第215話 王の詰問

「待っていたぞ、さぁ掛けてくれ」


 部屋の中央にある大きなテーブルに右手を向けながら俺とジェスタを迎え入れるのはダグベ王国国王マベット。「失礼致します」とうながされるままジェスタは席に着く。「失礼……します」と俺もぎこちなく話すとジェスタの隣に座る。と、その椅子の座り心地の良さに驚いた。それはもう、ふっかふかなのだ。高級感のあるダークグリーンのベルベット生地が張られた座面ざめん背板せいたには、恐らく目一杯の綿でも詰められているのだろう。

 そして何やら光輝いている様に見える目の前のテーブル。美しい木目が印象的なツルツルの天板てんばんの縁を、金ピカの細かい装飾がぐるりと囲う様に施されている。これ金だろうか? 金だろうな。威圧感すら感じる様などっしりと重厚な作りの見るからに高そうなテーブル。何だか安易にさわってはいけないのではないかと気後きおくれしてしまう。肘でも付こうものなら怒られるんじゃなかろうか。椅子といいテーブルといい、さすが一国のあるじの自室。


「失礼致します」


 スゥ……と音もなく現れたのは白髪混じりの年配の男。レクリア城に辿り着いたその夜、客間まで案内してくれた侍従長じじゅうちょうのリザルーだ。手にしたトレーの上にはティーポットやカップ、ソーサーなどが載せられている。それらを一つずつ俺達の前に置くと、並んだカップに紅茶を注ぎ始めた。湯気と共にふわりと香ばしい匂いが立ち上る。


「貴方様は東方からいらしたとおうかがい致しましたので、東方産の茶葉をご用意致しました。お口に合いますれば幸いにございます」


 何という事でしょう。どこの誰とも分からない様な俺の為にそんなにも気を使ってくれるなんて。「あ、これはどうも……ありがとうございます」とお礼を言って紅茶を一口。「ああ、懐かしい感じがします」などと言ってみる。リザルーは「それは良うございました」とにこりと微笑んだ。


(うっ……)


 リザルーの穏やかな微笑み。そして襲い来る罪悪感。ごめんなさいリザルーさん、嘘きました。東にいた間に紅茶なんて飲んだ事ありません。と言うかお師匠の家にはお茶なんてありませんでした。あったのは酒だけです。紅茶を飲んで懐かしい感じ? とんでもない、記憶にあるのは毎回強制参加させられる肉だらけの酒盛りだけです。画面スミに追いやられ、ミード、ワイン、肉のエンドレスコンボです。まさにハメ技です。でもとてもそんな事言えません。なので取りえずニコッと笑顔を返しておきます。渾身こんしんのよそ行き用笑顔で……


「さて、コウ・サエグサと申したな?」


 などと罪悪感からくだらない妄想もうそうをしていると突然国王マベットに話し掛けられた。慌てて「はい! そうです!」と返答する。


「うむ、ジェスタから聞いておった。腕の立つ魔導師であるとな。そなたがらねば王都まで辿り着くのは難しかったであろうとも……」


「いえ、そんな……」


謙遜けんそんする必要はない。義理とは言えどもジェスタは我が息子。良くぞ守り抜いてくれた、礼を申す」


「え!? いえいえ! あの、本当にそんな……!」


 一国の王からの真っ直ぐな謝意しゃい。驚いた俺は両手を前に出してしどろもどろの返答をする。するとマベットは「ハハハッ、随分と謙虚けんきょな若者だ」と笑いながら言った。


「今日そなたに来てもらったのはな、話をしたいと……いや、話を聞きたいと思ったからだ。そなたがどの様な経緯でこの北方を訪れるに至ったのか、今までどこで何をしておったのかと……まぁ色々な」


「はぁ……それは宜しいですが……」


「ん? 何か問題があるかね?」


「いえ……それらの話をするとなれば、必然的にこの国で毛嫌いされている人物の話もしなければなりませんが……?」


 少し意地の悪い、そして少なからず危険をはらんだ言い方をした。何者でもない若造が一国の王に対してこんな皮肉混じりの物言いなど本来許されないだろう。だがこれは大切な事だ。俺の今までを話すのならばこの国で言う所の魔女、我が師であるドクトル・レイシィの話は必須。決して避けては通れないし、そもそも避けるつもりは毛頭ない。ドクトル・レイシィは魔女などと呼ばれさげすまされる様な存在ではないと、あんにそう訴える為だ。

 そして恐らくこの王ならば大丈夫だ、無下むげにせず話を聞いてくれるだろうという打算もある。この城に到着したあの夜、この王に対して抱いた印象は良いものだったのだ。権力の上にあぐらをかいている様な傲慢ごうまんな王ではないと、そう感じていたからだ。仮に王がその言葉に不快感を感じたとしてもこの場にはジェスタがいる。上手く緩衝材かんしょうざいとなってくれるはずだ。

 更に言えばひょっとしたら……という思いもある。誰に聞いても真相を知らず、知っているだろうと思われる者も話せないと口をつぐむ魔女の実験。かつてレイシィがこの国で引き起こしたそのむべき暴挙とは一体何だったのか、王の口からその話を聞く事が出来るのではないかと。


 避けて通れない理由、そして打算と希望。それらがこの国の王に対して不敬と問われかねない言葉となって出てきたのだ。そしてその言葉を聞いた王の返答は、まさにこちらが望むものだった。


「無論、そこも含めてだ。気兼ねする事など何もない、そなたの言葉で思うままに語るが良い」


 俺はチラリと隣に座るジェスタを見る。ジェスタは無言で小さくうなずいた。


「では……」


 そうして俺は何故なぜこの大陸北方までやって来たのか、今までの経緯をまんで説明した。レイシィに救われ弟子入りし魔導師としての修行を行ってきた事や、周辺五ヶ国で起きたオーク襲撃事件、イゼロン山にてエリテマしん教の世話になっていた事、ハイガルド王国のオーク兵を伴ったエリノス侵攻、傭兵団ジョーカーの内部抗争など……



 ~~~



「――で、イオンザへ向かう途中ジェスタさん達と出会い、今ここにいるんです」


 一通り話し終わり、俺はティーカップに手を伸ばす。熱々だった紅茶はすでに冷たくなっていたが、しかしそんなのお構い無しにグイッと喉の奥へ流し込んだ。話の終盤くらいから喉が渇いて仕方がなかったのだ。改めて思ったが、やはり自分の事を話すというのはどうにも苦手。人の話を聞いている方が好きなのだ。ちなみにレイシィと出会う前の事は話していない。俺が別の世界の人間である事は伏せておいた方が良いだろうと判断した。


「ふぅ……」


 一息ついた俺はカチャリとカップをティーソーサーに置く。すると再びスゥ……と背後からリザルーが現れる。そして空になったカップに紅茶を注いでくれた。


「ありがとうございます」


「いえ。しかしながら……中々に壮絶な経験をされておりますな」


「壮絶……ですか?」


 リザルーの言葉がピンとこなかった俺は思わず聞き返した。するとマベットも「確かに……今の話、高々たかだか二、三年の内に経験した事であろう? 随分と濃密な時間を過ごしておるな」と少しばかり笑いながら言った。


「更にはちまたを騒がしておるオーク共と二度もやり合っておるとは……」


「ご存知でしたか、オークの襲撃事件」


「ハハハ、確かにここは中央から離れてはおるがな、別に引き籠っている訳ではない。世界の動向、情報は常に探っておる。さてコウよ、そなたの話を聞いた上で尋ねたい事があるのだが?」


「はい、何なりと」


「うむ」と言うとマベットはグッと身を前に乗り出しテーブルに両肘を付く。


「今回そなたはジェスタに雇われたと申したな。だがいささに落ちん。率直に聞こう、そなたの取り分はどこにある?」


 静かに落ち着いた、しかし威圧感を含んだ口調。まるで睨む様に俺を見るその顔からは笑みが消えている。つい先程までの穏やかな雰囲気は何だったのか。そう思うくらい険しい表情のマベットに少し面食めんくらった。


「取り分……とは?」


「雇われたからと言われればそれまでだ。しかしジェスタが身を立てねばまともな報酬は受け取れんだろう。仮に失敗すれば命を落としてそれで終わり……それではあまりにそなたの背負うリスクが大きいではないか」


「そう言われれば確かにそうですが……」


「それに先程のそなたの話。東やイゼロン、傭兵団での戦いも……まぁ理解は出来る。世話になった場所や人を守る為、あるいはなし崩し的に巻き込まれたのだとな。しかし今回のジェスタへの助力、これに関しては明らかに違う。そなたにとっては全く関係のない話、それに自ら首を突っ込んでおる。ゆえに落ちんと言っているのだ。そなたには何か別の目的が……裏があるのではないか?」


(そうか……そんな見方があるとは思わなかった……)


 自分が疑われていた事に若干のショックを受けつつ、しかし同時に納得出来る話だとも思った。自身の娘との結婚を控えている隣国の王子に、いつの間にやら得体の知れない魔導師がついて歩いているのだ。コイツは何者だ? と思って当然だろう。ここはしっかりと悪意など持っていないと伝えねば……




「裏なんてありませんよ。困っている人に手を貸すのは当然の事で……」




 などと訴えようと口を開き掛けたその時、「よもや純粋な善意ゆえの助力などとは言わぬであろうな?」とマベットは再び俺を睨みながら言った。「あ……うぅ……」と小さくうなると俺は開き掛けた口を閉じる。まずいぞ、先手を打たれた。そんな事を言われたあとに、困っている人に云々うんぬんなんていかにも嘘臭いではないか……て言うか王様すげ~疑ってんじゃん! 俺に裏ある事前提じゃないの! 本当に善意のみで動いてたらどうするつもりだ!? いや善意なんだけどね! 善意しかないんだけどね! しかしどうする? ああ言われた以上そのまま答えるのも何か……


(……あ!)


 必死に考えたすえにフッと頭に浮かんだのは、ジェスタと出会った夜に見た夢の内容。夢の中でオルスニアの元騎士団長ラムズ・アドフォントが言っていた言葉だった。


「あの……純粋な善意とは、少し違うのかも知れませんが……」


「ふむ、何か?」


「はい。偶然出会った人が窮地きゅうちおちいっている。でも自分には関係ないとその場を離れた。結果あとになって、その人が悲惨な目にい命を落としたなんてどこかで聞く様な事があれば……何と言いますか、寝覚めが悪いと言いますか……」


 そんな俺の言葉に一瞬呆けた様にきょとんとするマベット。しかしすぐに「フ……ハッハハハ!」と笑い出した。


「ハハハハハ! なるほど、それは確かに純粋な善意とは呼べぬな。過分かぶんに己の都合が含まれておるわ。手を貸さなかった事で後ろめたさを感じたくないと、そういう事であろう?」


(お……おぅぅ……)


 ズバリそう言われると何というか、自分が随分と小さいヤツの様に見えてしまう様な……スッパリと善意です、とそう言い切った方が良かっただろうか……


「あの! 勿論ですね、純粋に困っている人に手を貸したいと、そう思う部分もありまして……」


 などと慌てて言い訳がましく説明する。が、それが余計に自分の小ささを引き立ててしまっている事に俺はまだ気付いていない。そしてマベットは大笑い。ジェスタは苦笑いだ。


「あの……一つらしい・・・理由を付け加えさせて頂ければ……」


 このままこの話が終わってはまずい。そう思った俺は更に食い下がる。「良いぞ、何だ?」とマベットは相変わらず笑いながら答えた。


「はい。魔導師の高みへ登りたいと、そう考えています」


 その言葉に再びマベットから笑顔が消えた。そして「ほう……高みとは?」と静かに問い掛ける。


「はい。最初は魔導師とは生きる為のすべであると考えていました。しかし徐々にその考えが変化していき、いずれは師を超える様な魔導師にと、そう思う様になりました。しかしそこへ至る道が分からないのです。どうすればあの化け物の様な師を超える事が出来るのか……分からないのなら一先ひとまずは、実戦に身を置くのが最適かと……」


 するとマベットは腕を組み、何やらぶつぶつと言いながら考える様な仕草を見せる。


(なるほど……他者の手助けを出来て、己の都合やにも叶う。ふむ、取り分としては充分か。しかし……らしい・・・理由か。確かに、取って付けた割にはらしい・・・理由だ)


 チラリと俺の顔を見て何やらニヤリと笑うマベット。「あの、何か……?」と恐る恐る問い掛けると、マベットは組んでいた腕を下ろす。そして穏やかな笑みを浮かべながら「いや、良く分かった」と言った。


「済まなかったなコウよ。だがお陰でそなたの本音を覗けた。綺麗事ばかり並び立てられるよりも余程信用が出来るというものだ」


「あ……はぁ……」


「世の為人の為などと、そんな事を言うやからが一番信用ならぬからな。今日日きょうび宗教家でさえ利己的ぞ、聖人君子なぞそうそう居てたまるものか。なぁ?」


「は……はは、そうですねぇ……」


 なぁって言われても……しかし危なかった。良い子を演じていたらどうなっていたか分からなかったな。まぁいらないダメージを負ってしまったのも事実……いや、俺別に小さくねぇし。行き掛かり上なんかそんな感じになっただけだし。


 いやマジで。


 なんて事を考えていると、今まで黙って聞いていたジェスタはおもむろに姿勢を正し「陛下」と口を開いた。


「お聞き頂いた通り、コウ殿には裏も悪意もございません。そしてコウ殿がいなければ、私達はこのレクリア城には辿り着けなかったでしょう。更に言えば、この先も……私は彼の力添えに応えたいのです。ですので陛下、何卒なにとぞ……」


 神妙しんみょう面持おももちのジェスタ。マベットは静かに「……分かった」と答え俺を見た。


「コウよ。そなたの知りたがっておる事に答えよう。場所変える、ついて参れ」


 そう言うとマベットはスッと立ち上がる。そして扉へ向かい歩き出した。「え? あの……」と戸惑う俺の肩をジェスタはポンと叩いた。


「行こう、コウ殿。ドクトル・レイシィとこの国に何があったのか、コウ殿には知る権利がある」

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