第2話 地図

「さぁ、着いたぞ。入ってくれ」


 そう言って彼女はドアを開ける。


「あ、お邪魔します……」


 彼女に続いて家の中に入る。


 ん? 靴は……脱がないのか?


 ドアの向こうにはすぐ部屋広がっている。玄関らしきものはなく、マットが一枚敷いてあるだけだ。コツン、コツンとブーツを鳴らしながら、彼女は部屋の奥へ進む。

 よく考えると不思議な格好だ。なんとも古めかしい感じのロングブーツ、そしてマント……


 ……マントだよな?


 あれ? ひょっとしてポンチョ? 的な? いや、ポンチョにしては長すぎる、やっぱマントでしょ。いや、だとしても今時マントって……


 彼女はそのマントを、キッチン手前にあるテーブルの椅子に無造作に放り投げた。マントの下は白いブラウス。


 んん? ……大きい。


 細身な感じかと思ったがこれはなかなか……


「適当に座ってくれ」


 声をかけられてハッとした。いかんいかん、それどころではなかった。


 テーブルに着き、部屋の中を見渡す。


 部屋の造りや内装は日本のそれとは違い、まるで海外の家のようだ。しかも少し古い時代の……アメリカンカントリー? 的な感じだ。そう言えば暗くてよく分からなかったが、家の外観もそんな感じだったような……

 部屋の中で目につくのは壁一面に備え付けられている本棚と、隙間なく置かれている大量の本。一部は本棚に収まらないのか床に積み上げられている。その横、部屋の隅に無造作に立て掛けられているのは……剣? え、なんで? 本物?


 すると彼女はグラスと赤い液体が入った瓶を持ってきた。


「飲めるか?」


 とりあえず


「はい」


 と答える。ワインか?


「よかった。安物だが、うまいんだ」


 彼女はそう言いながら、グラスに赤い液体を注ぐ。


「どうぞ」


 一口飲んでみる。うん、ワインだ。ほとんど渋味はなく、結構フルーティー。酒は嫌いじゃない。というかむしろ好きだ。


 彼女は俺の向かいに座り、自分のグラスにもワインを注ぎ、クッとグラスを傾ける。


「ふぅ。さて、一息ついたところでまずはお互い、何者なのかを確認しておこうか」


 そう言って彼女は話し出した。


「私はレイシィ。魔導師けん、魔導研究者ってとこか」


 レイシィ。日本人の名前ではないな、やっぱりハーフとか? それよりも、まどう……何だって?


「で、君は?」


「あ、はい、コウです。三枝さえぐさこうと言います」


「コウ……サエグ……サ? ……えーと、どっちが名前?」


「コウが名前です。」


「うん、コウ・サエグサね」


 名前が先……やっぱりハーフ? いや、外人?


「で、コウ。君はこんな時間に、あんな所で何をしていたんだ?」


「はい、えーと、自分でもいまいちよく分からないんですが、バイト終わりに車の事故を見に行こうとしたら、あの豚が現れて、こう、ランタンを掲げたと思ったら、次の瞬間にはあの場所にいて、で、襲われて……」


「ばい……と?」


 レイシィは怪訝けげんそうな表情を浮かべている。


「はい、ファミレスのバイトです。」


「ふぁみ……?」


 ……


 沈黙。


 こいつはなにを言ってるんだ? レイシィはそんな顔で俺を見つめている。


「あの、さっきの豚って、一体……」


 沈黙に耐えきれず俺の方から話し出す。


「豚? ああ、オークか? そうだな、オークの皮膚の色は茶系が多いが、あそこまで赤黒くなるのは、魔力の干渉を受けている証拠なんだ。ああなるともう自我をなくしてしまい、どんな行動をとるか本人にも分からなくなる。事故などで偶然多量の魔力を浴びることであんな状態になるんだ。

 ただ問題なのは、意図的にあの状態にされることだな。目的は対象を操ること。対象は自我をなくしてしまうため、自分の思い通りに操作しやすくなる。とは言え、これはまだ理論上可能である、という域を出ていない。まぁ、可能性としては限りなく低いだろう。恐らくどこかで魔力を浴びて、あの状態になったんだろう。

 とりあえず、あの場でけものけの措置は施しておいたので、死体をけものなどに喰われる心配はない。明日改めて調べに行ってみるさ。

 あ、ちなみにああいう状態は他の種や、人間もおちいる可能性があるんだ。まぁ、私も昔あの手の研究をしていた時期が……」


 長い!


 なに? オーク? オークって何よ? あれか? ゲームなんかに出てくる豚のモンスター……

 いや、それよりなんでそのオークが、さも当たり前に存在しているかのように話すんだ? 皮膚が赤黒い理由なんか聞いちゃいない!それに、魔力……干渉? はぁ?



 魔力? ……はぁ??



 気持ち良さそうに語っていたレイシィだったが、俺が話に付いていけず混乱している様子なのを見ると


「あ、すまん。つい夢中になって……」


 と言って口を閉じた。


 おかしい。


 話が噛み合わない。お互い話すことが全く理解出来ていない感じだ。どうなっている? どういう事だ……?


 …………


 再び沈黙。


「あの、ここ……どこですか?」


 やはり沈黙に耐えきれず話を切り出す。


「ん? ここはラスカの近くだが?」


「……あの、ラス……カって……?」


「……オルスニア王国、王都オルスの南東にある街だ」



 !!



 日本じゃない……?


 それどころか、オルスニア? そんな国、聞いたこともない!


 実はレイシィに助けられこの家に来るまでの道中、ひょっとしたら、とある事を考えていた。とんでもなく馬鹿げたあり得ない事だ。まぁ、そんなおかしな想像をしてしまうのも仕方がないだろう。なんせついさっきまで、まさにあり得ない体験をしていたのだから。豚の化け物に出会い、気付けば森の中で、命を狙われ、助けられ……日常ではあり得ない出来事だ。

 しかしここに至っては、そのあり得ない出来事が本当に起きているのではないか、という気になってくる。何故ならそのあり得ない出来事が、この上なくリアルだからだ。だが、だからと言ってそんな事、本当に……


「あの、地図……って、ありますか? 出来れば、世界地図がいいんですが」


「世界地図? さすがに、そこまでのものはないが……大陸東側の地図なら確か……ちょっと待ってな」


 そう言ってレイシィは、窓の手前にあるチェストの引き出しから、古びた紙を取り出し俺の前に広げた。それは確かに地図のようだった。見たこともない文字で地名らしきものが書かれているが、当然読めやしない。


 レイシィは大陸東側と言っていた。


 北アメリカ、南アメリカ、ユーラシア……ぼんやりと記憶している大陸の地形を思い出しながら想像し、目の前の地図と照らし合わせる。


 合うわけがない。


 それはそうだ、目の前の地図にはまったく見たことがない地形が描かれているのだから。


 あり得ない事、理解出来ない事、不可思議な事、今まで体験したり感じたりしたそれらのに落ちない事が、次々と線で繋がって行くような感じがした。そして現実は強烈に主張する。あり得ない事などこの世にはないのだ、と。


「やっぱり、違う……」


「違う? 何がだ?」


「……俺の世界じゃない」


「それは、どういう……」


「違うんだよ! これは俺の世界じゃ……俺の知ってる世界の地図じゃない! 大体オルスニアなんて国、知らない……聞いたこともない! おかしいんだよ、全てが!」


 突然大きな声を上げた俺に驚きながらも、レイシィはじっ、と俺の話を聞いている。


「そもそもあのオークとか言う化け物、俺の世界にはいない、俺の知ってる世界には存在しないんだ!」


「……違う、世界……?」


 そう呟いたレイシィは、突然ガタッと立ち上がった。


「なぁ、コウ。君はさっき、ランタンがどうとか言っていたな?」


「……あの豚がランタンを掲げたら、いつの間にかあの場所に……」


「ランタン……すまない、コウ。少しこのまま待っていてくれないか? すぐに戻る」


 そう言い残すと、レイシィは慌てた様子で外に飛び出して行った。


 一人残された俺は、目の前に広げられた地図に目をやる。



 違う世界。



 ひょっとしたら、と考えていた、とんでもなく馬鹿げたあり得ない事。



 ここは違う世界。



「くそっ! 何なんだ、一体……」


 飲みかけのワインを、一気に喉の奥に流し込んだ。

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