第220話 斯くして魔女は邪悪に笑う 5

「特務隊は実験部隊の名のもとに治験に協力していたという事か……」


 ぼそりと呟く様に話すジェスタ。ベニバスは神妙な面持おももちで答えた。


「はい。彼らおよそ百名の隊員達は皆、その薬を複数回投与されていました」


「では話の流れからすると、その薬とやらが原因で事件が起きたと考えるのが自然だが……副作用とか、そういう事か?」


「その通りです。そもそもその薬、新薬レゾナブルは兵の身体能力向上を目的として開発された物でした。筋力に瞬発力、持久力や集中力などの上昇、興奮作用もあり不安や恐怖心を和らげる効果もあったと……ですが深刻な副作用を引き起こす懸念けねんもあったのです。知覚や認知機能に異常がしょうじ、まるで幻覚を見ているかの様な症状が出ます。更には狂暴性や好戦こうせん性が増すなど性格にも影響が……」


「ちょ……ちょっと……お待ち下さい」とベニバスの話にイベールが割って入る。


「特務隊がそうだという事は、父上も……治験に参加していたと……?」


「はい。先程ディル隊長も当事者の一人だと話したのはそういう意味です」


「ではひょっとしたら、父上にもそんな症状が出ていた可能性があると……?」


「……はい。かも知れません」


 ベニバスの返答に「そんな……」と呟いたイベールは下を向き右手をこめかみ辺りに当てる。そして顔を上げるととある疑問をぶつけた。


「そもそもそんな話は……聞いた事がありません。私は当時まだ子供でした。ですが分別ふんべつがつかない程幼かった訳ではない……しかしそんな話は聞いた事がないのです! 事件の事も薬の事も、成人し軍に入隊してからもそんな話は聞いた事がない! これは一体……一体どういう……!」


「揉み消したからだ、わしがな……」


 イベールの言葉をさえぎり口を開いたのはリドー公だった。「揉み消し……」とイベールは青ざめ絶句する。しかしすぐに怒鳴る様に声を張り上げた。


「それでは……それではまるで国家ぐるみの犯罪ではないですか!」


「イベール! 止めろ! 不敬であるぞ!」


 すかさずデルカルはイベールの腕を掴みながら怒鳴る。しかしイベールはデルカルの手を振りほどく。


「いいえ止めません! 軍の開発した薬、その薬が原因で事件が連発、それを国が揉み消したなど、それが国家犯罪でなければ何なのですか!! 魔女の実験とはこの事実を消し去る為に行われた虐殺ではないのですか!?」


「イベール!!」と再びデルカルは怒鳴る。しかし興奮したイベールは止まらない。顔を紅潮させながら更に声を荒らげる。


「現に父上は……治験者だった父上は魔女の実験で犠牲になっている! 特務隊は……父上は国に殺されたと……!」


「イベール止めろ!! それ以上言えば不敬罪として……!」




「デルカル!!」




 怒鳴り合うイベールとデルカル。そんな二人を黙らせたのはリドー公の一声だった。重苦しい沈黙の中、リドー公は静かに続ける。


「良い、デルカル。イベールの主張は間違っておらん。とがせきも、全ては当時の国主であったわしにある……」


「何を仰いますか! リドー様は何も……!」


 デルカルはリドー公を擁護ようごしようと声を上げる。しかしリドー公は「良いのだ、済まぬな」と言いながらデルカルに笑顔を向ける。そして表情を戻すと今度はイベールを見る。


「イベールよ、そなたは何も間違ってはおらん。全ては弱き王であったわしの責任、不敬などという事もない」


 リドー公の言葉で徐々に冷静さを取り戻してゆくイベール。勢いに任せとんでもない事を口走ってしまったと、今更ながらに青くなった。血の気が引いて顔面蒼白のイベールはまるで押し潰されてしまいそうな心地ここちに襲われ「あ……リドー様……あの」と謝罪をしようにも言葉が上手く出てこない。そんなイベールに、リドー公は「良い、良いのだ」と優しく言葉を掛ける。


「ただな、一つだけ……ベニバスらの名誉の為に一つだけ言うておく。その一件、ベニバス以下開発局第二班の者らは一切関与しておらん。むしろその問題をどうにか収めようと手を尽くして――」


 随分と思わぬ方向に話が展開している。最初はお師匠が関係する魔女の実験、この話だけを聞くものと思っていたのだが……軍の研究機関が開発した新薬、治験者達が起こした事件、特務隊なる実験部隊。これらに魔女の実験が、お師匠がどうからむのか……


「イベールよ、そしてコウもなぁ……納得してもらえるかは分からん。分からんがな、全てを話す。包み隠さず、全てを話す事を約束する。どうか聞いてもらえるか?」


 リドー公は俺とイベールの顔を交互に見ながら優しく問い掛けた。「はい」と俺は答え、「……は、申し訳……ございません」とイベールはようやく謝罪の言葉を述べる事が出来た。


「では……話を続けましょう」


 ベニバスは静かにそう言うと当時を振り返る様に話し出す。


「それら事件の取り調べを行っていた衛兵隊は、開発局の生み出した新薬レゾナブルが原因にあると考えました。そして軍に対し開発局への捜査を打診します。開発局も衛兵隊も同じダグベ軍所属ですので、衛兵隊としては軍に筋を通したという所でしょう。が、何故なぜか軍はそれを拒否しました。ここで言う軍とはすなわち、当時の軍トップであったゴート将軍の事です。衛兵隊はゴート将軍に不信感を抱き開発局への捜査を強行するのですが、それがゴート将軍の逆鱗に触れたのです。ゴート将軍は衛兵隊の隊長を罷免ひめんするという暴挙に出ました。これには衛兵隊も強く反発しましたが、ゴート将軍は適当な理由をでっち上げ無理矢理この騒動を収めんと動きます。しかしその流れを止めた者がいました。そちらにいる、デルカル将軍です」


 イベールは驚きデルカルを見ると「将軍が……?」と声を漏らす。デルカルは「ゴート将軍の対応はあまりに不誠実過ぎた。ゆえに声を上げざるを得なかったのだ」と話した。不誠実過ぎた。デルカルのその言葉を聞いたイベールは得心とくしんした。イベールから見てデルカルとは実に真っ直ぐな人間なのだ。信頼にる、そういう上官だ。そんな上官が不誠実だと感じたのならば、声を上げる事に何ら違和感はないだろう。


「当時私はゴート将軍の補佐官の一人だった。イベール、今のお前と同じ立場だな。間近であの騒動の対応をするゴート将軍を見ていたがまるで納得がいかなかった。何故なぜこんなにも強硬に、しかも偽りの理由まで持ち出して事を収めようとするのかと。そして独自に色々と調べてみた所、とある事情が見えてきたのだ。止むに止まれぬ、とまで言えるかどうかは微妙な所だが……しかしいずれにしても看過かんかは出来ぬ。ゆえに私は告発したのだ、当時は王太子であられたマベット陛下にな……」



 □□□



「さて、デルカルと申したか……そなたの要望通りだ」


 デルカルが入室し扉を閉めると、先に部屋へ入ったマベットはくるりと振り返りそう述べた。


「この部屋はもちろん両隣、更にその両隣にも人は居らぬ。廊下は端から兵が封鎖しておる故……つまり人払いは完璧に済ませてあるという事だ」


 そう話ながらマベットは窓際のソファーへ腰を下ろす。この日デルカルは王太子マベットへ極秘の謁見えっけんを求めていた。マベットはデルカルの求めに応じてレクリア城の一画を封鎖し人の出入りを遮断。そうしてデルカルを迎え入れた。


「で、話とは何だ? わざわざここまでの用意をさせるのだ、余程デカい話……いや、他言出来ぬ話なのであろう。軍部で何があった?」


「は。実はゴート将軍の事でいささか気に掛かる所が――」



 ~~~



「――その話は耳にしておる、不可思議な事件が続いているとな。しかしゴートが斯様かように態度を硬化させているとなるとその薬、ゴートも一枚噛んでいると考えるのが妥当。だが何故なにゆえその様な事を……本来あやつはそんな無茶をする様な男ではないぞ?」


「はい、同感にございます。これは私の推測も含まれまするが……恐らくセンドベルの台頭たいとう過敏かびんになっているのではないかと」


「センドベル? 台頭たいとうと言う程に勢いがあるとは思わんが?」


 眉間にシワを寄せ怪訝けげんそうな表情を浮かべるマベット。デルカルの口からセンドベルの名が出た理由が分からない。あの国が一体何だと言うのか。


「殿下、王都より南西、センドベルとの国境にガントという村があるのをご存知ですか?」


「ガント……ふむ、最近どこかで聞いた事が……」


 腕を組み考え込む仕草を見せるマベット。「付近の山で鉄鉱脈が発見された村です」とデルカルが告げると「おお、そうだ!」と自身の膝をポンと叩いた。


「この間あそこの領主が王都へ来て話しておった! 質の良い黒鉄こくてつの鉱脈が発見されたと随分喜んでおったが…………あぁ、そういう……」


 何かに気付いたマベット、その口調が変わった。低くうなる様に「なるほど……」と呟くと「軍は人手が足りんのだったな」と続けて言った。


(何と……)


 今の話だけで事の真意を見抜いてしまったマベットの聡明そうめいさにデルカルは驚いた。軍の人手不足。それこそがゴート将軍の愚行ぐこうに繋がると、デルカル自身もそう見ていたからだ。


「さすがは殿下、ご慧眼けいがんにございます」


 うやうやしくそう述べるデルカルにマベットは右の手のひらを向けると「世辞せじは止せ、少し考えれば想像がつく」と呆れる様に言った。


「イオンザへの備えはおこたれん。現状は良好な関係性ではあるがその潜在的脅威は変わらんからな。よって北西方面の守備をく事は出来ぬ。東は先住民族との衝突か……かんばしくないと聞いておるが?」


「は。リナンデ密林を挟んで睨み合いが続いております。いっそ討伐隊を送り込もうなどという論調もございますが……」


「下策だな。密林にてゲリラ戦に巻き込まれ時間と人的資源を浪費するだけだ。いずれは勝つだろうが、割に合わん。落ち着くまでは東も気を抜けんな。そこへ来て西か……最近センドベルが国境付近で何やら動いていると聞いておるが、ガント周辺の調査が目的であったか」


「は、恐らく。軍備拡張に余念よねんがないセンドベルの事です、質の良い鉄は魅力でしょう」


「事によってはガントが戦場になるか。西にまで手が回らぬ現状を補おうとしてゴートはその薬を容認した……少ない人員で対応する為に兵の能力を底上げしようという魂胆だな」


「は。ご推察すいさつ通りかと存じます」


「むぅ……」


 小さくそううなるとマベットはしばし黙り込む。デルカルはそのかたわらでマベットの考えがまとまるのを待った。するとマベットは「ふぅ……」と息をくとスッとデルカルに視線を向ける。


「デルカルよ、もう少し付き合え。陛下に謁見えっけんする。今の話を陛下に……父上に説明してくれ。これを放置すれば国にとって……いや、王家にとって致命傷となり得る深手となるやも知れぬ」

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