第216話 斯くして魔女は邪悪に笑う 1

「失礼致します。リドー様、陛下がお見えになりました」


 部屋まで案内してくれた警備の兵は扉を開くと、うやうやしく敬礼しながらそうべた。「おう、入れ入れ」と部屋の中から響いてくる声。警備の兵はザッと脇に避けると「どうぞ」と言いながら再び敬礼する。マベットは「ご苦労」と兵をねぎらい、そして軽く後ろを振り向きながら「参るぞ」と俺とジェスタに声を掛けて入室する。


 マベットに率いられ訪れたここはレクリア城の北側にある離宮りきゅう、ノベウ宮殿の応接室。この屋敷は先代ダクベ国王リドー・スマドの住まいである。お前の知りたい事を教える、マベットはそう言った。そしてジェスタは俺には知る権利があると言った。俺が知りたがっていて知る権利があると思われる事。


 つまりはそういう事だ。例の事件、その真相を明かしてもらえるという事なのだろう。


 応接室の中央にはテーブル、そしてそのテーブルを囲うように三人の男が座っている。その内の一人が部屋に入った俺を見るや勢い良く立ち上がり「何で貴様が!」と声を張り上げた。だがこっちはこっちでその男を見てこう思ったのだ。


(何でこいつがいる……)


 こいつとは、飲み屋でロナに突き飛ばされていた弱々バカ軍人、イベールだ。すると隣に座る男が「止めろイベール! お二方の御前ごぜんだ!」とたしなめる。イベールを叱ったのはダクベ軍トップのデルカル・キッシャー将軍だ。


「聞いておるぞ、コウと一悶着ひともんちゃく起こしたのはそなたか」


 マベットはジロリとイベールを見ながら席に着く。イベールはハッとした様子で「あ……はっ! 失礼致しました!」と声を上げると慌てて座った。しものイベールも王に睨まれては平気でいられない様だ。デルカルは「申し訳ございませぬ、私の教育が至らぬばかりに……」と謝罪する。するとテーブルの中央に座る老人は「ハッハァ! 若いのぉ、血気盛ん結構!」と声を上げた。が、「だがな、ここに居りたかったら黙って座っとれ」とすかさず釘を刺した。イベールはゴクリと唾を飲むと「……は! 申し訳ございません!」と敬礼しながら謝罪、そしてギロリと俺を睨んだ。まるでお前のせいだと言わんばかりだが、そんなの知らん。


「さてさて二人共、早う座れ」


 老人はちょいちょいと右手を動かしながら俺とジェスタに席に着く様うながす。この老人こそリドー・スマド。前ダクベ国王にして現国王マベットの父、リドー公だ。


「ジェスタや、晩餐会に出れんで済まなかったなぁ」


「いえ、とんでもございません。お風邪を召されていたとお伺い致しました。お加減は如何いかがでございますか?」


「おう、もうな~んともないわ。全く、この歳になるとたかが風邪とて侮れん。治りも遅くてなぁ……で、そなたがレイシィの弟子かぇ?」


 リドー公は不意に俺の方へ視線を移した。俺は慌てて「はい! コウ・サエグサと申します」と自己紹介する。


「おう、そうかそうか。レイシィは元気にしとるか?」


「はい……あの、まぁ恐らく……」


「何じゃ、分からんのか?」


「実は東を出てから二年程会っていません。まぁあの人に限って何かあるとは思えませんし、仮に何かあったら大陸中に噂が広がるかと……」


「ふむ……まぁそうか。あれ程の傑物けつぶつだ、そりゃ何かありゃあ噂くらい耳に入るわな。今は、何つったか……ほれ、あの東の国……」


「オルスニアです」


「おうそれだ、オルスニアだ。大同盟の盟主国、あそこで偉くなっとるんだろ?」


「はい。宮廷魔導師長に。国王に次ぐ役職だと聞いています」


「うむ、そうかそうか。そりゃ良かった。まぁあやつの力をもってすれば、それくらいの出世は当然だろうなぁ」


 狐につままれた様な、とはこういう事なのだろう。俺はとてつもなく奇妙な感覚に包まれていた。この国の人間がお師匠の事をレイシィと名前で呼んでいるのを初めて聞いたのだ。魔女、狂乱、あの女など、誰に聞いてもお師匠の名を口にする者はいなかった。まるでその名を口にする事すら汚わらしいと、そこまでみ嫌われているかの様だったのだ。しかしリドー公は単に名を呼ぶどころか懐かしさに目を細めて、そして実に親しみを込めてお師匠の名を呼んでいる。やはり魔女の実験には裏があると、そんなリドー公の様子が物語っていた。


 そして目の前には、恐らく何も分かっていないだろうと思われる男の姿。イベールが口をあんぐりと開けてリドー公を見ているのだ。この人は何を言っているのだ、なぜむべき魔女の名を親しげに呼んでいるのだと、多分そんな事を考えているのだろう。するとイベールは開けっ放しだった口をグッと閉じ、ビッと背筋を伸ばすと意を決した様に声を上げた。


「お、おお恐れながら! おおお、お伺い致します! 本日のこの会合は、いい如何いかなる目的がおありになるのでしょうか! 私は将軍より同席せよと仰せつかったのみで……内容までは、その……把握しておりませぬゆえ……あの、何卒なにとぞ……ご教示きょうじ頂けますれば……その……」


 前国王に現国王、そして隣国の王子が見つめる中での口上こうじょう、弱々軍人としてはいささかプレッシャーが大きかった様だ。最初こそ勢いが良かったイベールだが、後半は声も小さくなり自信無さげの尻すぼみだ。マベットは少し呆れた様子でデルカルを見ながら「説明しておらんのか?」と問い掛ける。


「はい。誰が聞いているか分かりませぬゆえ、軍基地内でこの話は危険かと判断致しました」


「なるほど。だがそもそも……いち士官を同席させる必要があるかね?」


「本人に関係のある話でもありますし、何よりコウ殿や殿下の従士じゅうしの方々とのやり取りには目に余るものがありました。ゆえに真相を明かすのが今後の為かと……」


 デルカルの話を聞きマベットは「……分かった」と静かに答えた。そして「イベールとやら」と緊張でガッチガチの様子のイベールに声を掛ける。名を呼ばれたイベールは一瞬ビクッと身体を揺らし「はっ!」と返事をした。


「今日ここで語られるのは最上級クラスの国家機密である。どんな理由があろうともここで聞いた話を外へ漏らす事はまかりならん。例え相手が何人なんぴとであってもだ」


「はっ!」


「誓えるか? その首に?」


 首を掛けられるか。そう問われたイベールは再びゴクリと唾を飲む。そして裏返りそうな声で「はっ! この首に掛け、お誓い致します!」と約束した。


「宜しい。コウよ、そなたもだ。何の話をするのか、すでに察しは付いていると思うが……」


 その通り、察しは付いている。イベールにも関係があり俺やロナと揉めた原因ともなる話。あの件しかない。


「はい。他言はしません」


「結構。そもそも今回の件はジェスタに懇願こんがんされた事から検討に至ったのだ」


「ジェスタさんが!?」


「そうだ。あの事件は本当に伝えられている通りの内容なのか、もし違うのであればそなたに真相を教えてやってはもらえないか、とな」


 俺は驚いて隣に座るジェスタを見る。するとジェスタは「先程陛下の部屋で話した通りだ、コウ殿。貴殿の尽力に応えたい、そう思ったのだ」と言いながら爽やかな笑顔を見せる。


「ジェスタさん……」


 助力にむくいる。その為に国のタブーとも言える秘密を明かしてくれと、国王に交渉してくれたというのか。


(なんて男前な……)


 何だろうか、このも言われぬ敗北感は。男? 男としての敗北感? 見た目だけではなく行動まで男前とは……そんなんされたら惚れちゃうよ? 女だったら惚れちゃうよ? 全く、俺が男だったから良かったものの……


「同時にデルカルからも上申じょうしんがあってな」


 などと考えているとマベットの口からデルカル将軍の名も飛び出した。「え、将軍もですか!?」と俺はまたまた驚きデルカルの顔を見る。


「何、真相を知っている身としてはな、貴殿に対し口をつぐむ後ろめたさがあったのだよ。それにイベールの件もある。こいつも無関係とは言えないしな、だから出来るならまぁ……本当の所を教えてやりたいと思ってな」


(なんて良い上司……)


 やはりデルカル将軍は優しい人だ。俺だけではなく弱々バカ軍人イベールの事までちゃんと気に掛けている。


(まぁ副官として側に置いているくらいだから目を掛けてるんだろうが……)


 俺はチラリとデルカルの横に座るイベールに目をやる。が、どうやらイベールはマベットに首を掛けろと言われた事で頭が一杯らしい。目を血走らせながらグイグイとお茶を飲み、ふぅ~と息を吐いている。大事なとこだぞ、ちゃんと聞いとけよ。やっぱダメだこいつ、将軍はこいつに何を期待してるのか……などと呆れながらイベールを見る俺をよそにマベットは話を続ける。


「ただな、いくら国主と言えどもこの一件、私の一存で明かせる様な軽いものではないのだ。そこで父上にご相談した。そうした所、まずはそなたの人となりを確認せよ、問題がなければノベウ宮殿にて会合を開きそこで話そうぞと、そうご提案頂いた次第だ」


「そういう事ですか。だからさっき陛下の部屋で……」


「そうだ。そなたの話を聞いたのはその様な理由からだ。良からぬ事を考えている者にこの秘密は明かせん。国に対する脅迫のネタを与える様なものだからな」


「だが、ここに来た」


 そう言いながらリドー公は手にしていたカップをカチャリと置く。そして静かに言葉を続けた。


「という事は、話しても良いと王がそう判断したという事だ。レイシィの弟子が孫娘の婚約者に手を貸しとると聞いてな、これは運命だと思うたよ。決して他言せず墓まで持ってゆくつもりであったが……どうやらそうもいかん様だとな」


 リドー公は自虐的に力なく笑う。しかしすぐにその顔から笑みが消えた。そしてポツリと呟いた。


むくいは受けねばなるまいて……」


 直後、部屋の扉が開き「ベニバス殿がご到着されました」という兵の声と共に一人の男が入ってきた。男は「遅くなりまして申し訳ございません」と言いながらリドー公の側へ進む。


「なんの、ちょうど良かった。今から始める所ぞ」


 リドー公は笑顔で男を迎え入れ、自身の隣の席に座らせる。するとマベットは「久しいな、商売は順調か?」と男に問い掛けた。男は苦笑いしながら「どうにかこうにか……城や軍からの注文には助けられております」と答える。そして場を見回すと俺の顔を見て視線を止めた。


「リドー様、彼が……?」


「うむ。レイシィの弟子、コウだ」


「そうですか……彼が……」


 そう呟くと男は姿勢を正し真っ直ぐに俺を見る。


「初めまして。元ダグベ軍魔法研究開発局主任、ベニバス・ビレーと申します」


「ああ、どうも……コウ・サエグサと申します」


 俺が挨拶するとリドー公は「レイシィの元上司だ。わしが呼んだ」と説明してくれた。するとベニバスは「今はしがない魔具師まぐしですよ」と笑う。


「さてさて……」と言いながらパンとリドー公は手を叩く。


「そろそろ始めようぞ。まずはベニバス、そなたから頼む」


「分かりました、それではお話しさせて頂きます。魔女の実験とは何だったのか、その全てを……」


 魔女の実験。その言葉を聞きずっと緊張でガチガチだったイベールはハッとした様に息を飲んだ。どうやら彼は今になってようやくこの会合の目的を理解した様だ。

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