第221話 斯くして魔女は邪悪に笑う 6

「あの日私はマベット様と二人、リドー様へ謁見えっけんしゴート将軍の疑惑をご説明差し上げた。そしてリドー様より開発局の制圧及びゴート将軍の身柄確保のめいを受け、すぐさま軍基地へと向かったのだ。リドー様の近衛このえ隊と共にな」


 そう語るデルカルの脳裏には、当時の様子が鮮明に刻まれていた。あの日のゴートの姿が。



 □□□



「デルカル殿、開発局の掌握しょうあくが完了した」


「ご苦労様です、隊長」


「残すはここのみ……」


「分かりました。参りましょう」


 デルカルは静かに扉の取っ手に手を掛けると勢い良く扉を開いた。するとデルカルの背後にいた数人の近衛このえ兵達が一気に部屋の中へとなだれ込む。少しののちデルカルが入室すると、部屋の正面の執務机には近衛兵達に剣を向けられている一人の男の姿があった。デルカルを見るとその男は軽く笑みを浮かべる。その様子はまるでデルカルが訪れるのを待っていたかの様だった。そして男は口を開く。


「早かったなデルカル。何やら嗅ぎ回っていたのは気付いていたが……近衛兵と一緒という事は陛下のご指示だな」


 壮麗そうれいな鎧に身を包み自身に剣を向ける近衛兵達を、男はゆっくりと見回しながらそう話した。彼ら近衛隊が動くという事はすなわち、それが王の意思であるという事を物語ものがたる。一歩二歩前へ進むとデルカルはふところから書状を取り出し、それを広げて男に見える様に前へ突き出した。


「ゴート将軍、出頭命令が出ております。城までご同行願いたい」


「城の地下、だろう? 掃除は済ませてあるか? 出来れば広い独房が良いんだが?」


 軽口を叩くゴートに近衛兵達はクッと剣の切っ先を近付ける。「冗談だ、冗談」とゴートは軽く両手を上げる。そして手を下ろすと「ご命令には従うよ」と言いながら立ち上がる。と、


 シュゥッ……!


 乾いた様な音が走った。立ち上がったゴートの右手にはさやから抜かれた彼の愛剣が握られている。机の下に隠し持っていたのだ。


「ご乱心されたか!?」


 近衛兵の一人がそう叫ぶとゴートは笑いながら言った。


「いかん……いかんなぁ。いつ如何いかなる時も油断は禁物きんもつ。その様な事で貴殿ら、陛下の御身おんみを守り抜けるのか?」


 ゴートは右に左に剣の切っ先を動かし近衛兵達を牽制けんせいする。「ご忠告ありがたく頂戴ちょうだいする。だが今はご自身の身を心配なされよ」と近衛隊の隊長が答えると、ゴートは「ふむ、まぁごもっとも……」と言いながら左手をふところに入れる。「動くな!」と隊長は険しい表情で叫ぶ。しかしゴートは笑いながら「慌てるなよ、書簡だ。紙を出すだけさ……」と言いながらゆっくり左手を抜き出す。


「ほらな」


 懐から抜き出されたゴートの左手にはろうふうがされた書簡が握られていた。ゴートはその書簡をポイと机に放る。


「デルカル、それに全て記してある。包み隠さず、全てをだ。陛下にお見せしてくれ。開発局は押さえたか?」


「はい。すでに」


「結構。ミーンの扱いには注意しろ」


「ミーン? 局長ですか……彼が何か?」


「奴はまともじゃない……気を許すなよ。それと、陛下にご伝言願おう。事ここに至っては、ただひたすらに己の不明を恥じ入るのみ。軍を混乱せしむる事、心よりお詫び申し上げまする……」


「将軍、それはご自身でお伝えを……」


「ハハハ、冷たいじゃないかデルカル。そうはいかぬ理由があるのだよ。良いな、確かにお伝えせよ」


 そう言うとゴートはフッと力を抜き剣を下におろす。が、次の瞬間両手で剣を握りくるりと切っ先を自身に向けた。


「では諸君、失礼つかまつる!」


 声を上げるやゴートはその剣をブスリと自身の首に突き刺した。


「なっ……!?」


 近衛兵らは慌ててゴートに駆け寄る。しかしゴートはバタバタンと机や椅子に自身の身体を打ち付けながら床へと倒れた。ゴートの様子を確認した隊長は「ふぅ……」とため息をきながら立ち上がり、デルカルを見て首を左右に振った。



 □□□



 ふぅ、とデルカルは小さく息をく。気分を変える為だ。当時を思い出し少しばかりナーバスになっている自分に気付いたのだ。気を取り直し、そして話を続ける。


「ゴート将軍はその場で自害。残された書簡にはおおむね私の予想通りの内容が――」



 ~~~



 ゴートの残した書簡には以下の内容が記されていた。


 西への備えをどうするか、部隊配置に苦慮くりょしていた矢先開発局より新薬開発の報告が上がる。副作用の懸念けねんこそあるがその新薬、複数回の投与により最大三割程兵の身体能力が向上するという代物しろものだった。この薬があれば兵数の少なさを充分にカバー出来る。副作用が気になったが、しかし決断した。必ずしもに薬に頼る展開になるとは限らない、薬は最後の切り札である、そう自分に言い聞かせ治験の許可を出した。


 しかしのちにゴートはこの決断を激しく後悔する。開発局に、ミーンにだまされていたと。



 ~~~



「三割とは……相当な数字だ」


 驚いたジェスタは思わず呟いた。「は、仰る通りです」とデルカルは同意する。しかしすぐに「ですが開発局からの報告には嘘がありました。副作用に対する記述です」と続ける。


「報告では投与回数を増やす事で徐々に副作用の症状は緩和されてゆくと、何より研究を進める事で副作用自体も除去可能であると、そうあった様です」


「それが嘘であると?」


「そうだ」


 ジェスタの問い掛けに答えたのはデルカルではなくマベットだった。


「私とデルカルは父上よりこの件に関する調査を命じられた。デルカルは主にゴートの周辺を、私は開発局の調べを担当した。そこで初めて局長であるミーンと話したが……奴は良い具合に壊れておったわ……」



 □□□



「いやいや、殿下に担当して頂けるとはまさに光栄の極みですねぇ」


 レクリア城地下にある留置場。その一画にある取調室の中で、手枷てかせを付けられた姿のミーンは場違いな程の笑顔を見せた。その顔を見たマベットは瞬間強い不快感に襲われたが、一先ひとまずは己の感情を無視して話を進める。


「魔法研究開発局局長、ミーン・リジベイク。新薬レゾナブルの開発責任者……相違そういないな?」


「はい。あの素晴らしき薬を我が手で生み出す事が出来たのは、研究者としてまさに……」


「聞いた事だけ答えろ。新薬はそなたが主任を兼任する第一班と、ジタイン・オムガが指揮する第三班との合同研究だったと聞いているが?」


「はい。二班は魔法の研究を行うとの事でしたので、三班に協力してもらいました。ジタイン君以下三班の者達は実に良く働いてくれましてねぇ、お陰で開発はスムーズに……」


「聞いた事だけ答えろと言っている! で、くだんの薬。ゴートはそなたにだまされたと、残した書簡にそう記されてあったが?」


「騙す? はて……一体何の事やら、私には皆目かいもく見当が付きませんねぇ。そもそも将軍を騙すなど、そんな大それた事を私ごときが考えるはずもなく……しかしまさかゴート将軍が自害されるとは思いませんでしたねぇ。良い御方でしたのに残念で……」


 わざとらしくも見える神妙な顔でペラペラと薄っぺらい言葉を並べるミーン。付き合うつもりがないマベットはそれを無視して「副作用の件だ」と告げる。するとミーンは「あぁ……その事ですか」と言うとスッと無表情になった。


「まぁ何て事はございません、多少互いの見解に齟齬そごしょうじたというくらいのお話です」


齟齬そご? 副作用の症状は薬の投与回数を増やす事で次第に治まってゆく、研究を進める事で副作用を無くす事も可能であると、ゴートには当初そう報告していたそうだが……違うだろう? 薬を増やせば副作用の症状はひどくなり、そもそも現段階で薬から副作用を除去する方法など欠片かけらも見つかっておらぬ。そなたは嘘をいていた……それを齟齬と申すか?」


「おや、すでにお調べになられておりましたか……まぁあれですよ、方便ほうべんというやつですねぇ。そうでも言わないと治験の許可をもらえなさそうでしたので。勝手に進めても良かったのですが……あとが面倒ですからねぇ」


「それでろくな動物実験もせずに治験に踏み切ったのか……?」


「おやおや、そちらも調査済みですか。まぁ所詮しょせん動物は動物、人とは違います。いくら動物で試したとて欲しい結果は得られません。いずれ人で試すのです、早いか遅いかの違いでしかないでしょう?」


「貴様ぁ……特務隊の隊員達を何だと思っている!!」


 段々と怒りが込み上げてきたマベット。こらえきれずに怒鳴り声を上げた。しかしミーンは顔色一つ変えず実に冷静に話す。


「殿下。貴方様はいずれこの国をべる王となられる御方。物事は点ではなく俯瞰ふかんで見る癖を付けられるのがよろしいかと」


「……何ぃ?」


「そのだけを見れば取るに足らない、あるいは不出来な失敗と呼べる出来事かも知れません。しかし俯瞰ふかんで見れば気付きます。いくつも並ぶその点を繋いでゆけば、その先には輝かしい未来が待っているという事が理解出来るでしょう。すなわち、それら点とは未来へと続く道標みちしるべなのですねぇ。木を見て森を見ずなどと申します。是非ぜひ物事を大局でご覧頂き……」


「貴様に説教されるいわれはないわ!!」


 ダンッと机を叩きながら怒鳴るマベット。ミーンは困った様な顔で弁明する。


「殿下に説教などとはおそれ多き事……斯様かようにおこがましく不遜ふそんな考えなど毛頭もうとうございません。私はただ、誇るべきだと申し上げているのです」


「何を誇れと申すか!」


「この手の研究など大なり小なりどこの国でも行われているものです。しかしこれ程の効果をもたらす薬など、他のどの国も開発には至ってはおりません。つまり彼ら実験部隊は、この治験に参加出来た事を誇るべき栄誉ととらえるべきなのです」


「栄誉だと……?」


「新薬レゾナブルには無限の可能性が眠っている、私はそう断言します。この薬をもってすれば、我らダグベ王国が北方のドワーフ諸国を蹂躙じゅうりんし付き従える事も夢ではないのです。彼ら実験部隊はそのいしずえとなる栄誉を手にしたのですよ。彼らの命は失われるでしょう。しかしその名はダグベの歴史に間違いなく刻み込まれるのです。これを栄誉と言わず何と言いましょうか?」


「ふざけた事を!! 命を軽んじ……何が栄誉か!!」


「ふむ……どうやら殿下は欲の少なき御方の様ですねぇ。力は行使してこその力なのですが……」


「私の話などどうでも良い! 今は貴様の……!」


「えぇ殿下、分かっておりますとも。私は決して命を軽んじてなどおりませんよ。むしろたっとび、重んじ、いつくしんでおります。こう見えて敬虔けいけんなイムザン教の信徒ですので。イムザン神はこう言っております、命は何物にも代えがたいと。全く同感ですねぇ。しかし何かを得る為に何かを失うというのは世の必定ひつじょう。代償なくして何かを得ようなど虫の良い話です。つまりこの素晴らしき薬の代償として釣り合うものがあるとするのならば……それは命しかないという事ですねぇ」


「その言い様だと貴様……最初から副作用の事など考えていなかったな!?」


「考えるだけ時間の無駄と言えますねぇ、何せ代償なのですから。まぁ無理に言い換えれば、薬の効果を得る為に必要なある種の儀式と呼べるかも知れませんねぇ。まぁ替えはいくらでもいる訳ですし、そもそもしたる問題ではありません」


「替えだと……それはつまり……」


「はい。無論兵の事ですねぇ。国というシステムが健全に機能していれば人は増えますゆえ、いくらでも……」


 ニコッと笑うミーン。その気持ちの悪い笑顔を見て、マベットは背筋に冷たいものが流れたのを感じた。まともではない、これではまるで怪物ではないか……


「イカれておるな……貴様はイカれている!!」


「これはこれは、イカれておりますか。まぁ否定は致しません。何故なぜならば、人は皆どこかイカれているのですよ。人がまともであるのならば、そもそもいくさなど起きるはずがありませんからねぇ。いくさこそ人の行いにおけるの極み。イカれていなければその様な……」


「もう良い!!」


 マベットは再び怒鳴った。およ相容あいいれない考えを持つミーンとの会話にこれ程のストレスを感じるとは思わなかった。どこまでも暗く、どこまでも歪んだ思考。それを全く普通の感じで、まるで世間話でもしているかの様に話すのだ。まともに付き合っていてはこちらの身が持たない。マベットは強引に話を進めようと試みる。


「薬の資料はこちらで全て回収する。今この瞬間にも治験者達は副作用に苦しんでおる、彼らの治療の為に……」


「あぁ殿下。誠に申し上げにくいのですが……残念ながらそれは叶いませんでしょう」


「何だと……!」


「レゾナブルの成分。あれはどうやら極端に体外に排出されにくいものの様でして……長く体内に残り続けるんですねぇ。更に複数回の投与でその成分は体内に蓄積ちくせきされてゆきます。つまり彼らは命ある限り果てしなく幻覚を見続ける……」


「……!!」


 瞬間マベットは腰に手を当てた。余りの怒りに無意識に剣を握ろうとしたのだ。が、そこで自身が帯剣たいけんしていなかった事に気付く。剣をげていたら間違いなく抜いていただろう。結果的には良かったのだと自身にそう言い聞かせた矢先、横の方でカチャリと小さな音が聞こえた。自身の警護と立ち会いの為に同席していた近衛兵が物凄い形相ぎょうそうで剣に手を掛けていたのだ。マベットは軽く手を上げ近衛兵に自制するよう指示を出す。しかしそんな状況にも関わらずミーンは実に平然としながら「それともう一つ……」と口を開いた。


「資料と仰いましたが、そもそも資料と呼べるものはほとんど残しておりません。重要機密を保持する為には、形として残すのは如何いかがなものかと思いまして」


「待て……どういう事だ……!?」


「どうもこうも、言葉の通りでございます。部下達にはこれこれこういう実験をし、ただその結果のみを報告せよと指示を出していました。そうして上がってきた報告を頭の中で組み上げまして……まぁそれを繰り返す事でレゾナブルは完成したのですねぇ」


「バカな……そんなやり方であの薬を作ったと? そんな事が……」


「可能です。優秀な頭脳が全てを完璧に管理すれば良いだけの話、難しい事ではありませんねぇ。手足たる部下達は何も考えず、ただただ頭脳に従えば良いだけなのです。恐らく彼らは今自分が一体何をやっているのか、それすら理解していなかったでしょうねぇ。つまり、あの薬の全容は……」


 ミーンは細長いその両手を胸辺りまで上げる。手枷てかせを付けられている為に片手だけを上げる事は出来ないのだ。そして右手の人差し指を立て自身の頭を指差した。


「薬の全てはこの脳漿のうしょうの中にのみ存在するのです……」


 その顔には狂気とも思える笑みが浮かんでいた。

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