第230話 斯くして魔女は邪悪に笑う 15
まだ日も昇りきっていない薄暗い早朝。ダグべ軍マンヴェント基地前はざわついていた。馬車に荷馬車、何頭もの馬が基地エントランス前に集められ、王都を出発する予定の一団がそれらに荷物の積み込みなどの作業を行っていた。すると程なくして、馬を引いた女がその一団の前を通る。女もその一団の者達もチラチラと視線を交わしはするが、両者とも声を掛ける素振りは見せない。互いに意識はしているがどう声を掛けて良いのか、そもそも話をして良いものかどうか判断に迷っている様子だ。
(そりゃまぁ、こんな空気になるだろなぁ……)
女が苦笑いしながらそう思ったその時、「レイシィ!」と少し先から自身の名を呼ぶ声が聞こえた。
(主任……)
レイシィは馬を引きながら早足でベニバスの下へと向かう。
「おはようございます、主任。いやぁ何と言うか……微妙な空気ですねぇ。特務隊の皆さん、何か声掛けづらくて……」
「それはそうだろう。殺す者と殺される者、互いに納得しているとはいえ仲良く談笑するのもおかしな話だ。それよりレイシィ、君はこっちだ」
話しながらベニバスは左手の親指を立てクイッと自身の後ろを指差す。ベニバスの背後には一台の馬車が止まっていた。
「へ? 馬車ですか? 別に馬でも良いんですが……」
「作戦実行の時まで極力人前に姿を見せない方が良いと……まぁ、殿下のご指示だ」
「そうですか。馬車で従軍なんて、何か偉くなったみたいですね」
そう言いながらレイシィは馬に積んでいた荷を下ろし肩に
「何で……主任も乗るんです?」
「何でって……同行するからに決まっている」
「え!? 主任も行くんですか?」
「当然だ。私だけじゃない、開発局二班の者達も一緒だ。だが君と同様、我々研究者も同行していると周りには知られたくない。いらなく
「そう言われると確かに……」
レイシィは窓の外を眺める。そこにはすでに馬に
「道中特務隊に中毒症状者が出たら、一体誰が対応すると?」
「なるほど、そういう事でしたか」
「リ・レゾナはあるだけ持ってゆく。普段より多目に服用してもらい症状を抑え込むつもりだが、それでも
「護送車!? そんな物まで用意したんですか?」
「ああ、三台用意した。軍の技術部が三日掛けて補強した代物だ。多少暴れられても壊れはしない。周りからはまともじゃない犯罪者が移送されていると……まぁそう見えるだろう」
「そうですか……道中何もなければ良いですね……」
「ああ、全くだ……」
そうこうしている内に馬車はガタンと揺れてゆっくりと動き出した。いよいよセンドベルの侵攻を受けている西の地、マーデイへと出発する。マーデイを守り、同時に特務隊を
ただ一人、はっきりとしない者がいた。果たしてベニバスはどうなのか。
国王リドーへの謁見以降ベニバスはどこかレイシィによそよそしく、ともすれば距離を置かれているのではないかと、レイシィはベニバスに対しそう感じる事が
「…………」
無言の車内。チラリとレイシィは向かいに座るベニバスを見る。ベニバスは窓の外に流れる王都の景色を眺めている。レイシィはすぐにベニバス同様窓の外に視線を向けた。気まずい、とまでは言わないが何となく感じる居心地の悪さ。いっそ聞いてしまおうか。一瞬頭を
◇◇◇
王都マンヴェントを
「長旅ご苦労、良くぞ参った。マーデイを治めているハルケン・リッカブランだ。諸君らを歓迎する」
応接室に通された三人を出迎えたのは領主ハルケン・リッカブラン伯爵と、衛兵隊である第三大隊を率い一足先にマーデイを訪れていたデルカル。彼は今後の作戦を協議する為一時レテスに戻っていた。
「諸君らの到着に
ハルケンの問い掛けに敬礼をして「は」と答えるディル。ハルケンは続けて「体調はどうか?」と尋ねる。
「は。私を含め隊員達も問題なく」
「それは結構。貴殿ら最後の任務地にこのマーデイが選ばれた事を光栄に思う。陛下より一つ、貴殿ら特務隊に
「は。
ディルは静かにそう答えた。静かだが、しかし力強い声。彼らが遂行すべき任務とは敵を道連れにしての爆死。何とも
若いな。
続けてそう言いそうになったハルケンだったが、その言葉は飲み込んだ。研究部門であれ何であれ、軍に所属している以上任務に年齢は関係ない。彼女もまたディル同様相応の覚悟を持っている事だろう。
「重い役目を
そう声を掛けるハルケンに対し、レイシィは「は! 同時に栄誉ある任務であります!」と答える。ハルケンは「そうだな……栄誉ある任務だ」と同意した。が、その表情は曇る。
栄誉ある任務。確かにその通りだ。おかしな薬で兵が病んだなどと、決して世間に知られてはならない。これは王と王家を守るまさに栄誉ある任務だ。しかし見方を変えればこれはある種のスケープゴート。この若い魔導師と薬で病んだ兵達を
(陛下もお悩みになられただろうな……)
国民の側に立つ王家。スマド家が国民からそう支持され始めたのは現国王リドーの即位が切っ掛けだった。リドーは常に国民を思い国民を第一とした国政を行ってきた。故にダグべ国民はリドーを歴代のどの王よりも優しく、そして慈悲深い
「
ハルケンの
「現状を一言で言うのならば、可もなく不可もなく、といった所です。敵はガントを挟み込む形で南北から進軍しています。南の方が圧が強く、そちらへ送り込む守備兵の数を増やしておりますが……しかし南はブラフと見ます」
デルカルの発言にハルケンは「では南は陽動であると?」と問い掛ける。デルカルは「そう捉えています」と答え、続けてその根拠を説明する。
「
「ふむ……では
「は。敵の思惑に乗る振りをして北の本隊を誘い出します。そこで一つ仕掛けを……伯爵に一芝居打って頂きたい」
「ほう、何をすれば良いか?」
「は。ガントを守りたいとの意気込みが空回りし、近領へさらなる援軍の要請を行います。しかしその
「なるほど。南に展開している兵が減ったとなれば、北の敵本隊は
「左様に。南から抜いた兵はそのままガントの北側に伏せておきます」
「うむ、
「
そう言うとデルカルはディルに視線を移す。面識や交流こそなかったが実験部隊の存在は知っていた。軍からのあらゆる要望をその身を
「特務隊には北側をお任せしたい。敵本隊を食い止める役目です。そこで是非、そちらの任務の遂行を……隊長、
デルカルのプランを聞いたディルは笑みを浮かべる。その表情を見てデルカルは息を飲んだ。それは最高の舞台を与えられた事への喜びの笑みだったが、同時に狂気とも取れる不気味な笑みでもあった。
「敵本隊への備えとは……不足なし、任せてもらおう」
「……良かった、ではその様に。準備に少し時が必要です。その間に――」
〜〜~
軍議が終わりディル、デルカルとそれぞれ応接室を
「
部屋に残っていたハルケンは突如戻ってきたレイシィに問い掛ける。レイシィは
~~~
「なるほどな。それは確かに……何と言うか、すっきりとせん話だな」
レイシィの話を聞いたハルケンは
「こちらで全て用意させてもらおう。そのくらいの事はさせてくれ」
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