第231話 斯くして魔女は邪悪に笑う 16
「ディル殿かベニバス殿はおられますか?」
「私がベニバスですが……?」
「あぁ、良かった。ハルケン様の使いで参りました」
その日の昼、西門外の野営地にハルケン・リッカブラン伯爵の部下が訪れた。伯爵の部下は
「明朝ガントへ向け出発して下さい。時間的にはそれで丁度良いかと」
「
ベニバスの返答を聞いた伯爵の部下はすぐに屋敷へ戻るかと思いきや、
(レイシィに……何を?)
そう疑問に思ったベニバスだったが、いくつも並ぶテントの奥の方を指差しながら「奥の方にいますよ」と教えてやる。伯爵の部下は「そうですか、ありがとうございます」と礼を言うとベニバスが指差した方へ歩き出す。
(いよいよか……)
再び書簡に目を通しながら、ベニバスは何とも言えない表情を浮かべた。この地に来た目的を果たす時が近付いている。マーデイを守り国を守る。それは
(…………)
顔を上げたベニバスはくしゃりと書簡を握り潰した。そしてディルに内容を伝えるべく彼を探しに歩き出す。
デルカルの策が当たった。
正論を振りかざし
◇◇◇
「おい……何始まんだ?」
「さぁ……見たまんま言やぁ……晩メシ?」
一体何が始まったのか。特務隊の面々が続々と集まってくる。それは書簡が届けられた日の夕刻の事だった。彼らの目の前で組み上げられるのは石積みのかまど。作業を行っているのは恐らく伯爵家の使用人達なのだろう。彼らは実に手早く、そして黙々と動いている。そこらの石を積み上げただけの簡単なものではあるが、それが十個も並べば中々壮観である。そうして見る間に完成したかまどに次々と火が
「何だこれは……何事だ?」
そうディルに尋ねられた部下は「いや、晩メシ作ってくれてるとは思うんですが……」とはっきりしない答え。ディルは「聞いてないぞ、そんなの」と困惑する。
「いやぁ〜、いい匂いしますねぇ〜」
そこへ現れたのはレイシィ。そしてレイシィの後ろには一台の荷馬車。更にはその荷馬車の
「伯爵!?」
驚きの声を上げたディル。無理もないだろう。荷馬車の
「ふむ、丁度良い頃合いだったな」
ハルケンは荷馬車を停め御者台から降りる。そして「済まぬが手を貸してくれ」と言いながら荷台へ向かう。特務隊の隊員達はお互い顔を見合わせながら戸惑った様子で荷台へ向かい、そして荷台を見て驚いた。丁度
「さぁさぁ、どんどん運んでくれ。良いワインが入っている、落とすなよ」
そう言いながらハルケンは酒樽の一つを抱えようとする。それを見た隊員達は「あぁっ!? やります! 我らで運びますので! 伯爵はどうぞお休みを!」と慌てながら酒樽を運び始める。
「よし、私も!」
そう言うとレイシィも隊員達と共に酒樽を抱える。
「ハルケン様、これは一体……」
問い掛けるベニバスにハルケンは笑顔で「宴だ」と答えた。
「宴に酒は付き物だろう? 彼らは我がマーデイを守らんとする勇士。
「そういう事でしたか。しかし、恐れながら酒は……」
「心配か?」
「……は。彼らの症状にどの様な影響を与えるか……」
「ふむ。彼らの抱えている事情は当然把握している。彼らのケアをしていたそなたら開発局の
「それは、そうですが……」
渋い表情を浮かべるベニバス。そんなベニバスにディルは「
「外にも出れず、
「しかし……」
納得出来ないベニバスに、ディルは「何、症状が出たら酔い潰して護送車に放り込んでおけば良い」と笑いながら話す。「そんな無茶苦茶な……」と呆れ気味のベニバスをよそに、酒樽を抱えた隊員が「そりゃ良いな隊長! 酔っちまったら症状もクソもねぇしな!」と笑って通り過ぎる。更にその後ろから「確かに。その為の護送車だ」と呟きながら酒樽を運ぶ隊員。
「君も参加しろよ」
ハルケンはそう言うと眉をひそめているベニバスの肩を叩く。
「諸々用意したのは私だがな、これはレイシィの発案なのだ」
「レイシィが!?」
「うむ。彼女にも思う所があるという事だ。
そう話すとハルケンは荷馬車の御者台に立ち皆に向かって声を上げた。
「諸君! マーデイ領主、ハルケン・リッカブランだ! 今宵はささやかながら宴を
「「「 おぉ〜〜〜!! 」」」
隊員達の雄叫びと共に、まさに最期の
〜〜~
「おいレイシィ!」
ワインを
「あ、パンツの人」
「誰がパンツの人か!」
レイシィを呼び止めたのはつい先日パンツを巡る攻防を繰り広げた隊員だった。
「イーダ。イーダ・パンツァーノだ」
「パンツァー……やっぱパンツじゃん……」
「パンツじゃね〜わ! 酒か? ここで
「あ、良いんですか? あざっす」
レイシィはそのままイーダのグループの輪に混ざり
「いよいよだな。ガントまでは二日も掛からねぇって話だ。いよいよ……」
「クソったれミーンのせいで俺らの人生は台無しだ。センドベルのバカ共には
「あの、皆さんご家族は?」
そう尋ねるレイシィにイーダは「
「そう……ですよね……」
下を向き小さく呟いたレイシィを見て、
「皆覚悟はしてんだよ。耐久性試すっつってよ、
「…………」
下を向いたまま無言のレイシィ。傷痕のある隊員はそんなレイシィを気遣う様に話す。
「あんたには感謝してる。俺達を人間のまま死なせてくれる。感謝してるし、凄いとも思う。ここまで完璧な汚れ役なんてそうそうない。全ての泥を一人でおっ被ろうなんて、並の奴には出来ない決断だ。だから胸を張れ」
「……はい」
ようやく口を開いたレイシィにイーダは「済まなかったな」と謝罪した。
「作戦が決まってから今日まで、居心地悪かっただろ? 皆どっかよそよそしくなっちまって……」
「イーダさん……」
「自分らで望んだ事とは言え、いざその日が近付いてくると……何かな。でも皆分かってる。俺達はあんたに救われるんだ。皆分かってる」
イーダの言葉聞くとレイシィはクッと顔を上げ、グイッと一息でワインを飲み干す。それを見た無精髭の隊員は「ハッハハァ! そうだ、ガンガン飲もうぜぇ!」と言ってレイシィに負けじとワインをあおる。と、不意に背後から「ここにいたか、レイシィ」との声。振り向くとそこには険しい表情のベニバスが立っていた。
「彼女と話がある。済まないが少し借りるぞ」
ベニバスはイーダらにそう告げる。イーダは「ああ、良いぜ」と答えたが、無精髭の隊員は軽く右手を挙げながら「ちょい待て」と言ってベニバスを見る。
「おい主任。その姉ちゃんは俺らを救ってくれる女神様だ。イジメんじゃねぇぞ」
「誰が……」
そう呟くとベニバスはくるりと
「レイシィ」
するとイーダがレイシィを呼び止める。
「
ニッと笑いながらそう話すイーダ。レイシィは瞬間何とも切なそうな表情を浮かべるが、しかしすぐにお返しとばかりにニィッと笑う。
「……了解です。一発で天に昇らせてやりますよ」
その場を離れるレイシィの後ろ姿を見ながら、傷痕のある隊員は「普通にしてるように見えてたが、そういう訳じゃなかったんだな」と話す。
「そりゃそうだろよ。あの歳で俺らの命を飲み込もうってんだ。隊長の話聞いた時にゃあ、この人鬼か? って思ったもんだぜ。若い姉ちゃんに全部背負わせようなんてよ」
無精髭の隊員がそう話すとイーダは同意し、同時に心配する。
「敵ならまだしも味方殺しだしな。心に傷を負わなきゃ良いが……」
◇◇◇
「さて、聞こうか」
笑い声に怒鳴り声。久々の酒を楽しむ皆の
「はぁぁ〜……」
レイシィは呆れる様にため息を
「何だそのため息は」
「そらため息も出ますよ。聞こうじゃないかって、それこっちのセリフなんですがねぇ……」
「何? どういう事だ?」
全く心当たりのない様子のベニバス。レイシィは「こほん」と咳払いし「では聞こうじゃありませんか」とベニバスに抱いていた疑問をぶつける。
「主任。作戦決まってから私の事、どっか避けてましたよね?」
「……はぁ? 何を言ってるやら。避けてるなんて、そんな事……」
「いいえ、あります。避けてたし、扱いがぞんざいと言うか、冷たいと言うか……誤魔化さないで下さいよ。特務隊の皆さんは分かりますよ、自分を殺す相手と仲良くなんて……まぁさっき皆さんと話して打ち解けましたけど。でも主任の場合は違うでしょう。確かに、主任がこの作戦に反対だというのは理解しています。そしてその理由も……私の事を思って……ですよね」
「…………」
「正直、嬉しいですよ。ですが主任。前に婚約者がいると、そう話していたじゃないですか。私はお二人の仲を裂こうなんて気は全くなくて……なので主任の気持ちは本当に嬉しいですけど……」
気のある部下が全てを捨てる様な無茶な作戦に
「う〜ん……まぁはっきりと言おう。私には君が思っている様な感情は一切ないぞ」
「あ…………ソウデスカ…………」
肩透かしを食らった様な心地のレイシィ。しかしそんな素振りはおくびにも出さず、澄まし顔で考察する。
(……なるほど。照れ隠しか)
否。当然ベニバスは照れ隠しで否定している訳ではない。というかレイシィ自身、本心ではそれに気付いている。
「こほん。で、私に気があるんじゃないのなら、一体何なんです?」
「どこからそんな自信が来るのかは分からないが……まぁ良い。私が気に食わないと思うのはな、君が自分の価値というものに全く気付いていないという所だ」
「価値…………とは?」
まるでピンと来ていない様子のレイシィ。「ほらこれだ……」とベニバスは呆れながら説明する。
「私はな、君がこのまま経験とキャリアを積めば、やがては国を動かすくらいの要職にさえ
「…………はぁ?」
「君、参謀本部の若いのと国内の部隊展開案の話をしたそうじゃないか」
「あぁ〜……はい、まぁ……そうですね。たまたまパブで仲良くなって、確かそんな話を……」
「参謀本部の人間が開発局に来たそうだ。君を参謀本部に欲しいと」
「は?」
「ミーンは断った様だが……まぁ当然だ。だが君の話した展開案をたたき台として、参謀本部では議論が進んでいるらしい。人員の無駄が少ない良案だとな。人員不足で
「いや、そんなのほとんど思いつきで話したんですけど……そんな事になっていたとは……」
「参謀本部は言わば軍の中枢。そこからのスカウトなんて余程の話だ。知識、見識の広さ、頭の回転の速さ、魔法の腕は
「いやいやいや、それはさすがに待ち上げ過ぎでは……」
「だから自分の価値が分かっていないと言うんだ。君は国にとって間違いなく重要な存在になる。それが……こんな事でドロップアウトしようなどと、納得出来る訳がないだろう」
「なるほど。そういう事でしたか……」
「ああ。だが君の覚悟も理解出来る。現状この方法しかないのだという事も。だから必要以上に話さない様にしていた。じゃなきゃきっと、今話した様な文句を言いたくなるだろうと思ってな。だが、だからと言って勝手にしろなどとは思えない。なのでせめて、最後まで見届けようと思いこの遠征に参加したんだ」
何故ベニバスの態度がぎこちなかったのか。その理由の全てを聞いてレイシィはようやく納得した。そしてまさか、そこまで自分の事を買ってもらっていたとは思いもしなかった。実に良い上司に恵まれたものだ。レイシィはこの国に来て良かったと、素直にそう思った。が、それはそれである。レイシィには一つ、どうしても納得出来ない事があった。
「てか…………」
「ん? 何だ?」
「てか何なんですかね〜えっ!! 私まだ
思いもよらぬレイシィからのクレーム。ベニバスは一瞬面食らったが、しかし静かに口を開く。
「レイシィ……」
「何ですかね〜えっ!!」
「モテないからと言って
「
「フフ……ハハハハハッ!」
思わず笑いが込み上げてきたベニバス。レイシィの顔にも笑みが浮かぶ。
「全く……作戦前とは思えないな。ゆる過ぎる」
「そうですか? ガッチガチに固くなってるよりはマシですよ。でも良かったです、主任と飲めて。前に約束したでしょ?」
「ああ、そうだな。覚えているよ」
そう話しながらベニバスはカップを手に取るとスッとレイシィの前に突き出す。レイシィもカップを持つとカチッと合わせた。
「さて、じゃあディル隊長とも話をしてこよう。やはり文句の一つも言わなければ収まらん」
そう話しながら立ち上がるベニバス。レイシィは「ハハ、隊長かわいそ」と笑う。レイシィ、ベニバス、特務隊。それぞれが抱えるわだかまりを酒で流し、明朝いよいよガントへ向かう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます