第214話 悪魔の舌

 ナルフとフッズが退室しヴォーガンも自室へ戻ろうと玉座から腰を浮かしたその時、謁見えっけんの間の扉が開き宰相さいしょうのゼンロが入ってきた。しかしヴォーガンの目がとらえたのはゼンロではなく、その後ろに続く女の姿だった。


「リアンセ殿!」


 ヴォーガンは嬉々ききとして女の名を呼んだ。リアンセはコツ、コツとゆっくりヴォーガンの前まで進むと「ご機嫌は如何いかがでございますか、殿下?」と言いながら一礼する。


「うむ、悪くない。そなたの顔を見れたからな」


「まぁ、嬉しいお言葉を……中々お訪ねをする事が出来ず申し訳ございません」


「何の、忙しいのは承知している。城での暮らしに不自由はないか?」


「はい。格段の便宜べんぎを図って頂いておりますゆえ、不自由な事など何一つ……部下共々良くしてもらっております」


「それは結構だ。して、今日は如何いかがした?」


「はい。ゼンロ様に薬の件を伺いましたものですので……」


「おぉ、そうだ。薬の量を増やせないかとゼンロに問うた。しかしゼンロは出来ぬと……何とかならないものか?」


 話ながらチラリとゼンロに目をやるヴォーガン。しかしゼンロは表情を変える事なく真っ直ぐ前を見ている。


「はい。誠に申し上げにくき事ではございますが……」


 そう言いながらリアンセは羽織はおっているローブの内ポケットから革袋を取り出す。そしてその袋の中からスルッと一枚の葉を取り出しヴォーガンに見せる。


「これがナブル葉にございます」


 手のひらの半分程の大きさのその葉は葉身ようしんふちも先端も丸くツルッとしており、何より特徴的なのは全体がピンクっぽい赤い色をしている事だ。しかし紅葉した葉のそれとはまた少し違う独特な色合いから、元々その様な色の葉なのだという事が推測出来る。ともかくそれは、およそ植物の葉とは思えない様な奇妙な見た目をしていた。


「別名悪魔の舌と呼ばれるこの葉はかつて西側を席巻した麻薬、極めて依存性が強い薬物ですわ。乾燥させ細かく刻み、紙に巻いて火を点けその煙を吸う事で摂取せっしゅ致します。強烈な高揚感や多幸たこう感を得られるのと同時に幻覚や幻聴といった心身の不調を引き起こし、やがて錯乱さくらん状態におちいりまともな生活を送れなくなります。ナブル中毒者の誕生ですわね」


「うむ、それは聞いた。そしてそのナブルがあのオーク兵を作り出す鍵である事もな」


「はい。多量の魔力を浴びせ魔力過干渉状態になる寸前、このナブル葉から取り出した抽出液を投与致します。そして再び魔力を浴びせる。そうして魔力過干渉状態にする事で自我を失い暴れ出すのではなく、こちらの命令を忠実に遂行しようとするあのオーク兵が生まれるのです」


「そなたらの技術は実に興味深い。その抽出液を加工したものを父上に投与しているのだったな。自白剤としての効果があると……その量を増やし結果を早められないものか?」


「恐れながら殿下、それは無謀と言わざるを得ませんわ」


 リアンセはナブル葉を革袋にしまいながら説明を続ける。


「一度にあまり多くを投与してしまうとナブル中毒におちいってしまいます。そうなれば意志疎通は完全に不可能に……中毒症状を起こさない様に自白剤としての効果を引き出すには、量と濃度を慎重に調整する必要がございます。ましてや陛下は病により衰弱しておられます。余計に慎重にならざるを得ないかと……」


 申し訳なさそうに話すリアンセを見て、ヴォーガンは「むぅ……分かった、致し方ないな」と納得する様子を見せた。


「ご理解を頂き恐縮にございますわ」


 にこりと笑顔で答えるリアンセ。その笑顔でヴォーガンの思考はカチッと切り替わった。そして「それより奥で少し話そうではないか、そなたの国の事を教えてくれ。良いワインを用意するゆえ、どうか?」と、どうやらナブル葉の事など頭の隅に飛んでいってしまった様だ。


「はい、お誘いは嬉しゅうございますが……実はこのあと、予定がございまして……」


「何と……急ぎの予定か? 私と話す以上の重要事か?」


 食い下がるヴォーガン。リアンセは「フフ、殿下には敵いませんわね」と笑うと「それでは少しお邪魔してもよろしゅうございますか?」と尋ねる。


「無論だ!」


 そう声を張るとヴォーガンはリアンセを伴い、謁見えっけんの間の奥にある部屋に向かう。王が来訪者と会談を行う会議室として使用している部屋だ。扉を開け部屋に入る寸前、ヴォーガンはくるりと振り返り「ゼンロ! ゾヴァリ!」と二人の名を呼ぶ。


「火急の要件以外はその方らで対処しておけ。良いな!」


 そう指示を出すとヴォーガンはリアンセと共に部屋にこもった。そんなヴォーガンの様子にゼンロは苦笑いを浮かべる。


「やれやれ、随分とあの女を気に入られたご様子だ。きさきとして迎えるなどと言いかねん勢いだな。だがまぁ……セムリナ殿下に食指を伸ばされるよりは遥かにマシか……」


「馬鹿な!? あれは酒の席でのれ言だと……」


 ゼンロの軽口を聞きゾヴァリは驚きの声を上げる。その話は耳にしていた。しかし勿論の事、悪い冗談のたぐいであると思っていたのだ。実の妹に手を出すなどまともな考えと性癖ではない。いくらあのヴォーガンであろうともだ。しかしゼンロは呆れる様に、そして冷静に説明する。


「そう思っているのは能天気な軍部の連中とあの御方の事を良く知らん者だけだ。お前もあの御方の麾下きかに入り日が浅い、良く良く理解しておらんのだよ。日頃からあの御方と付き合いのある者らはあの発言を聞いて凍りついておったわ。まるでビルデ山脈から吹き下ろす凍てついた寒風にさらされた様にな。セムリナ殿下もあれ以降あの御方とは距離を置いている。やりかねんと、そう思っている証左しょうさだ」


「それは何とも……しからば、本当にあの女をきさきにと言い出されたら何とします?」


「何としますだと?」


 ゼンロは聞き返すと肩をすくめて「止められんだろうよ」とため息混じりに呟いた。


「言い出したら聞かぬ御方だ。どこの国の誰とも分からぬ者を王家に迎え入れるなど……あり得ぬわ」


「西から来たと、そう申しておりましたな。沈んだ大地から……」


 ゾヴァリの言葉にゼンロは「そんなもの、どこまで信用出来ると?」と吐き捨てる様に話す。


「そもそもがだ、沈んだ大地の情報などまるで入ってこないのだ。向こうにどんな世界が広がっているかなど誰にも分かりはしない。その西の果てから来たなどと……信じようにも根拠が無さすぎる」


「ですがあの力は本物でしょう。あのナブルとか言う薬もしかり、転移の魔法にオーク兵……我らは自身の目で確認をした、あれらの力は疑いようがない事実……」


「……ああ。何より北の問題をどうにか出来るかも知れんとあってはな。ビルデ山脈以北、止まった地の開拓は我らに多大な益をもたらすだろう。そしてそれをす為には一先ひとまずあのナブルが必要……」


「連中に頼らざるを得ませんな……この件、評議会は?」


「知る訳がなかろうよ。あくまで連中はあの御方の客人としてここに滞在している、そのていは崩せんよ。何せ王家の独善どくぜんを許さぬ為に生まれたのが評議会だ、これが露見ろけんすれば間違いなく問題となる」


「悩ましい連中ですな」


「全くだ。いくら互いにがある事とはいえ……な。だがその約定やくじょうもどこまで信じられるか……ゾヴァリ、あの女と部下共から決して目を離すなよ。奴らの言葉を額面通りになど受け取れん。あれらの力を我らに向けない保証はないのだ。騎士団を総動員しても構わん、良いな?」


「は……」



 ◇◇◇



「……ジェスタさん、これ……どこ向かってるんです?」


「ハハッ、着いてからのお楽しみという事で」


「はぁ……」


 ダグベ王国、レクリア城。ジェスタさんから「コウ殿、少しよろしいか?」と誘われ城の中を歩いている。いくつも廊下の角を曲がり一階から二階へ。このレクリア城、迷路とまでは言わないが内部は実に複雑な作りになっているのだ。そんなに大きな城ではないはずなのだが、もはやどこを歩いているのかさっぱり分からない。これはきっと防衛の為に他ならないのだろう。城を攻められ敵が城内に侵入しても、この作りであれば容易に王族の居住エリアには辿り着けない。脱出の時間も稼ぎやすくなるというものだ。

 そして三階フロアへ足を踏み入れると途端に空気が変わった。明らかに警備が厳重になっているのだ。各部屋の前には必ず兵が二名ずつ立っており、俺達がその前を通るたびにビッと敬礼してくれる。どうやら三階には王族達の部屋があるようだ。

 やがてジェスタはとある部屋の前で立ち止まる。大きな両開きの立派な扉。当然兵が立っている。ジェスタは敬礼している兵に「いらっしゃるか?」と尋ねる。兵は「はっ、少々お待ちを」と答えると扉の前へ進んだ。


「陛下、ジェスタルゲイン殿下がお見えになりました」


「……陛下? え? ちょ……ジェスタさん!?」


 驚いて慌てる俺をよそに扉の奥からは「良いぞ」との返答が響く。するとジェスタは「さ、行きましょう」とどこか含みのある、しかし男前な爽やか笑顔で一言。これはあれだ、きっとサプライズ成功とでも思っているのだろう。


(いやいや、俺男だし。女じゃないし。そんな爽やか笑顔で丸め込まれないし……)


 などと心の中で文句を言いつつ、しかしジェスタルゲインという王子の今まで見た事のなかった一面を見れた事を……いや、そんな一面を見せてくれた事を何だか嬉しく思っていた。

 このマンヴェントに辿り着くまで、ジェスタはずっとどこか張り積めた様な緊張感とヒリヒリとする様な悲壮感を漂わせていた。まぁ無理もないだろう。命を狙われ、部下や仲間を失い、まさに暗中模索あんちゅうもさくの中を彷徨さまよっていたのだ。それが今はこんなにもリラックスした自然な姿を見せている。わずかながらでも俺の力が役に立って良かったと、素直にそう思った。が、


(いやだからって何で急に王様と……)


 それはそれである。釈然しゃくぜんとしない事には変わりはない。そうこうしている間にも王が待つ部屋の扉がゆっくりと開いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る