第213話 両陣営、動く

「失礼致します。長官、ナイシスタ殿をお連れ致しました」


「入ってもらえ」


「は。どうぞ……」


 部屋まで案内してきた兵は扉が閉まってしまわぬ様に、取っ手に手を掛けながら敬礼しナイシスタの入室を待つ。「ありがとう」と兵に微笑み掛けながら部屋に入るナイシスタ。笑顔を向けられた兵はその美しさとふわりと漂う甘い香りに、瞬間ほころびそうになった表情を引き締める為グッと力を入れる。


「ナイシスタ・イエーリー、参上致しました」


 ナイシスタは正面の机に着いている立派な髭を蓄えた男に挨拶をする。男の名はゼア・ガンザ。センドベル王国軍務省長官、センドベル軍のトップである。ゼアは「呼び立てて済まない」と言いながら立ち上がる。そして「しかし……」と言うとナイシスタをまじまじと見る。


「どうされましたか?」


「いや、相変わらず見目みめうるわしい。貴殿の様な女性が傭兵とは……などと、会うたびに思ってしまう」


「あら、こんな年増としま世辞せじなど……」


世辞せじは苦手だ。知っておるだろう? さぁ、掛けてくれ」


 ゼアは軽く笑いながらナイシスタに応接用のソファーへ座るよううながす。そして自身もその向かいに座ると「さて、早速だが本題に入ろう」とナイシスタを呼んだ理由を説明し始める。



 ~~~



「了解致しました。では長官、早速準備に移らせて頂きますわ」


 一通り話を聞きナイシスタは席を立とうとする。するとゼアは「あぁ済まん、忘れておった」と不意に口を開いた。そしてその立派な髭を触りながら「軍から一つ、貴殿に依頼を追加させてもらう」と話す。


「依頼を……もう一つですか?」


「何、至極しごく簡単な依頼だと言っておこう。当初は軍を動かそうと思っておったのだが、何しろ貴殿には手間を掛けさせる訳だからな、礼の一つもせねばならん。私からのギフトと思い受け取ってくれ。まぁ、行き掛けの駄賃だちん程度のものではあるが……レッゾベンクの南辺りで暴れている賊がある。ようやく連中のねぐらを掴んでな、その討伐を依頼したい」


「賊ですか……」


「ああ。だが規模は大きくない、三十人程だ。おまけに幹部数人は懸賞金付きでな」


「左様ですか。ではマンヴェントへ向かう途中で処理しろという事ですわね?」


「うむ。どちらの件もすでにダッケイン殿には伝えてある。成果は全て貴殿にゆずゆえ、好きに処理してくれて構わんぞ」


「まぁ、それは楽しみですわ。有り難く頂戴致します」


 ナイシスタは礼を述べると再び席を立とうとする。するとゼアは「しばし、もう一つ……」と右手を前に出してナイシスタが立ち上がろうとするのを制止する。


(まだ何か……)


 そう思ったナイシスタは反射的にいぶかしげな表情を浮かべそうになる。しかしその寸前ハッと気付き、何とか元の笑顔を維持したまま「どうされましたか?」と尋ねた。


「うむ、実はな……此度こたびの一件、陛下もいたく気にされておってなぁ。くれぐれも……とまぁ、そんな様なお言葉をたまわっておる。しかしナイシスタ殿であれば問題ない。万が一など有り得ませぬと、陛下にはそうお伝えして――」



 ~~~



 長官室を出てパタン、と扉を閉めたナイシスタ。終始維持していたゆるやかな笑顔がスゥゥ……と消える。


(髭め、嫌な圧を掛ける……言われなくても……!)


 険しい表情のままナイシスタは城をあとにした。そして外に待っていた馬車に乗り込む。向かう先は王都デーナの南端にそびえる傭兵団ブロン・ダ・バセル本部、ガルー・ベッラ。神の洞穴ほらあなと名付けられたその建造物はいかつい見た目通り、元は背後に広がる王都デーナを守る砦の一つだった。神の洞穴ほらあなとは北方神話の狼神おおかみしんブロン・ダ・バセルがねぐらとしていた神聖な洞穴の事である。



 ◇◇◇



「久々だねぇ、あんた達。よもや腕は落ちてないだろうねぇ? じゃあ早速始めようか」


 ナイシスタはブリーフィングルームに入室するや集まった部下達を軽く見回しすぐに説明を始める。部屋には二十名程の特務部隊の面々が揃っていた。ナイシスタを隊長とするブロン・ダ・バセル特務部隊、通称シャーベルである。敵地に潜んでの核心的な情報の収集、撹乱かくらんを目的とする欺瞞ぎまん情報の流布るふ、対象の破壊や暗殺など、ある時は大規模部隊のサポート役として、またある時は少数部隊のメリットである身の軽さを生かした電撃的な急襲作戦の実行など、シャーベルの任務と役割は実に多岐たきにわたる。とは言え、最近では彼らの出番は少なくなっていた。団の規模が大きくなり人海戦術で対応出来る場面が増えてきたからだ。ちなみにシャーベルとは古いドワーフの言葉で忍び寄る、という意味である。



 ~~~



「――という訳でねぇ、あたしらシャーベルがクソボケカーンの尻拭いに当たる事になった」


 ナイシスタの説明を聞いた隊員の一人が「何で俺らが!?」と不満顔で右手を振り上げながら声を上げた。


「カーンの親はルバイットだろ? ケツを拭くべきは奴の隊だ!」


「良い事言うねぇ、ナッカ。全くあんたの言う通りさ。だがこれは国からの依頼、もっと言えば軍トップからの直接依頼だ。この上なく面倒臭いが致し方なし。あたしらは国の犬だからねぇ、命令されたら尻尾を振って元気にワンって吠えるしかないのさ」


 するとナッカは観念したかの様に肩をすくませながら「やれやれ。いつになったらその名の通りの狼神おおかみしんになれるやら……」と愚痴ぐちる。その言葉にナイシスタは「ハッ!」と笑う。


「国が死んだらなれるさ。この国の命と引き換えに、ようやくあたしらの首に繋がってる鎖は切れるのさ。主神ラグメラが暴れ回る狼神を繋いだ鎖だ、決して解けない氷の鎖……ま、結局の所は我慢するしかないって話だねぇ」


 傭兵団ブロン・ダ・バセルの設立に当たってはセンドベル王国が深く関わっていた。設立に際しての必要な資金のその大半をセンドベル王国が出資していたのだ。つまり民間組織をうたってはいるが、ブロン・ダ・バセルは実質センドベル王国が保有している軍とは別の武装集団という位置付けになる。その関係上、ブロン・ダ・バセルはセンドベル王国からの要請を断れないのだ。


あとでゼアから正式な依頼書と現状確認し得る情報をまとめた書類が届く。そいつを確認したら出発だ。ロイデ、ダン、あんたら二人は先行してマンヴェントへ入りな。どんな些細ささいな事でも良い、ジェスタルゲインの情報をかき集めておくんだ。それとゼアからもう一件、別口の依頼を受ける」


 すると今度はナッカの横に座る男が「おいおい、人使い荒いねぇ」と呆れる様にぼやく。


「あの髭、俺達を便利屋か何かと間違えてんのか?」


「そう愚痴ぐちるんじゃないよ、ミストン。マンヴェントへ向かう途中、レッゾベンクの南で賊狩りさ。簡単で美味しい依頼、ゼアからのギフトだそうだ。レッゾベンクの連中使っていつも通りサクッと片そうじゃないか。ただ……」


「何だ? まだ何かあんの?」とミストンは更に呆れた様な声を上げる。


「いや、ダッケインが面倒だねぇ……」


「ダッケイン? 団長が何だって?」


「今回の依頼はダッケインを飛び越して、ゼアからあたしらに直接回された依頼だ。ゼアはダッケインに話を通したと言っていたが……ダッケインとしては面白くないだろうねぇ。団長としての面子めんつを潰された様なもんだ。顔を合わせたら嫌みの一つも言われるかも知れないが……まぁ適当に笑って誤魔化しておきな」


「なるほど。そっちもいつも通りってね」


「そういう事さ、ミストン。全くもっていつも通り。賊を狩って王子も狩る。出来る限り迅速に、出来る限り残酷に。趣味と実益を兼ねた素敵なお仕事さ。いつも通り、切り刻んでやろうじゃないか」


 ニヤリと笑うナイシスタ。その美しい顔が不気味に歪む。見慣れているはずのシャーベル隊員でさえ、若干の不快感を感じてしまう程だ。


「隊長、悪い顔になってんぜ。刻むのはあんたの趣味だろ。全く、普通にしてりゃ美人なのによ」


 たまらずナッカが口を開く。しかしナイシスタは更に笑う。


「へぇ~、何だいナッカ。そんな風に見てたのかい? 別に惜しむような身体じゃないが……あんたに抱かれてやるのは何か勿体もったいないねぇ」


「誰がそんな事言ったよ……」


 二人のやり取りに部屋の中には笑いが起きる。ナイシスタは「まぁ、上手くいったらご褒美として考えてやるさ」と言いながらナッカに投げキッスのジェスチャー。微妙な表情のナッカをよそに、ナイシスタはシャーベルの面々を見回しげきを飛ばす。


「さぁ久々の仕事さ! 準備しな!」



 ◇◇◇



 一方ジェスタ殺害を依頼した張本人の陣営にも動きがあった。イオンザ王国王都ダン・ガルーに鎮座ちんざするベオ・イオンザ城。その謁見えっけんの間を訪れた者達がいたのだ。


「ナルフと……フッズと申したか。首尾はどうか?」


 頬杖ほおづえを付き、足を組み、ゆったりと玉座に座るのはイオンザ王国王太子ヴォーガン・イオンザ・エルドクラム。ヴォーガンは自身の前でひざまずく二人の男に問い掛ける。男達は国を離反したダグベ王国の軍人、ナルフ・サーベンとフッズ・リガンディだ。


「は。上々にございます。今しばらくお時間を頂けますれば、仕掛けは万端整いまする」


 ひざまずき、下を向いたままナルフが答える。ヴォーガンは「結構」と言うと「顔を上げよ」と二人に命じる。「は」と顔を上げる二人。


(うっ……!?)


 ナルフはそこで初めてヴォーガンの顔をしっかりと見た。そして目の当たりにした。その異常とも思えるヴォーガンの目を、その視線を。何が異常なのかと問われると上手く説明は出来ない。しかし普通ではないと、はっきりとそう言い切れる。視線を合わせたくらいでこんなにも嫌悪感を感じる事などないだろう。およそまともな人間の目ではないと、ナルフはそう感じ思わず声を上げそうになったのだ。


「狼の名をかたる犬共より先にジェスタを仕留めよ。さすればこれ以上無駄な金を支払う必要がなくなる。そしてそなたらはこのイオンザで相応の役職にくのだ。互いに良い事しかない。どうか?」


「は、仰る通りに……」


「手助けが必要ならばゾヴァリに言うが良い。良いな、ゾヴァリ?」


 ヴォーガンは自身の座る玉座のかたわらに立つ男に呼び掛けた。真っ白な鎧に身を包むその男は「は……」と返答する。雪風せっぷう騎士団団長のゾヴァリだ。


「うむ、ならば行け。吉報を待つ」


「「 ははっ 」」


 そう答えるとナルフとフッズは立ち上がって敬礼し、謁見えっけんの間を後にする。ヴォーガンのあの目を見て以降、ナルフは噴き出す汗が止まらなかった。



 ~~~



「おいナルフ、どうした?」


 謁見の間を出て廊下を歩く二人。明らかに様子のおかしいナルフに気付きフッズは声を掛ける。


「どうしただと? フッズお前……何も感じなかったのか!?」


 ナルフは驚きフッズに問い掛ける。「何がだ?」と聞き返すフッズ。


(なんて鈍い……!)


 ナルフはフッズの返答に瞬間イラッとし、そしてなかば呆れる様にそう思った。しかしすぐに思い直す。


「……フッズ。士官学校の教官になってどれくらい経つ?」


「三年程だが……それが何だ?」


 ナルフは得心とくしんがいった。現場を離れヒヨッコ共をシゴく平和な日々。それを三年も続ければしものフッズと言えど鈍くもなるだろう。


「……ともかく、すぐにこの国を出られる様に準備をしておく」


「国を出る? 一体どうして……亡命は? ダグベには戻れないんだぞ!?」


 まるで状況を理解出来ていないフッズは当然反論する。そんなフッズにナルフは「ヴォーガンだ……」と答えた。


「あの男は危険だ。あの目は……あの目は異常だ! 計画が成功したとしても、俺達が無事にこの国で過ごせるかは……」


 そこまで話すとナルフは急に口をつぐむ。少し先、廊下の角からこちらに向かい歩いてくる男の姿に気付いたからだ。すれ違いざま、その男はチラリと二人を見る。この国の宰相さいしょう、ゼンロ・ゴーティだ。しかしナルフはゼンロよりも、そのすぐ後ろを歩く女の方が気になった。

 やわらかな笑みを浮かべ弾む様に歩く女。ナルフはその女に強烈な違和感を感じ、瞬間全身があわ立った。それは重々しい雰囲気が漂うこのベオ・イオンザ城内を、まるでおだやかな午後の公園を散策さんさくでもしているかの様に軽快に歩くその様子もる事ながら、何よりもその女がき散らしている得体の知れない圧を感じ取ったからだ。ヴォーガンとはまた少し違った、しかし同様に不快な圧。例えるならばヴォーガンのそれは全てをじ伏せ様とするものであり、女のそれは全てを斬り捨て様とするもの、といった所か。


(一体何者だ……)


 そう思ったがしかし、ナルフは振り返り女を見る事はなかった。一目で危険と分かるものにわざわざ首を突っ込む事はない。ようやく引き始めていた汗が再び噴き出してきた。冷たい汗だ。だがナルフは同時にある意味満足していた。フッズとは違い自身の心と身体は軍人としてしっかりと機能していると、そう確認出来たからだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る