳ではない。視覚に聴覚、思案の邪魔になる不必要な情報が頭の中に流れ込まない様シャットアウトしているのだ。


「ふむ……そなたの言う通り、操られておったと言うのならばに落ちるか……そなた確か、その手の研究をしておったな?」


「ああ。だが理論だけだ、実証は出来なかった」


「ではそなた以外にその研究を実証まで導いた者がおると……どこの誰とも分からぬ者にまんまと出し抜かれた訳か。これはそなたを一から鍛え直さばならんな。ドクトルなどと呼ばれそなた、気を抜いておったのではないか?」


「はぁ、相変わらず先生は手厳しい。学生時分を思い出すよ、随分としごかれたものだ」


「何を申すか。あの程度、でておったのと変わらんよ」


「なるほど、先生の手は刃物で出来ていたと見える。でられてあんなズタボロになるんだからな。だが先生、私は別に万能ではない。先生だってそうだろ? 出来ない事なんていくらでもある。そして私達に出来ない事をやれる人間がいるのも事実……これは東を襲ったオーク達が持っていた物だ」


 そう話ながらレイシィはバッグから魔法石を取り出しテーブルに置く。


「こういう物を作り出せる者を、天才と言うんだろうな」


 ネイザンは魔法石を手に取ると近付けたり離したり、目を細めて魔法石の術式を読み取ろうとする。


「ふむ……あかりの魔法石……ではないな。これは……何の術式か……ふむ、見えん」


 すぐにあかりの効果はダミーだと気付いたネイザン。小さく彫り込まれた別の術式を発見した。しかし小さすぎるその術式はぼやけて見えてまるで判別出来ない。ネイザンは諦めて魔法石をレイシィに返した。


「ハハ、先生が歳相応に衰えている事が分かって安心したよ。不老の術は存在しない様だ。これはね、転移だよ先生」


「な……転移だと……!?」


 思わず身を乗り出すネイザン。普段冷静なネイザンがここまで驚く事はあまりない。レイシィはそんな恩師の珍しい姿を見てクスリと笑った。


「笑い事ではないぞレイシィよ……ありん……ありんぞ……! 世のことわり一切合切いっさいがっさいをねじ曲げくつがえす様な……転移の魔法なぞそういう類いの話であるぞ!」


「あぁ先生、良く分かる。良く分かっているよ。だが私はこんな言葉を学んだ。あり得ない事なんて、この世にはあり得ない。どんなに荒唐無稽こうとうむけいな事も、どんなに不条理ふじょうりな事も、何だって起きてしまうのが世の中だ。この学園で学んだ言葉だよ先生、忘れたのか?」


 レイシィの言葉を聞いたネイザンは、フッと全身の力が抜けた。そしてソファーの背にもたれると肩を揺らしながら笑い出す。


「フ……フハハ……フハハハハ! やれやれ、そんなつもりはなかったのだがな、どうやらわしはしっかりと老いておった様だ。不老の術があるのならずは自分に施さねば……覚えておるよ、レイシィ。それはわしの言葉だ」

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