第262話 狭い戦場

「……話はまとまったのか?」


 ミュラーはスッとイベールに近付くとそう問い掛けた。イベールが切り札と呼んだ男とイベールの会話。内容までは聞こえなかったものの何やら不穏ふおんな空気が漂っていると、ミュラーは二人の表情からそう感じていた。ミュラーに問い掛けられたイベールは「は! とどこおりなく!」と先程と変わらぬ様子で返答する。


「何をたくらんでいるかは知らんが、状況改善の足しになるんだろうな?」


「は! それは勿論! ご心配なく……」


 そう答えたイベールはかすかに笑っていた。「ふん」と鼻を鳴らすとミュラーはイベールの側を離れ部隊の指揮に戻る。


(魔導師と剣士……一人二人増えた所で……)


 ミュラーは副官を呼ぶと「弓兵の狙いが粗い。暗いのは分かるが数より精度に注力させろ」と指示を出した。


 レクリア城南北の門の前には広場がある。北門前広場は公園として整備されておりそれなりの広さがある。対し南門前広場は石畳が敷かれたちょっとした広場、といった感じだ。そんな然程さほど広くもない場所に敵味方合わせ三百もの戦士がひしめき合っているのだ、混乱しないはずがない。


「ぬぅぅぅぅっ!!」


 うなる様な掛け声と共に兵はオークの腰辺りに剣を突き刺した。


(次は……!)


 剣を抜きながら兵は周りを見ようと顔を上げる。しかし兵の意識はそこで途絶えた。きっと彼は認識すら出来なかっただろう、自身の胴を真っ二つにされた事を。巨大な剣を振り回したオークは、周りにいる二体のオークを巻き添えに五人の兵に致命傷を与えた。しかしそのオークも剣を振り終えた直後に絶命する。広場の外から狙いを定めた弓兵の矢が顔面に突き刺さったのだ。


(クソ……クソッ!)


 兵の一人が構えた剣を小刻みに震わせながらキョロキョロと辺りを見回している。周り中敵だらけで同時に味方だらけというこの状況。後方からは「押せ! 押せぇ! 壁だ! 隊列を……!」などと相変わらず訳の分からない指示が飛んで来る。


 どれを攻撃すれば良い? どう動けば仲間の邪魔をしない?


 兵はどうしたら良いか分からなくなっていた。と、左斜め前。味方の兵を背後から襲おうかというオークの姿が目に飛び込んで来た。大鎚ハンマーを肩口まで振り上げて今にも振り下ろさんとするオーク。気付いているのは……自分だけか!


「えぇい……!」


 兵は飛び出した。大鎚ハンマーが振り下ろされる前に、何とか……


(……うっ!?)


 しかし飛び出したその瞬間、オークはギロリとこちらを見た。オークの目には黒目がない。眼球全体が白く濁った様な色をしている。しかしそれでも兵は思った。目が合ったと。現にオークは左手を大鎚から離しこちらに向けた。


(魔法!? クソッ!!)


 飛び出した直後に反応された。こちらはまるで無防備だ、このまま魔法を放たれたら直撃する。魔導具のオートシールドを信じこのまま突っ込むか、それとも何とか体勢を整え回避するか……


 ボン!


 兵は驚いた。鈍い音と共に突如オークの顔が爆炎に包まれたのだ。と同時に「今だ!」と背後から響く声。一体何だ? 誰だ? しかし確かに、今だ。オークはまるで隙だらけで立っている。


「ぬぅん!」


 兵は剣を低く構え勢いのままオークのふところまで突っ込むと、その腹の辺りの装備の隙間へじ込む様に剣を突き刺した。オークはうなりもせず、糸が切れたかの様にその場に崩れ落ちる。兵は剣を抜くと後ろを振り向いた。そこには指揮官の名を呼び何やら叫んでいる男の姿があった。



 ▽▽▽



「援護する! 牽制けんせいしたオークを仕留めろ!」


 俺は周囲の兵に向け大声で叫んだ。続けざま、目に付いた数体のオークの顔面へ魔弾を放つ。ボンボンボンと着弾した魔弾は炎を上げ、辺りを明るく照らし出す。すぐさま「今だ!」と声を上げた。それだけで勘の良い兵には伝わった様だ。数人の兵が顔を焼かれたオーク達に向かってゆく。


(けど……これじゃ負ける……!)


 数ではまさっている。だがこんなバラバラに戦っていたのではすぐに行き詰まる。俺は跳ね橋前に陣取って相変わらず何やらわめいているイベールに向かい叫んだ。


「イベール!! 魔導兵に俺の動きを真似させろ!!」



 ▽▽▽



「おいそこの治癒師! 前に出過ぎだ! 貴様らがられたら隊が崩壊する! それくらい分からんか!」


 跳ね橋前の本陣には指揮官であるミュラーとイベールの他、弓兵や魔導兵、治癒師達が控えている。弓兵と魔導兵は後方からの支援を、治癒師は次々運び込まれる怪我人を治療していた。そしてイベールは……


「左翼ぅ!! 押し込まれるなと言っている!! 壁を作れ! 逆に押し込め!」


 この混戦状態では極めて難しいであろう滅茶苦茶な指示を飛ばしていた。


(クッ……まずいぞ……)


 このままでは持たない。ろくに指揮などした事がないイベールにもそれくらいは分かる。ちらりとミュラーを見ると、戦場を指差しながら副官とおぼしき部下と何やら話している。見る限りミュラーの隊はあまりバタついていない様だ。


(魔導師め……まだか……!)


 戦場に視線を戻すとイベールはいけ好かない魔導師の姿を探す。と、


「イベール!! 魔導兵に俺の動きを真似させろ!!」


 広場のほぼ中央、いけ好かない魔導師がこちらを見ながら叫んでいる。


(何を偉そうに……使うのは俺だと言ったはずだ!)


 イベールはギッと奥歯を噛むと「魔導兵! アイツだ! 迅雷を真似して動け!」と指示を出す。魔導兵達は互いに顔を見合わせて戸惑った様子。するとその内の一人が「指揮官殿!」と声を上げた。


「何だ!」


「は! あの……動きを真似するとは、我らもあの中に入り、その……」


 口ごもる魔導兵にイベールは「そうだ!」と答えた。


「ここから狙えるのであれば別に構わんが……出来るのか!」


 再び顔を見合わせる魔導兵達。さすがに無茶を言っていると、この時ばかりはイベールにもその自覚があった。魔導兵の身体能力が一般兵に劣るのは明白。それをあの混戦の中に飛び込めと言うのだ、彼らが躊躇ちゅうちょするのも無理はない。加えて彼ら魔導兵達はどうやら皆新兵の様なのだ。ならば経験不足もいなめないだろう。「ふぅ……」とイベールは息を吐く。そして「心配するな」と魔導兵達に語り掛ける。


「治癒師共々、貴様ら魔導兵はかなめの一つ。貴様らに何かあったら真っ先に治療してやる」


 そして後ろを向くと「治癒師!」と叫ぶ。


「魔導兵の優先順位は第一位だ! 仮にミュラー将軍が負傷したとしても、先に治すのは魔導兵だ! 良いな!!」


 くるりと魔導兵達に向き直すイベール。「まだ何かあるか!」と魔導兵達に怒鳴る。すると魔導兵達は慌てる様に戦場へと駆けて行った。



 ▽▽▽



「威力を意識する必要はない! 軽く顔を焼くくらいでも構わない!」


「「「 はっ! 」」」


 ふむ、良い返事だ。見た所彼らは皆俺より若い。新兵だろうか? だったら尚更なおさらこんな戦いで死んではならない。まぁそれはそれとしてだ、釈然しゃくぜんとしない事が一つ。何故なぜ俺が教える事になってるのだろうか。


 イベールのもとから十人程の魔導兵が俺の側まで駆けて来た。そしてどういう訳か指示をくれと言う。イベールに聞いていないのかと問うと、イベールは俺の真似をしろとだけ言ったそうだ。それを聞いて俺は思わず力が抜けた。

 まぁ確かにそうなんだが……俺もそう伝えたし。でもアイツ、俺の行動の意図は分かっているはずだし。今もさっきも、俺が何やってたか見てた訳だし。だからその辺の事はそっちで教えといてくれって話だし。何でこっちに面倒掛けさせるか!


 やっぱアイツダメ軍人だ。


(こっちはそれどころじゃないんだが……)


 魔導兵に一通り教えながら、俺は戦場をあちらこちらと見回す。ロナの姿が見えないのだ。俺がイベールと話し始める前に早々に戦場へ出たはずだ。だがどこにも姿が見えない。ロナに限ってとは思うが、しかしこんな混戦状態では何が起きてもおかしくは……


(いた!)


 そこは戦場となっている広場の端の端、城壕しろぼりに沿った道。すぐに暴れ回るオークとそれを仕留めんとする兵達の影に埋もれる様に隠れてしまったが、雨に濡れて重たそうなブロンドの髪を激しく揺らしている、そんなロナの姿がはっきりと見えた。


「ここは任せる!」


 俺は魔導兵達にそう告げると混戦の最中さなかう様に走り出す。


(あれはさすがにまずい……!)


 ロナは数体のオークに取り囲まれていた。



 ▽▽▽



 ドゴンと激しく地面に打ち付ける大鎚をかわすと、ロナはすぐさま距離を詰め攻撃体勢に入る。が、横から迫る巨大な剣を察知して再び距離を取った。すると背後から唸り声。瞬間振り向いたロナは斜めに振り下ろされる大鎚を確認すると、更に左へ跳んでそれをかわす。


(くっそ……)


 あまりに狭く窮屈きゅうくつだった為、戦いながら広場の中央付近から徐々に東側へ流れて行ったロナ。気付けば六体のオークを引き連れていた。しのもロナも援護のない状況でオーク六体を相手にするのは難しい。その攻撃をやり過ごすので精一杯だった。


 すぐ右のオークが左手を突き出した。魔法か。この近距離で放たれてはどうしたって当たってしまう。ロナは慌てて後ろへ跳んだ。一先ひとまず距離を取り、えて魔法を撃たせよう。その後左右どちらかに跳び、魔法の射線上から外れよう。そう考えたのだ。果たしてその作戦通り、オークの放った魔弾を左へ跳んでかわす。しかし跳んだその先に誤算があった。


「がっ!?」


 ロナは驚きと痛みで思わず声を上げる。跳んだ先にはオークがいた。跳ぶ前にはいなかった、確認した。どうやら回り込まれた様だ。そしてその大きな手で左肩から首の辺りをガッチリと掴まれたのだ。


「ぐぅ……あぁぁ!!」


 オークの指が身体にめり込む。みしみしと、きしむ様な音が身体の中から響いてくる。とんでもない力だ、このままでは握り潰されてしまうのではないか。ロナは剣をグッと握り締める。気を抜けば剣を落としてしまいそうになる。


(こ……の……!)


 首か? それとも腕か? どこなら斬れる? ロナは痛みに耐えながら握った剣を持ち上げる。


「……っがぁぁぁぁぁ!!」


 しかしオークは更に力を込めた。耐え難い激痛が走る。ロナは叫んだ。と同時に、身体がふわりと地面から浮いた。


(な!? ちょ……と……ぐぅぅっ!)


 高くなる視線。のしかかってくる様な重力を感じ、痛みは更に増す。オークの醜い顔がすぐ斜め下に見える。オークは片手でロナを掴んだまま持ち上げたのだ。そしてブゥンと前方へ勢い良く投げ付けた。


 飛んでいる。投げられた。


 ロナはそう理解した。知っていたはずだ。人が投げられているのを見ていたはずだ。何故なぜ掴まれた直後に腕を斬るなりして対応しなかったのか。いや、今考えるべきはそれじゃない。


 どこだ、どこに投げられた。


 街の方か、城の方か。どちらにしても、そこにあるのは壁。建物か、城壁か。この勢いで衝突したらさすがに……


(死…………)


 ドン! と身体全体に衝撃を感じた。あとはもう、訳が分からなかった。再びの衝撃とぐるぐる回る視界。気付けば目の前に誰かいる。何か言っている。


「ロ……ナ……ロナ……! 無事か!!」



 ▽▽▽



(まずい! まずいまずい! あれはマズい!!)


 目の前のオークを、兵をかわしながら、俺は隠術いんじゅつで加速する。一歩二歩三歩と加速する。限界は四連続くらいか。それ以上の連続加速は身体が持たない。だが言ってる場合じゃ……


(……ない!!)


 五回目の加速。俺は宙に跳んだ。踏み込んだ左足、膝にビキッと痛みが走った。だが大丈夫、これで届く。ロナがオークに掴まれ持ち上げられているのが見えた。そのあとはどうなるか? 想像にかたくない。あんじょう、物凄い勢いで投げられた。あのままでは通り沿いの建物に激突する。ほんの少しロナに気付くのが遅かったら間に合わなかっただろう。それくらいギリギリの状況だった。だが間に合った。


(捕……まえた!!)


 建物の壁に激突する寸前、空中で精一杯伸ばした俺の手はロナの身体を捕まえた。瞬間引き寄せる様にロナをかかえる。が、このあとは?


(ごめんロナ!!)


 あとは地面に落ちるだけだ。ドン! と背中に強い衝撃。グッと息が詰まる。ゴロゴロと地面を転がり建物の壁際でようやく止まった。


「……ぐ……うぅ……」


 スムーズに息が出来ない。背中は? 骨は? でもその前に……


「ロ……ナ……ロナ……! 無事か!!」


 俺の身体の下で地面を背にしたロナは呆然としている様子だった。目の焦点が合っていない感じだ。しかしすぐにロナは俺を見た。


「ロナ! 大丈夫か! ロ……うおっ!?」


 ロナは俺の首に手を回しギュッと抱き付いた。そして耳元でささやく様に言った。


「……死ぬかと思った」


「ああ……でも生きてる」


 俺がそう返すとロナは首に回した手を放す。そして俺の顔を見て「へへ……また助けられた」と笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る