第264話 共食い
「貴様ら! 何を
イベールは前に進み出ると戦場へ向け大声で叫ぶ。信じられない光景に呆然としていた兵達は我に返った様に一斉に動き出した。そんな様子を無言で見ていたミュラー。その視線を治癒師の治療を受けながら、同じく無言で戦場を見つめるロナに向ける。
「嬢ちゃんあんた、ジェスタルゲイン殿下の側近だってな。奴もそうだと……知っとったのか、あれを……」
「いえ……」
「あれは
「…………」
ロナは無言だった。ミュラーは「……ふん」と鼻を鳴らす。
「
ミュラーはそう話すと腕を組み視線を戦場へと戻す。相変わらず死者が生者に襲い掛かるという
「終わりました」と治癒師がロナに伝える。ロナは「ありがとう」と微笑み、少し間を置くと静かに口を開く。
「あのバカ軍人……イベールが珍しくまとも事を言っていました。力は単に力だと」
「あぁ……正邪はその力を振るう者にある……か。分からん理屈ではないが……では奴は正しき者か?」
ミュラーはそう問い掛けチラリとロナを見た。ロナは戦場を見ながら少し考え込む仕草を見せる。
「正しくは……ないでしょう。本当に正しい人はどんな理由があれど人を殺しません。そういう意味では、ここにいる誰もが正しくはない……」
「まぁ……な。ならば質問を変えよう。今後あんたらは奴を……
ミュラーは再びロナに目をやる。ロナは少しムッとして「彼が屍術師と決まった訳ではありません」と答える。
「けど仮に屍術師だったとしても……別にどうもしません。私達は勿論きっとジェスタ様も、あぁそうなんだと……そう思って終わりでしょう」
その言葉はミュラーにとっては理解し
「あんたが生まれるずっと前の話だ、だが知らん訳ではあるまいよ。
「勿論知っています。あれを
「では
怒鳴るミュラーとは対照的にロナは落ち着いた口調で「簡単な事です」と言う。
「私達は皆、彼を信頼しています。彼が力を振るう時は誰かを助ける時……短い付き合いですが、私達は彼をそう理解しています。彼が何者であろうとそれは変わりません」
ロナは真っ直ぐにミュラーを見てそう話した。ミュラーは呆れる様に「……分からんな」と吐き捨てた。
「あれは絶対に許してはならん力……認めてはならん存在だ。あれの恐ろしさを、あれの
ロナは軽く笑みを浮かべ「勿論です」と即答した。
「彼は……コウ・サエグサは信頼に足る
ミュラーは下を向き「ふぅ……」と息を吐いた。そしてついさっきイベールが放った言葉を思い出した。
邪悪な力で救われたら、それは悪しき事なのか。
「ミュラー将軍! 右手南西方向! 新手です!」
突如響く部下の声にミュラーは「何ぃ……!?」と顔を上げる。南西の通りから続々と姿を現す大きな影。新たに四、五十体程のオークが広場に現れた。ミュラーは「チィッ!」と大きく舌打ちするとすぐに戦場を見回し指示を出す。
「中央の兵を右へ! 南西の新手に備えろ!」
そして指示を出した直後「……クソッ!」と感情を吐き出した。左翼から中央は兵を減らしても構わないと、ミュラーはそう判断した。いや、判断出来てしまった。そこでは死んだはずのオーク達がその圧倒的な力で数の差を
「良いか! 絶対に
大声でミュラーの指示が飛ぶ。その声を聞きながらロナは左肩を大きくぐるりと回した。痛みはない。「よし……」と呟いたロナはイベールの側まで歩み寄る。
「おいバカ軍人!」
イベールは「チッ……」と舌打ちすると面倒臭そうに振り返る。そしてロナを睨みながら「何だ脳筋……」と返事をした。
「剣貸して」
「…………はぁ!?
「剣がない。だから貸せ」
「だから何故貴様に貸さねばならんと言っている!」
イベールはそう怒鳴ると腰に下げている剣を守る様に身を
「あんたここで
そう怒鳴り返すとロナはイベールの剣に手を伸ばす。イベールはその手をパシリと叩くと「貴様剣をなくしてるだろうが! 減ってるだろうが!」と反論。「ごちゃごちゃいいから! 時間ないの!」とロナは強引にイベールの剣を掴みその身体から引き
「何する! 離せ!」
「うるさい! 貸せ!」
わちゃわちゃと醜い攻防を繰広げる二人。そんな二人のやり取りを見たミュラーは「ハッ!」と笑うと「嬢ちゃん、これ使え」と自身の剣をベルトから抜いてロナに向けて差し出した。
「え……いいんですか……?」
「わしが持っとっても使えんからな」
「使えない?」
「剣抜いて前線に立とうもんならすぐさま部下に止められる……全く、すっかりジジィ扱いだ。ほれ、持ってけ」
ロナはミュラーから剣を受け取るとスッと静かに抜いた。それは
「抜く事がないとはいえ手入れは欠かしとらんからな。折っても何しても構わん、あんたの手ぇ貸してくれ」
「……では遠慮なく。ありがとうございます」
ロナはミュラーに礼を述べると剣を
「……随分と甘やかしたものですな。ご自身の剣など与えて……」
イベールは恨めしそうにミュラーを見る。ミュラーは「ふん」と鼻を鳴らした。
「
そう話すとミュラーは改めて戦場を見回す。そしてギリッと奥歯を噛んだ。到底受け入れる事など出来ない力。だがその力が戦況を好転させたのも事実。「ふぅ」とミュラーは息を吐き、もやもやとした気持ちの悪さに
「おい……あのオークを右翼へ展開させる様伝えろ」
ミュラーはイベールにそう命令すると、すぐにその場を離れ右翼の指揮へ向かう。イベールはミュラーの後ろ姿を睨みながら「言われなくても……」とぼそりと呟く。
「魔導師ぃ! 右に新手だ! そいつらを右へ展開させろ!!」
▽▽▽
「ハァッ!」
ドンと踏み込み一気に距離を詰めると掛け声と共に強力な一突き。すぐに距離を取り攻撃を回避すると再び飛び込み剣を振るう。重過ぎず軽過ぎず、自在に取り回せる素晴らしい剣。初めて握ったとは思えない程しっくりくる。縦横に立ち回るロナはミュラーから借りた剣に酔っていた。
だがロナがこうして戦えるのは、何よりミュラー隊の練度が高いからだ。混乱を極めるこの戦場に
「クソッ……! 抜けられた!!」
兵の一人が叫ぶ。数の差が出たのだ、押さえきれなかった。ミュラー隊の攻撃をものともせず、三十体程のオークが次々と後方へ抜けてゆく。そしてその姿はミュラーにも見えていた。
「仕留めろ!! 何としても!!」
すかさずミュラーは声を上げる。オークを止めようと
「弓兵!! 矢を絶やすな!!
ミュラーは城壁上の弓兵隊に叫ぶ。しかし弓兵達は互いの顔を見合わせた。何とも拍子抜けだと、弓兵達はそう思った。見た所攻城兵器の
その様な思いがあったが
「!? は、放てぇ! 放てぇ!!」
弓兵達は慌てて矢を放ち始める。ミュラーは「遅いわァ!!」と怒鳴った。
(思った通りか……ここで仕留めねば追い込まれる……!)
だが雨の降る夜だ、どうしたって狙いの精度は落ちる。ミュラーの思いとは裏腹にオークは止まらない。その内に城門の少し西側まで近付いたオークはジャバッと
ドン……!
鈍い振動と揺れは城壁上にも伝わってきた。
「し……仕留めろ!! あれを止めろ!!」
弓兵隊の部隊長は叫んだ。だがいくら真上から矢を
「えぇいっ! クソッ!!」
ミュラーは苛立ち思わず声を上げた。懸念した通りの状況になってしまった。あの巨体ならば濠を渡れるかも知れない。そして城壁に取り付かれたら、こちらの打つ手がなくなってしまう。あの頑強な肉体と装備は半端な攻撃など受け付けない。仕留めようと思うのならば接近して剣を突き立てなければならないが、濠にいる限りはそれも難しいだろう。
崩れた城壁。そこへなだれ込む巨体。炎に包まれる城。その時、ミュラーの脳裏に浮かんだのはそんな最悪の光景だった。
「弓兵っ!! 魔導兵っ!! ありったけ撃ち込めぃぃぃ!!!!」
にわかに広がる不安を打ち消すが
落城など冗談ではない。
▽▽▽
「弓兵っ!! 魔導兵っ!! ありったけ撃ち込めぃぃぃ!!!!」
ドン、ドンと鈍い音が響く中、一際大きな声の指示が聞こえた。敵が城壁に取り付いた様だ。
「どうする!?」
「隊長! 後方へ援護に……」
「ダメだ! 勝手に持ち場を……」
死んだオーク達が展開し始め少し余裕が出てきたからだろう、右翼の兵達は戦いながらそんな相談をし始めた。ここを抜かれたが為に起きてしまった事態だ、何とかしなければと考えるのは自然の事か。
そんな中、ロナは一人ブレずに集中していた。敵はまだいる。ここで仕留めなければ連中は城へ向かい、更に城壁が危うくなる。自分の役割はここの敵を排除する事、今はそれに徹していれば良い。そして何より、ロナは後方に一切の不安を感じていなかった。
(大丈夫、コウが何とかしてくれる……!)
▽▽▽
ドン、ドンドン……カン、カカカカン……ボン、ボンボンボン……
重く響く城壁を打つ
「
ミュラーは兵を鼓舞する様に声を上げ続ける。しかし一向にオーク達は倒れない。
(クソ……クソッ!! これ以上は……!!)
ミュラーは焦っていた。モタモタしていれば更に敵の数は増える。どうにかここで……
「ミュラー将軍! お
不意に背後から声が聞こえた。イベールだ。「何を……!」と振り返るミュラーは瞬間息を呑む。ドスドスと地面を鳴らし、ジャバジャバと水を撥ね上げ、オークの集団がこちらに向けて突進してくる。ミュラーは
「回避だ! 回避しろ! 踏み潰されるぞ!!」
ミュラーは周りにいる兵達に呼び掛ける。そして自身も慌てて脇へ避けた。そんな彼らの前を走り抜ける血塗れのオーク達は、ミュラーのいた跳ね橋前まで来るとザブン、ドボンと次々濠へ飛び込んだ。そして城壁に大鎚を打ち込むオーク達に襲い掛かる。
腕を掴み、大鎚を奪い、首筋に噛み付き、頭を押さえ、水中へと沈める。
ジャバン、ジャバジャバと激しく波立つ水面。だが押さえ付けられたまま頭は上げられない。そして程なくして波は収まる。装備が重いのだろう、水面には浮かんで来ない。
目の前で繰り広げられるオーク同士の異様な殺し合いに言葉を失い、弓兵も魔導兵もいつしか攻撃の手を止めてしまった。「まるで……共食いだ……」と弓兵の一人がそう呟いた。
「これが…………戦だと…………?」
ミュラーは呆れ、
「これが…………戦などと…………」
ミュラーは再び呟いた。今度はその異様な光景を睨みながら。
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