第265話 仇

「「 バカな!? 」」


 声が揃った。二人は思わず顔を見合わせる。ゾヴァリは「見たかルピス殿……」と言いながら再び望遠鏡を覗く。死んで倒れていたオークが一斉に起き上がり動き出した。それは目を疑う光景だった。


屍術しじゅつだ……ダグベには屍術師しじゅつしがいる……これは大変な事だ……」


 ゾヴァリの隣で同じく望遠鏡を覗くルピス。しかし彼が驚いたのはそこではない。


(コウ殿……何故なせここに……いや、ここにいるという事は…………あの灰色をどうにか出来たと……?)


 大陸中央南、ベーゼント共和国バルファの郊外。望遠鏡の中に見えるあの若い魔導師と共闘し、灰色のローブを羽織はおった魔導師と戦った。灰色の魔導師は途轍とてつもなく強く、二人掛かりでようやく手傷を負わせた程だ。一対一ならばかなわなかっただろう。


 てっきり死んだと思っていた。


 いくら手傷を負わせたとはいえ、若い魔導師があの化け物を退しりぞけられるとは到底思えなかった。だが現にここにいる。運良く逃げ延びた? そうなのかも知れない。だが逃げるにしても簡単ではないだろう。あの灰色はそれ程の化け物であり、逃げ切れたのならばそれはやはり若い魔導師に相応の力があるという事だ。


(これで三度目……か)


 思えばあの若い魔導師と出会うのは三度目だ。最初は霊峰れいほうイゼロンのふもと、燃えるエリノスの街中。向こうは自分の事を敵だと認識していたはずだ。だが見逃してもらえた。お陰であるじリアンセを脱出させる事が出来た。

 そして二度目がバルファ。エリノスで受けた恩にむくいる為にと助太刀を申し出た。もう会う事はないだろうと、そう思っていた。

 しかし今、この北の外れで三度目の邂逅かいこう。二度までは偶然で良いだろう。だが三度目ともなるとこれはもう偶然では済ませられない。彼とは何かしらの縁があるのかも知れない。それが良いのか悪いのかは分からないが。


「……ルピス殿?」


 無言で望遠鏡を覗くルピス。ゾヴァリに呼び掛けられハッとして視線をゾヴァリに移す。


「失礼……その、屍術師しじゅつしとは?」


「ご存じなかったか。死神ししんを信仰し、その果てに死神ししんの力を借り受ける事が出来る様になった者、それが屍術師だ」


「死神に屍術師……初めて聞いた」


「おるのだよ、この北方には死をつかさどる神が。かつてセンドベルは屍術師を軍へ組み込み西の隣国ファンダンへ侵攻、その領土を大きく切り取った。いくら敵を殺しても屍人しびととなり動き出し、殺された自国の兵は敵戦力として使役される。ファンダンにとってはまさに悪夢としか言えぬいくさだ。周辺国はセンドベルの屍人しびと部隊に強烈な危機感を覚え、人の道を外れた外道の行いだと連名にてセンドベルを糾弾きゅうだん。同時に様々な制裁をした。結果、センドベルは屍術師の軍事運用を凍結した」


(屍術師……コウ殿が?)


 だとしても別に驚きはしない。世界は広い。自分の想像を超える力を持つ者がいたとして、それは何もおかしな話ではない。西の果ての果てからやって来た者として、そんな話はいくらでも耳にしている。


(リアンセ様に報告すべきか……)


 ルピスは再び望遠鏡を覗く。


 送り込んだ二千のオークがどの程度動けるのか。リアンセの指示を受けたルピスは、その確認の為ブレイら三人の部下を引き連れマンヴェントへ潜入。道中の道案内と護衛として、団長のゾヴァリを含むイオンザ王国雪風せっぷう騎士団の数人が同行していた。彼らは四グループに別れそれぞれレクリア城各門を監視、ルピスとゾヴァリは南門を望める宿の屋上から一部始終を眺めていた。


 ゾヴァリは望遠鏡を下ろすと「如何いかがか、オークの出来は?」とルピスに尋ねる。ルピスは望遠鏡を覗いたまま「……格段に動きは良くなっている。だが実戦での運用レベルには到底達していない」と話す。ゾヴァリは「……左様さようか」と答え再び望遠鏡を覗いた。


(しかし使い捨てなどと……)


 あまりに勿体ない。ゾヴァリは望遠鏡を覗きながら改めて思った。このいくさは洗脳したオークの運用実験だと、それは聞いていた。


 だがあれでまだ足りないと? 充分ではないか。


 確かにまともな兵ならばもっと動きはスムーズで都度の判断も早いだろう。しかしあれだけ動ければ利用価値としては充分だ。更にあの装備。使い捨ての部隊の為にあれだけの装備を整えるなど、彼らの国は随分と気前が良いらしい。


「ルピス殿………………大勢は決したのではないか」


 再び望遠鏡を下ろすとゾヴァリはルピスを見る。貴殿らは一体何者か。本当はそう聞きたかったのだが、めておこうと思いとどまり違う言葉を口にした。


 彼らの正体については何も聞かされていない。


 西の果てから来たというのは知っている。我が国と国交を結びたいのだと。その為に転移の魔法などというまさに魔法と呼ぶに相応ふさわしい技術を引っ提げやって来た。そしてこの洗脳されたオーク兵。更に閉ざされた北の地の開拓に協力出来るとも言っている。一体どれ程技術水準の高い国なのだろうか。ともあれ、これだけのあめを並べられたら手を伸ばさずにはいられないだろう。


 だが彼らの目的は本当に国交の樹立じゅりつだけなのだろうか。


 そのあめの裏に強烈なむちを隠してはいないのか。ヴォーガン殿下やあるいは宰相さいしょう殿ならば詳しい所を把握しているのかも知れない。だが自分は何も知らされていない。ならば自らやぶに手を突っ込むのはめておこう。往々おうおうにして過度な好奇心は身を滅ぼす。


 ゾヴァリはルピスの返答を待った。しばらくするとルピスはようやく覗いていた望遠鏡を下ろす。


「……そうだな。大勢は決した。では離脱しようか、ゾヴァリ殿。街が混乱している内に……」



 ◇◇◇



「魔導師! そろそろ良いぞ、ご苦労だ」


 イベールは腕を組み、仁王立ちしながら俺を見てそう言った。相変わらずの偉そうな態度と物言いにイラッとしながら、俺は自分とオーク達とを繋いでいた魔力の回線を切る。操死術そうしじゅつから解放されたオーク達は、まさに糸の切れた人形の様にバタバタと倒れた。俺は若干の気怠けだるさを感じて「ふぅ……」と息を吐く。

 発動中は常に魔力を送り込み続けなければならない。そして操作しようとする対象が増える程多くの魔力が必要となる。ゆえにこの操死術そうしじゅつという魔法は消耗が激しい。だが今回は以前アルマドで試した時よりも明らかに大きな疲労を感じている。前回は百体、今回は五十体程。前回より操作した数は少ないのにだ。違いがあるとすれば、今回は人ではなくオークだったという事。これは恐らく操作しようとする対象の大きさに比例して、求められる魔力量が増加するからだろう。つまり人一人に対してオークは倍以上の魔力を必要とするという事だ。


(結構魔力を使った……か?)


 魔力の保有量が少ない魔導師ならば気怠けだるい程度では済まないだろう。操作出来る対象の数も限られ、稼働させられる時間も短くなる。そして当然感じる疲労も大きくなるはずだ。だが幸いな事に俺は魔力が多い。まだまだ余力がある。


 南門に攻め寄せたオークの群れは粗方あらかた片付いた。あとはぽつりぽつりと通りを抜けてやって来るはぐれ・・・を潰すだけで良い。俺は改めて辺りを見回した。そこには無数の死体が転がっている。大きく斬り裂かれた身体。腕がなく、あるいは足がない。ついさっきまでそれらが帯びていたであろう熱は、降り続ける雨に冷やされ流れる血と共に外へ排出される。


 そこに広がっていたのは命の抜け殻。敵味方平等に訪れる冷たい死の光景だった。


「コウ!」


 転がる死体をピョンピョンと跳びけながらロナがやって来た。


「すごいね、あれ。あの魔法・・


「ああ。そう?」


「うん! すごい気持ち悪かった!」


 笑顔で元気良くそう話すロナ。俺は思わず「プッ……」と吹き出した。


「顔と言葉が合ってないよ」


「へへ……そう?」


 笑顔のロナを見て俺は少しホッとした。操死術がロナの目にどう映ったのか、どう感じたのか。その反応を知るのが怖かった。だがロナは変わらない。表面上だけかも知れないが、少なくとも嫌悪けんおの目は向けられていない。今はそれだけで充分だった。


 バタバタと倒れたオークを満足そうに眺めるイベール。「上出来だ、魔導師。良くやったな。脳筋もまぁまぁの働きだ。あとは休め」などと、どうやらバカ軍人なりに気を使ったつもりらしい。だがどこまでも偉そうなイベールの言葉に俺とロナがカチンときたのは言うまでもない。「わめくだけで仕事をした気になれるとは……さすが名将だ」と俺が皮肉を言えば、「だ〜れも指示聞いてなかったけどね。大した人望だこと」とロナもくさす。だがイベールは「はん! やかましい!」と反発こそしたものの、俺達の揶揄やゆなど全く気にした様子ではない。


「しかし……コイツらどうやって王都に侵入したのか……」


 イベールは横たわるオークの側まで近付くと、その分厚い鎧の腰辺りをカツンと蹴り飛ばす。


「飛んで来たんだ、転移の魔法で」


 俺がそう答えるとイベールは「転移だぁ?」といぶかしげな顔で俺を見る。


「持ってるはずだ、魔法石。それに転移の魔法の術式が封じられてる」


「ふん……」とイベールはオークの死体に視線を戻す。と、今蹴ったオークの腰辺りに小さな革袋が結ばれている。


「……これか?」


 イベールはその場にかがむと革袋の紐をほどき中を確認する。魔法石を入れるには丁度良いサイズだ。あんじょう、革袋の中には白乳色の魔法石が入っていた。イベールは魔法石を取り出すと「これがそうか?」と俺に見せる。


「ああ。どこかに術式が彫り込まれてるはずだ。けど……大分小さいな……」


 それは俺が知っている転移の魔法石より随分小さいものだった。以前見たものより二回り程小さいか。握れば手の中にすっぽりと収まるくらいの大きさだ。


(改良……されてるのか)


 改良されているという事は、まだ先があるという事。オークの襲撃はまだ続くという事を示唆しさしている。イベールは魔法石を手に立ち上がると「これはあとで開発局が調べるだろう」と話し、側にいた部下に手渡した。


「だがまぁ、一先ひとまずは落ち着いた。もうそろそろ外縁がいえん警備隊も到着……」


「おい迅雷!」


 イベールを押し退ける様に話に割って入ってきたのは、イベールと共に守備部隊を指揮していた老将だった。


「何でしょう、え〜と……」


 誰だっけかこの人。そう言えば名前を聞いていない。すると老将は「わしの事なぞどうでも良い!」と怒鳴りながら詰め寄って来た。


「迅雷貴様! あれは一体……!!」


「「「 おぉぉっ!! 」」」


 今にも掴み掛かってきそうな勢いの老将。しかしその言葉は不意に沸き上がった歓声にき消された。


「ようやく来たか! 遅いわ全く……」


 そう文句を言うイベールだが、声のトーンは随分と明るい。これで南門の守備は盤石ばんじゃくだと、そう思った証拠だ。南門から伸びる通りの、その一本から姿を表した集団。南部外縁がいえん警備隊だ。


「増援?」


 そう問い掛けるロナに「王都の外縁部を守る警備隊だ」とイベールは答えた。


「連中が来たという事は、道中の掃除・・も済んでいるという事だ」


 どこか満足気に話すイベールだが、しかしすぐに「何だあれは?」と眉をひそめる。外縁部隊と一緒にローブを羽織はおった見慣れない連中が姿を現したのだ。あのローブは軍の支給品ではない。という事は、連中は軍人ではないという事だ。


「…………アイツ!!」


 突如ロナは大きな声を上げた。そして「ロナ?」と驚いて呼び掛ける俺の声などまるで聞こえていない様子で、剣を抜くのと同時に物凄い勢いで飛び出した。



 ▽▽▽



「おぅおぅ、見渡す限り死体の山ってか」


 ロッザーノは握っている剣をカチャリと肩にかつぐ。かたわらに立つフォージは「南側は大体片付いたって事だな」と話しながらローブのフードを脱いだ。この雨ではもはやフードを被っていた所で何の意味もない。事実、髪はフードから染みた雨に濡れてビチャビチャだ。


「ルバイットはまだか?」


 そう問い掛けるロッザーノに、フォージは後ろを振り返り「すぐに追い付くだろうぜ」と答える。


 南大通りを外縁警備隊らと共に駆け上がって来たフォージらブロン・ダ・バセルの面々。途中遭遇したオークを始末する為に何組かに別れ、フォージとロッザーノ、そしてその部下達が一番にレクリア城前まで辿り着いた。


 通りの奥を眺めながらルバイットらの姿を探すフォージ。すると「何だてめぇ!?」と怒鳴るロッザーノの声。何事があったのかと前を向くフォージの少し手前で、ロッザーノの剣をくぐりこちらに向かい迫る者の姿があった。


(!?)


 それは身を低くし、充分に力を溜め、剣の切っ先をこちらに向け、そして思い切り地面を蹴り付ける。まるで放たれた矢の様に、まるで獲物に飛び掛かる獣の様に、その剣は真っ直ぐにフォージの胸を狙っていた。


(この女……!)


 顔を見てすぐに、フォージは自身に剣を向けるその女が何者であるのか理解した。そして次の瞬間、何故なぜここに? などとひどく間抜けな疑問が浮かぶ。それはいるだろう、とフォージはすぐに答えを出した。王子の側近ならばこの街にいて当然であり、自分の命を狙おうとするのもまた当然だ。


 自分はこの女にとってかたきなのだから。


 だが自分にも討つべきかたきがいる。あれこれと考え、あれこれと手を回し、準備万端整えてマンヴェントまでやって来た。全ては仇を討つ為だ。ではこの女はどうか。今ここで討つべき仇を見つけたのは、女にとって予想外の出来事であり同時に予期せぬ好機だったはずだ。そしてこの好機を逃すまいと、後先あとさきを考えず飛び出したのだ。


 そう、あとの事など何も考えていない。


 自分を殺したあと本懐ほんかいげたそのあとはどうするつもりなのか。この場から逃げおおせるとでも思っているのか。それは無理だ。きっとすぐさまロッザーノや仲間達が剣を振るう。つまり今仇を討つ、今討てると、それしか考えていないのだ。


(しょうがねぇ……)


 死ぬ訳にはいかない、自分にも目的がある。だが事ここに至っては致し方ない。マンヴェントにはこの女がいると頭をぎりもしなかった自分の間抜けさと、あとの事など全く考えていない女の無謀さが、ガッチリと噛み合ってしまっただけだ。


 そして何よりも、今にも女の剣が突き刺さろうとしているこの状況で、打てる手はない。


(なら……しょうがねぇ……)




 ガチィィン!!




 フォージが死を覚悟した直後、激しい音が鳴った。女の剣がフォージの胸を貫く直前、その激しい音と共に上へ弾かれた。


「ボケっとするなフォージ」


 追い付いたディンガンが異変を察知し、すんでの所で女の剣を下からかち上げたのだ。女は弾かれた剣をすぐさま引き戻す。そして二の太刀を浴びせようと体勢を整える。が、女はピタリとその動きを止めた。


「元気だねぇ、お嬢ちゃん……けどまぁその辺にしときな」


 止めざるを得なかった。女は自身の首筋に冷たく鋭利な感触を感じていた。ディンガンと共に通りを抜けて来たポリエが、女の動きを封じようと背後からその首に剣の刃を当てたのだ。


(クッ……)


 あと少し。ほんの少し届かなかった。セーバの仇を目の前にしてなんて情けのない……もう一拍早く動けていれば、もう一伸び剣を突き出せていたら……鬱憤うっぷんが残る。ロナは思わず奥歯を噛んだ。


「何だフォージ、エラいべっぴんじゃねぇか。冥利みょうりきるってヤツか?」


 張り詰めた空気をゆるりと大きく混ぜ返す様な声。一体どの辺りからこの事態を見ていたのか。フォージはふぅぅと大きく息を吐く。一先ひとまずは自身の身の安全が確保された事に安堵あんどした。そして茶化す様な言葉を吐いたルバイットに視線を向ける。


「捨てた女の復讐じゃねぇよ。コイツぁカーンの野郎がり損ねた王子の側近だ」


 フォージの言葉にロナの表情が変わる。怒りと悔しさに満ち満ちた、悔恨かいこん渦巻うずまくそんな表情に。鮮明に思い出したのだ。セーバを守れず自身も凌辱りょうじょくの寸前まで追い込まれた、そんな忌々いまいましい夜の事を。


「何で……何でお前らがここにいる! ブロン・ダ・バセルが……どうしてここにいる!!」

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