第263話 正邪の線引き

「ロナ、怪我は?」


 俺は治癒魔法で痛みを散らして何とか立ち上がる。そして隣で座り込んでいるロナに手を伸ばした。ロナは俺の手を掴むと「うん、左……肩……」と自身の身体の様子を確かめながら立ち上がる。しかし途中で「……つっ!」と顔をしかめながら声を漏らした。肩の状態が良くない様だ。


「とにかくイベールの所に行こう、治癒師が……」


「コウ!」


 突如ロナが鋭い声を上げた。その目は俺の後ろを見ている。振り向くと少し先に、こちらに向かい歩いてくるいくつかの大きな影があった。ついさっきまでロナを取り囲んでいたオーク達だ。


「執着スゴイな……ロナ、アイツらに何かした?」


「う〜ん……私の魅力にヤラれちゃったとか?」


「オークが……ロナに……」


(それは……ロナを雌オークだと思って……?)


 勿論口には出していない。しかし俺の表情から読み取ったのか、ロナは「おい」と俺の腹にパスンと拳を打ち付ける。そして眉間にシワを寄せクッと睨む様に俺を見た。


「今私の事、雌オークかって思ったでしょ?」


「………………プッ……」

「フフ……フフフ……」


「「 アハハハハ! 」」


 漂う沈黙の中、顔を見合わせていたら何だがおかしくなり二人して笑ってしまった。ロナは迫るオークに視線を移すと静かに言った。


「ごめんコウ。さっき投げられた時、剣どっかに飛ばしちゃった。私今、何も出来ないや」


「ああ、大丈夫。あれくらいならどうとでも出来る」


「何か……やるんでしょ?」


「何か……って?」


「さっきバカ軍人と話し込んでた。私も手伝いたいけどもう……」


「いや、充分だよロナ。充分だ……」


 俺はそう返すと右手を前に突き出す。


(さて……)


 周りに兵はいない。だがその瞬間、どう状況が変化するか分からない。デカい魔法は使わない方が良いだろう。試してみたい魔法もいくつかあるが……やはり慣れた魔法やつか。


 シュッと放った魔弾まだんはすぐにパッと二十個程に分裂する。それらはオーク達の上半身に向けて飛んでゆき、着弾と同時にボボボボンとオレンジ色の火を噴いて爆発する。更に一発、続けてもう一発、もう一発……連続で放たれる魔散弾まさんだんはオークの分厚い装備などお構いなしにボボボボボンと爆発し続ける。まるで爆竹の束に火を点けたかの様に、終わる事なく爆発し続ける散弾は激しく辺りを照らし出す。例え一つの威力は小さくとも、それを連続で浴び続けるのがどれだけ危険な事か。あんじょう、オーク達はすぐにその足を止めた。

 高々たかだか数体、そしてこの距離ならば顔面に高速旋回させた魔弾まだんを放てば事足りる。頭に大穴を空けてやれば良いだけだ。仕留めようと思えばすぐに出来た。だがそんな気にはならなかった。


 ロナが死にかけたのだ、そのむくいは受けさせなければ。


 連中は痛みを感じない。恐怖を感じない。だから意味のない事だというのは理解している。だがこれでいくらか気が晴れる。


 ボボボボボボ……


 やがてオークは一体、二体と地面に崩れてゆく。俺は魔散弾まさんだん射出しゃしゅつを止めた。最後に残った一体はぐらぐらとその大きな身体を前に後ろに揺らしながら、それでもかろうじてその場に立ち続けている。鎧は真っ黒に焦げ付き、肌が露出している上腕は焼けただれて血が流れ、集中的に散弾を浴びせた顔は目が潰れ、皮膚が裂け、腫れ、えぐれ、もはや何の生物なのか分からないくらい変貌へんぼうしていた。


「……タフだな」


 操られている、とは言うが実際の所それはどういう状態なのか。個人の意識はまったくないのか、それとも意識は保持した上で命令を遂行しようとしているのか。あれだけの攻撃を浴びてそれでもなお、今お前が立っているのはどういう理由からか……いずれにしても、憐れとしか言い様がない。


 シュッと放った魔弾がオークの顔面を貫いた。



 ▽▽▽



「ふんっ、何をもたもたやっているのか……あんな事が出来るなら最初からやれば良い!」


「……お前分かってる? あんなもんその辺でやったらお前の部下も巻き添えだぞ」


「脳筋殿も随分とご活躍だ。剣を失くしたのんびり怪我の治療とは……」


「…………斬る。コイツ斬る、絶対斬る! 止めないでよコウ!!」


「ハッ! さすがは脳筋殿、剣がない事をもうお忘れか!」


「ムガ〜〜〜〜!!!! こちとらお前の何倍も働いてるわ!! このクサレバカ軍人!!」


 ロナの怒りの声が響く。俺はロナを連れてイベールのもとへ戻り治癒師にロナの治療を頼んだ。ダグベ兵達は良くやっている。だが……


「おい魔導師、まだか? これ以上の被害はさすがに……」


「…………」


「おい!」


 分かっている。正直もう少し数を減らしたい所だが、これ以上はまずい。こちらの被害が大きくなり過ぎる。


「……やる」


 俺は小さくそう答えた。イベールに聞こえていたかは分からないが、再び戦場へと進み出る俺の姿を見たイベールは「貴様ら! 迅雷を守れ! 豚を近付けさせるな!」と前方の兵に指示を出した。どうやら俺の意図は理解した様だ。


「スマイガ、クヨシン、バンロ……」


 呪文を詠唱えいしょうし終えると前に出した両の手のひらから、薄っすらと光る糸の様なものが何本も顔を出す。そしてそれらはシュッと戦場に散らばる様に一斉に飛び出した。向かう先は地面に横たわる亡骸なきがら。飛び込む様に亡骸なきがらに入った糸は俺とその亡骸とを結ぶ回線。


 ビクンッ……


 戦場中の亡骸が一斉に大きく跳ねる様に反応した。当然その奇妙な異変に兵達は気付き驚いた。戦場を一瞬、静寂が包む。


 ビクンッ……ビクッ……ガチャ……ガチャガシャ……


「あ……あぁぁ……」


 兵達は声にならない声を漏らす。ただ呆然とその光景を見つめていた。いや、兵だけではない。ロナやミュラーも同じだった。唯一人、イベールを除いて。


「ハ……ハハ……ハハハハハァ! これはスゴい……聞きしに勝るとはこの事だ! 良いか貴様らァ! 今立ち上がったのは敵にあらず! 味方だ! 我らの味方だァ!!」


 戦場にイベールの声が響く。顔を突かれ、首を斬られ、腹を裂かれ、その傷口から腸がでろりと垂れ下がり、流れる血が雨水と混ざり身体中を真っ赤に染めた、殺したはずのオーク達がゆっくりと立ち上がった。


 操死術そうしじゅつにより俺の手足となった死んだオーク達だ。


(……生きているオークをほふれ)


 そう念じると死んだオーク達は一斉に動き出す。その数は五十体程か。だが敵はその倍はいるだろう。戦力差を考えるともう少し欲しかった所だ。ちなみに他に戦力になりそうな亡骸もあるのだが……それはさすがにやろうとは思えなかった。兵達を手足には出来ない。


「グゥゥ!」


 生きているオークは大鎚ハンマーを振り下ろす。それは死んだオークの左肩に直撃した。死んだオークの左肩は潰れ、左腕はだらりと変な位置でぶら下がっている。しかし死んだオークはお構いなしに右手を振り上げると生きているオークの顔面を殴り付けた。グチャッと顔が潰れる。


 死んだオークは生きているオークの左腕を掴む。バキンと大きな音と共に左腕は籠手こてごと握り潰された。そのまま死んだオークはその左腕を引き千切る。そしてその左腕をこん棒よろしく生きているオークの頭へ叩き付けた。


 死んだオークは生きているオークと組み合った。しかしその物凄い力は生きているオークを圧倒する。死んだオークは生きているオークの頭に手を伸ばすと、その口に右手を突っ込みがっちりと下顎したあごを掴む。そしてブチブチッと下顎したあごを引き千切り、その下顎を顔面へ突き刺した。


 誰も声を上げる事が出来なかった。そこかしこで繰り広げられる信じられない、異常な、おぞましい光景。何が起きているのか、何を見せられているのか。驚き、困惑、恐怖……その感情のみなもとが何なのか分からず、ただ黙ってその光景を見ているしかなかった。


「……何だこれはぁぁぁ!!!!」


 そんな異常な場を切り裂く様に怒鳴った者がいた。ミュラーだ。ミュラーはイベールに駆け寄るとグッとイベールの胸ぐらを掴み「これは何だ! 何なのだ!!」と詰め寄った。


「……は。私の切り札です。全く、見事なもので……」


「正気か貴様ァ!! あれは……あれは屍術しじゅつではないか……奴は屍術師しじゅつしだ!!」


「いいえ将軍、奴は屍術師しじゅつしではありません。魔導師で……」


「知った事か!! あんなものを……あんなものをここで使うなど……!」


 グイグイと掴んだ胸ぐらを乱暴に引っ張りながら、ミュラーは怒りに任せイベールを怒鳴りつける。イベールは「はぁ……」と面倒臭そうに息を吐くと「それが何か?」となかば挑発する様に言った。


「な……貴様一体何を言っているか……!」


「あれが屍術しじゅつだとして!」


 ミュラーの怒り声をさえぎる様にイベールは声を張り上げた。


「……あれが屍術だとして、それが何だと言うのですか。あのまま戦っていた所でこの場を守り切れていたかどうか……それは将軍とてご理解されているはずです」


「それは……だがだからと言ってあんな不浄な力をここで……この国で使って良い理由にはならん!!」


「お言葉ですが将軍、力は単に力に過ぎません。ただその者に備わっているものであり、振るった際に生み出される現象、結果、効果に過ぎません。力そのものに正邪は存在せず、それを使う者の性質によって判断されるべき事と存じます」


「では……貴様のその理屈では……あの切り札とやらは正しき者だと……?」


「は。それは分かりかねます」


 イベールは鼻で笑う様に答えた。お前はまるで何も分かっていない、何を頓珍漢とんちんかんな事をのたまっているのかと、そう揶揄やゆしているかの様に。ミュラーの怒りは頂点に達した。両手でイベールの胸ぐらを掴むと「……貴様ァァァ!!!!」と鬼の形相で怒鳴る。しかしイベールは冷静だった。「ならばお伺い致します!」とミュラーに問い掛ける。


「将軍は正しき力が及ばず死んでしまうのを良しとされるのですか?」


「な……何を……」


「仮に邪悪な力で救われたら、それはしき事なのですか? 邪悪な力で救われる我々は邪悪な存在なのですか? 邪悪な力で救われるこの国は邪悪な国なのですか?」


「そ……それは……」


 口ごもるミュラーを真っ直ぐに見て、イベールは更に問いただす。


「正邪の線引きなどこの場では取るに足らぬ些事さじであると考えます! 死ねばそこで全てが終わるのです! ならば何であれ……例えどんな外法げほうもちいようが生きてこそとは思われないのですか!! ドワーフは死に様にこだわる……それは当然理解しております。しかしそれが全てに国民に当てはまる思想とは到底思えません! 耳障りの良い正義感に巻き込まれ死んでゆく国民達に、それで良いのだ、それでこそドワーフだと、胸を張ってそう言えるのですか!!」


「…………」


「私の父は……父上は国を守る為に戦場に出たのだ……父上が文字通り命を懸けて守ったこの国を……この国を陳腐ちんぷな正義感の犠牲にするつもりはない!!」


 今にも嚙みつかんばかりの勢いでイベールは吠えた。ミュラーは完全に黙り込む。そして静かにその手をイベールから離した。


(使えるものは何だって使うと……手段は選ばないと、そう決めた。決めた……)

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