第9話 盗賊

 人生で、一番辛い一週間だった。


 午前中にレイシィの魔力(毒)を注入され、程なく襲いかかる強烈な吐き気。当然昼飯なんて食えたもんじゃない。夕方くらいまでゲーゲーとのたうち回り、治まった頃には「回復だ!」と言って、強制的に肉を食わされる。空っぽの胃の中に突如詰め込まれる大量の肉に、また気分が悪くなり……


 絶対せたわ、これ……


 レイシィによる魔導師の修行が始まって一ヶ月が経った。


 辛かったのは最初の一週間だけ。それを過ぎると今まで有無を言わさず襲いかかってきていた、凶悪な吐き気が嘘のようになくなった。レイシィいわく「私の魔力に慣れた」そうだ。それ以降は実にスムーズに作業を行えた。

 結果、それまではぼんやりとしか分からなかった自分の魔力というものが、はっきりと認識出来るようになった。


 そして修行は次の段階に入った。


 俺は今、静かにしている。


 目をつむり、ただただ静かにしている。


 時には裏庭で、時にはリビングの椅子で、時にはレイシィの衣類に埋もれたソファーの隅で、静かにしている。


 別に悪さをして反省させられている訳じゃない。どちらかというと悪いのはレイシィの方だ。目をつむっている俺にペシッとデコピンをし、ハハハと笑いながら去っていく。


 何がしたいんだ? 子供か?

 構って欲しいのか? やっぱり子供か?


 では、なぜこんな事をしているのか?

 魔力を練るためだ。


 そのままの魔力というのは、純度が低く無駄が多いらしい。そこで魔力を練り上げ純度を高める。腕や足など身体の各部位に魔力を移動させ、グルグルと循環させる。その過程で不純物が取り除かれていくそうだ。

 そうして充分に魔力を練り上げる事で、少しの量でもしっかりと魔法を発動させる事が出来るようになる。魔力の節約術、という訳だ。

 ただし、これは人によって解釈と方法が違うらしい。身体の一箇所に集められるだけ魔力を集めたり、魔力を集めてパッと散らす、それを延々と繰り返したり、と様々だ。


 当然、俺はレイシィの方法を真似る。しかし、ただ真似るだけじゃなく少し工夫してみる。身体中の関節部分にフィルターがあると想像する。循環する魔力がそのフィルターを通るたびに、ろ過されて不純物が取り除かれる、そんなイメージだ。


 まぁ、効果があるかは分からないが。


 そしてこの頃から、文字の読み書きも教わるようになる。会話は翻訳魔法のおかげで問題ないが、読み書きは別。特に読めないというのは不便極まりない。俺のいた世界と同じようにこの世界にも言語は沢山あるが、この国の公用語にもなっている一番メジャーな言語を学ぶ。これを覚えておけば、大抵の国で通用するらしい。英語みたいな感じだな。


 午前中は文字を学び、午後からは魔力を練る、という毎日。楽なもんだ。ただし睡魔との戦いは侮れない。これ、両方すごい眠くなるやつだから。



 ◇◇◇



 その日は夜、街に晩飯を食べに行った。いつものようにいばらの庭。いつものようにミードでご機嫌のレイシィ。


「さて、そろそろ帰ろうか?」


 レイシィの家はラスカの街の南に広がる森の中にある。街からそんなに離れてはいないが、森に入ると一気に人気ひとけがなくなる。都会っ子の俺としては、夜の森の中はとにかく不気味でしょうがない。


 ここを右に曲がり小道に入るとすぐに家だ、という所でレイシィは不意に立ち止まり、はぁ、とため息をつく。


「コウ、ちょっと後ろ下がってろ」


 ん? なんだ?


 するとレイシィは右側の森の中に、ボッ、と何かの魔法を放った。バキバキッ、ガサガサッという音と共に、その魔法は森の奥に消えた。


「気付くの早いな」


 そう言いながら森の中から出てきたのは四人の男。髪はボサボサ、ローブや籠手こてなど、簡単な防具を身に付けてはいるが、全体的にボロボロでなんか薄汚い。


「お、上等そうなマント羽織はおってやがんな、当たりか?」


 手前の男が言った。すると一番奥の男が


「当たりだろ! 当たり! この女、中々のもんじゃねーか。まぁ、ちっと歳いってそうだが、それはそれで……」


 ボンッ!


 話している途中で一番奥の男は、物凄い音と共に後ろへ四、五メートル程吹き飛んだ。レイシィが魔法を放ったのだ。地面に転がる男を睨み付けるレイシィ。


 おぅ……お師匠、怒ってらっしゃる……


「てめぇ!!」


 手前にいた二人の男がレイシィに飛びかかる。右の男は二、三歩進み出ると腰に下げた剣に手を掛ける。それを見たレイシィはスッ、とその男に近付くとガシッ、と剣のつかを踏みつけるように右足の裏で押さえる。そしてそれと同時に、男の顔のすぐ前に右手を伸ばし魔法を放つ。この至近距離では、到底かわす事など出来るはずがない。ボン! という音と共に、男は勢い良く後ろに倒れる。まるで首から上が吹き飛んでしまったかのようにも見えた。

 左の男はすでにレイシィの懐に飛び込む直前だった。右手にはさびだらけの短剣を握っている。しかしレイシィの左手はその男をしっかりと捉えていた。次の瞬間にはその男も弾けるように吹き飛ぶ事になる。



 パシィィッ



 突然乾いたような音が響く。最後に残った男がレイシィに右手を向けている。どうやらその男はレイシィに魔法を放ったようだ。しかしレイシィには当たっていない。


「へぇ……」


 そう呟くと、レイシィはその男にゆっくりと右手を向ける。


 おぅ……お師匠、笑ってらっしゃる……


 にやり、と笑うレイシィに向け男は再度魔法を放つ。男の手から飛び出した何かは、レイシィの身体の少し手前でサッカーボール程の火の玉となった。が、レイシィはピクリとも動かない。


 パシィィッ


 男の放った火の玉はレイシィの身体に当たる直前、この乾いた音と共に飛び散った。この音はレイシィが魔法を防いだ音だったのだ。


「十五点」


 吐き捨てるようにそう言うと、レイシィの右手からはヒュンヒュンと音を立て、次々と何が飛び出して行く。そしてそれらは男の身体に次々と命中する。


「がぁ! ……あ……ぐ……うぅ…………」


 全弾当たる前に男は膝から崩れ落ちた。


「最近この手の連中が増えたと聞いてはいたが、まったく迷惑この上ないな」


 そう言いながらレイシィは、一番最初に吹き飛ばした男をガシガシと足蹴あしげにしている。


 よっぽど腹が立ったんだな。俺も気を付けよう、命に関わる。


「お師匠、こいつら何?」


「ん? 盗賊かなんかだろ」


 盗賊!?


「……そんなのいるの?」


「いるの? ってお前……あぁ、お前のいた国は治安が良かったって言ってたな。こっちにはこんなの、ごろごろいるぞ」


 ごろごろいるんだ……


「この国は全然いい方だ。三歩けば賊に出くわす、なんて言われる国もある」


 何それ、お出掛け出来ないじゃない……


「それよりコウ、すまないが南門の詰所つめしょに行って、衛兵を呼んできてくれないか? 私はこいつら見張ってるから」


 見張るとは言うが、男達はピクリともしていない。


「ねぇこれ……生きてるよね?」


「ん? 加減したし大丈夫だろ。まぁ、死んでても知らんし」


 おぅ、バイオレンス……


 俺は街の南門へ走った。



 ◇◇◇



 衛兵の詰所つめしょで事情を話し、五人の衛兵と共に現場へ戻る。と、


 ガシッ……ガシッ……


 まだ蹴ってる……


「レイシィ様、ご無事ですか?」


 衛兵の一人がレイシィに駆け寄った。


「さすがにこんな連中に遅れはとらないよ。それより済まないな、手間をかける」


「いえいえ、これが我々の仕事です。しかしこいつら、この辺のもんじゃなさそうですね」


「よそ者か?」


「この辺を縄張りにしてる連中なら、レイシィ様に仕掛けるようなバカはしませんよ」


「ははは、確かにな」


「隊長、こいつら手配書出てますね」


 男達を調べていた衛兵の一人が、レイシィと談笑している衛兵に何やら紙を渡す。


「ん、どれ? ……あぁ、こいつらか、最近元気に暴れてた連中は。見てください、十日程で八件も被害が出てる」


「十日で八件か、働き者だな」


「でも殺しもしてないし被害額も少ない。ま、小悪党ですね。とは言え賞金が出ます。明日以降いつでも結構ですので、詰所にお立ち寄りください。賞金をお渡しします」


「ほう、懸賞金付きか。ツイてるな、いくらだ?」


「少ないですよ、小悪党ですから。まぁ、飲み代くらいにはなりますかね」


「そりゃあいい、その内うかがおう。で、もういいか?」


「は、結構です。ごゆっくりお休みください」


「よし、コウ、帰ろう。すっかり酔いが醒めたな、飲みなおすぞ」


 そう言ってレイシィは歩き出した。


 これがこの世界の日常なのだろう。盗賊などという者がごろごろしている日常。そしてその盗賊を笑いながら吹き飛ばすレイシィ。


 盗賊、レイシィ、怖ぇぇ……

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