第36話 エス・エリテのちみっこ

「ユージスさん、お世話になりました」


 朝、ロイ商会前。十日ちょっと過ごしたミラネリッテを出発する日だ。


「本当に、お送りしなくていいんですか? もし、遠慮してるんだったら、私はいくらでも……」


「大丈夫ですよ、ユージスさん。イゼロン山までは五日程度ですよね? 乗り合い馬車でゆっくり行きます。それより、何かあったらエス・エリテまで知らせて下さいよ、すぐに来ますから」


「ありがとうございます。コウさんも困ったことがあったら、いつでも相談して下さい。あなたには、返しきれないくらいの恩があるんですから……」


「そうですよ、コウさん!」


 リアンが駆け寄ってきた。


「ロウ商会を救ってくれた恩人なんですから、私にできることがあれば……何でも言って下さい!」


「ありがとうございます、リアンさん。じゃあ……ユージスさんと一緒になる時は知らせて下さいね、お祝いに来ますから」


 俺は小声でリアンに伝えた。リアンは驚いた様子で、真っ赤になりながら小声で返答する。


「なっ……そんなんじゃ、違いますよ、あの……もう~……」


 ハハハ、丸分かりだよ、リアンさん。


「あの、どうしました?」


 ユージスが不思議そうに尋ねる。


「いえいえ、何でも……」


「何でもありません!!」


 リアンは真っ赤なまま、俺の声に被せるように声を上げた。



 ◇◇◇



 何もない平野が続いていると思ったが、うとうと・・・・している間に気付けば森の中にいた。

 ミラネリッテを出発して五日目、そろそろ目的地であるイゼロン山のふもとの街、エリノスに到着するはずだ。森に入る前まで見えていたイゼロン山、今はその姿を隠している。周りには他に何もなく、不自然なほど高いイゼロン山だけがそびえ立っているそのさまは、とても現実の物とは思えない不思議な風景だ。エリテマ神が地上に降りる際、イゼロン山を目印にしたという伝説もうなずける。


 森の中には広く立派な街道が敷かれており、多くの人や馬車が行きっている。それだけで、エリノスというのが大きな街だということがうかがえる。


 しばらくすると急に視界が開け、高い城壁に囲われた巨大な街が現れた。エリテマしん教徒の街、エリノスだ。街の後方には、異様なほど高くて大きなイゼロン山がそびえ立つ。その存在感は何と言うか、圧巻、の一言。


 馬車は城門横で止まる。城壁、城門と言うが、この街に城はない。過去何度も侵略のき目を見てきたこの街には、防衛のための高い壁が必要だったのだ。

 エリノスとイゼロン山はどの国にも属していない。エリテマ真教の修道士や教徒達が運営を行っている自治都市、いや、一つの独立国と言っていいだろう。周辺はミラネル王国他、全部で三つの国と国境を接しており、それらの国とは不可侵条約を結んでいる。どの国もエリテマ真教の影響力の大きさは充分に理解しており、その恩恵を受けるため過去何度もエリノスに攻め入った。

 が、エリテマ真教の信者達はそのことごとくを跳ね返した。それはひとえに、聖地を守りたいという強い信仰心から生まれた結果だろう。

 自分の手に入らないのならば、せめて他の国の手に落ちないようにしたい、という思惑が働き、この三ヶ国は他国がエリノスに攻め入らないよう、互いに監視し合っているという関係だ。逆に言えば、エリノスはこの三ヶ国に守られている、ということになる。


 街の中に入る。街並みは何と言うか、非常にごちゃごちゃとしている印象だ。

 東側の街のそれとはまるで違い、細い通りの両側に石造りの家がびっちりと建ち並んでおり、その細い通りは街の中を縦横に走っている。

 そして何と言っても人の多さだ。ミラネリッテも人が多かったが、ごちゃごちゃした街並みのせいか、余計人が多く感じる。しかし、小さな店や屋台が数多く並んでおり、活気のある街のようだ。


 とりあえず目についた宿に入る。外観はボロボロで、大丈夫か? という感じだったが、案内された部屋は清潔感がありキレイだった。今日はここに泊まり、エス・エリテには明日向かおう。



 ◇◇◇



 翌朝。宿の主人にエス・エリテに行きたい、と尋ねたところ、とにかくイゼロン山に向かって進め、との答えが返ってきた。うん、まぁそうなんだろうけど……きっと宿泊客みんなに聞かれるので、面倒くさいんだろうなぁ、と思いつつ山に向かって歩く。

 が、全然辿り着かない。山へ向かう道は緩い上り坂になっており、結構キツイ。かなりの距離を歩き、いい加減その辺で休もうか? と思い始めた頃、目の前に広場が現れた。広場のずっと奥には山へと消えていく階段が見える。どうやらここがエス・エリテへの入り口らしい。


 広場には多くの屋台が出ており、大勢の人で賑わっている。エリテマ真教徒の証でもある、濃紺のローブを羽織った人が沢山いるが、それ以外の人も多くいる。なるほど、どうやらイゼロン山は観光地化されているようだ。確かにこれだけ高い山で、さらに聖地とくれば教徒以外の人だって見たいと思うだろう。


「お兄さん! エス・エリテかい? 巡礼……じゃあないね、だったらこれに乗って行かないと、途中でぶっ倒れるよ!」


 声を掛けてきたのは客引きのおばちゃん。これって……これ?

 おばちゃんの後ろの小屋には、大きなつ足の動物が沢山繋がれている。牛と鹿を足して割ったような……トナカイ? うん、トナカイっぽいな。角ないし、やたら毛が長いけど。


「これ、なんて動物?」


「〈ラグー〉だよ、知らないかい? この図体で野生では、岩山なんかを器用に移動するんだよ。あんな階段なんかすいすい上っちゃうよ。この子にまたがってれば、勝手にエス・エリテまで運んでくれるのさ」


「勝手に?」


「ああ。勝手に上までのぼってくれるんだ、賢いだろ? 熱心な信者はね、自力で上まで行っちゃうけど、観光客はこれに乗らなきゃ、途中でエライ目に合うよ?」


「そんなに大変?」


「もうもう、大変も大変! あたしもチャレンジしたことあるけどね、途中でギブアップ。悪いこと言わないから、乗ってきな?」


 そんなに大変なのか……まぁ、体力ある方でもないし、途中で身動きとれなくなっても面倒くさいしな。


「じゃあ、乗ってくよ。いくら?」


「はい、ありがと~、銀貨五枚だよ」


 二千五百円くらいか……う~ん、ちょっと高めのロープウェイに乗ったと思えば……


 銀貨を支払うと、おばちゃんは一頭のラグーを連れてきて、くらを付けたり俺の荷物を載せたりと、てきぱき準備を始める。


「さ、いいよ、乗ってみて」


 おばちゃんに促されるまま、俺はラグーにまたがる。すると、おばちゃんの合図でラグーはゆっくりと立ち上がる。


 おおお……視点が……結構高い。でも、どっしりしていて安定感がある。


「じゃあ簡単に説明だよ。右の首元を軽く三回叩くと歩き出す、止める時も同じ場所を三回だよ。で、左の首元を三回叩くと座る、立たせる時も左を三回だ。エス・エリテの入り口にもラグーの貸出所があるから、上に着いたらそこに引き渡すんだ」


「なるほど、分かったよ。こいつ名前は?」


「この子は……四番だね」


 四番て……


「はい、行ってらっしゃい!」


 ラグーはゆっくりと階段をのぼっていく。



 ◇◇◇



 どのくらい上ったのか、時計がないから時間が分からないが、とにかく延々と階段を上っている。景色は、ものスゴいな……どこまでも見渡せるくらいの絶景だ。

 途中には休憩所がいくつもあり、いたるところでエリテマ真教の信者が休んでいる。いや、休んでいるというか、倒れているというか……確かにこれは、自力で上まで行くのは大変だ。ラグーは一切休むことなく、黙々と上っている。スゴいな、ラグー。いや、四番。


 やがて階段が終わり、緩い上り坂になる。その先には、大きなアーチ状の看板が立っている。看板には〈ようこそ、エス・エリテへ〉の文字。

 ……これは完全に観光地化されているな。


 看板をくぐって驚いた。そこには数多くの建物が建ち並び、もはや一つの街となっていたのだ。人も多く、随分賑わっている。すぐ右側にラグーの貸出所があった。ラグーを降りて引き渡す。四番、ご苦労さん。


 とりあえず、正面の通りを奥に向かって歩く。そもそも、レイシィの手紙にはエス・エリテに行け、としか書いてなかった。どこの誰に会えばいいんだろう?

 通りの両側には様々な店がある。飲食店、衣料品店、これは雑貨店か? 更には、宿と思われる建物がいくつも建っている。そうか、山を降りるのにも相当時間がかかるからな、ここに泊まらなきゃいけない場合もあるだろうな。

 通りを進むと、一際大きな建物が見えてきた。あれは、神殿だろうか? だとしたら、関係者の一人くらいいるだろう。よし、神殿に行こう。


 神殿の入り口には、長蛇の列ができている。濃紺のローブを羽織ったエリテマ真教の信者、巡礼だろうな。ラフな格好の人、観光だろうな。列の横には一定間隔で立て看板が並んでおり、看板には〈拝観料銀貨二枚、用意してお並び下さい〉と書いてある。

 う~ん、聖地ってことだし、もっとおごそかな宗教的なところを想像してたんだけど、なんか商売っ気が強すぎる感じがするんだが……

 それに周辺には関係者らしき人が全然いない。その辺歩いてても良さそうなもんだけど。


 しょうがない、とりあえず列に並んで中に入ろう。


 神殿への列は予想よりもスムーズに進んでいく。これならそんなに待たなくても良さそうだ。最初は某ネズミの国の、アトラクション待ちくらいの覚悟をしていたんだが……


 やがて列は神殿の入り口まで進む。入り口には窓口があり、皆そこで拝観料を支払っているようだ。まるで某ネズミの国の入場ゲートだ。笑顔のお姉さんにお金を支払いチケットをもらうのだ。

 いやいや、違うぞ。別に神殿を見学したい訳じゃない。とりあえず窓口のお姉さんに事情を説明し、責任者的な人を紹介してもらうのだ。

 いやいや、違うぞ。窓口にいるのがお姉さんとは限らない。例えお兄さんでも……

 ふぅ~、ずっと待ってるだけって状況だと、余計なことを色々考えてしまうな。


「次の人、どうぞっす」


 やっと窓口に着いた。


「あの、すみません、実は……」


「拝観料銀貨二枚っす」


「いえ、実はですね……」


「拝観料銀貨二枚っす」


「いえ、ここの責任者の……」


「拝観料銀貨二枚っす!」


「いや、だからですね……」


「後ろつかえてるんで、さっさとしてくんないすかね? 早いとこ、この列さばいて休憩したいんすけど」


 ぬぅぅぅ、何だこのちみっこは!


「……今、失礼なこと考えたっすね?」


 ぬぅぅぅ、なぜ分かる!


 窓口にいたのは笑顔のお姉さんでもお兄さんでもなく、態度と目付きと口が悪い、金髪ツインテロリだった……

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