第260話 イベールの詭弁

「あ……ああ……」


 力なく地面に座り込む男。恐怖と絶望で頭が真っ白になっていた。かたわらに横たわるのはどこの誰とも知らない人。分かっているのはそれは若い女で自分と同様に街の中を闇雲やみくもに逃げ回っていたという事と、ついさっきその頭をぺしゃんこに潰されてしまったという事だけ。先程から降り出した雨がその血を少しずつ石畳の溝へと流してゆく。目の前には大槌ハンマーを構える巨大な姿。オークとか言うらしい。

 そのオークが手にする大鎚ハンマーかしらにはつい今しがた叩き潰した女の髪が束になって引っ掛かっており、ダラリと下がるその髪を伝い女の血が雨垂れと共にボタボタと地面へとしたたり落ちている。

 男は呆然としながらゆっくりと振り上げられる大槌を見ていた。その鉄の塊は隣の女と同じ様に自分の頭にも振り下ろされるのだと、分ってはいるがしかしもはや何もする事が出来ない。身体が動かない。頭が働かない。どうやら生き残る事を放棄した様だと、男は自分の事なのにどこか他人事ひとごとの様にこの状況を俯瞰ふかんで見ている気がしていた。

 と、何故なぜかオークの動きが止まった。そして膝から崩れ落ちる様にドスンと地面へ倒れた。倒れたオークの背後には剣を手にした女の姿。男は相変わらず呆然としていた。自分の命が救われたという事に、いまいちピンときていない様子だった。


「無事!? 大丈夫ですか!」


 ロナは地面に座り込む男に駆け寄り声を掛ける。が、男はうつろな目で「あ、あ……」と言葉にならない声を漏らすのみ。


「ちょっと……大丈夫!? どっかやられた!?」


 ロナは膝を付くと男の肩に手を置き、その身体を見回しどこか異変はないかと確認する。すると男はようやく状況を把握はあく出来た様で「あ……あぁ! よ、良かった……助かった!」と声を上げた。


「うん、大丈夫そうだね。立てますか?」


 ロナはそう話しながら男の手を引いて立ち上がらせる。「ありがとう! ありがとう!」と男は立ち上がると何度もロナに礼を言った。そして「何なんだあれは!? 一体何が起きてるんだ!? そこの人は殺された……俺の目の前でだ! その人だけじゃない……あちこちで……街中あちこちでアイツらが……!」とせきを切った様に話し出した。ロナは男の気を落ち着かせる様に「うん、うん」と相槌あいづちを打ち、しかし同時に周囲への警戒もおこたらない。


「大丈夫、もう大丈夫ですよ。皆で避難しましょう」


 ロナは男に優しく微笑み掛けると後ろを振り返り「コウ! こっちは大丈夫!」と俺の名を呼んだ。


「ああ! 今行く!」


 俺は路地から顔を出し返事をする。そして「さぁ、行きましょう」と背後で怯えながら息を殺している人達に声を掛け通りに出る。彼らは城へ向かう移動中に助けた避難者達、その数四十人程か。最初にオークの集団と遭遇した場所から城まではそんなに距離がある訳ではない。にもかかわわらずわずかの間にこれだけの人達を救う事になるとは。あるいはなか錯乱さくらんしながら当てもなく走り回り、あるいは路地や物陰に震えながら身をひそめ、或いはたった今ロナに救われた男の様に間一髪の所で生き延びた。

 そう、彼らは運が良い。彼らは俺とロナを見つけた。しくは俺とロナの視界に入ったのだ。だがそうじゃない人達もいる。燃える建物の中に、崩れた瓦礫の下に。ここからは見えないだけで、ひょっとしたらそこかしこにいるのかも知れない。いやおうでもラスカを思い出す。いやおうでもエリノスを思い出す。先程から降り出した雨は雨脚を強め、同時に大きくなる雨音は街の混乱を示すあらゆる音を包み込もうとしている。しかしそれでも隠し切れないものがある。不安と恐怖を存分にあおる太く大きなオークの雄叫びや、その雄叫びに当てられ狂った様に響いて来る人々の叫び声。それらは大きくなる雨音など全くお構いなしに耳の奥へと飛び込んで来る。


 思わず耳を塞ぎたくなる程だ。


「お前達! こんな所で何をしている!」


 突如声が響いた。皆が一斉に声のした方を見ると、そこに立っていたのは衛兵だった。


「こんな所で固まっていたら狙われるぞ!」


 そう怒鳴った衛兵は軽く後ろを振り向くと「おい! こっちだ! 避難民がいる!」と声を上げた。すると路地の奥から数人の衛兵達が姿を現す。彼らを見た避難者達からは「あぁ……」と安堵あんどの声が聞こえてきた。


「よかった、皆を城まで連れて行く所だったんです」


 そう話すロナに衛兵は「いや、城はダメだ」と返した。まさかの返答に「は? どうして!?」とロナの声も大きくなる。


「すでに全ての跳ね橋を上げてしまっている、中には入れんよ」


「そんな……じゃあこの人達は……」


「ノベウ、デバンノ両宮殿を開放している。避難民はそちらへ……」


 と、衛兵はそこまで話すとロナと俺の顔を交互に見ながら「貴殿らはひょっとして……ジェスタルゲイン殿下の御側近か!?」と驚きの声を上げた。「はい……ご存知でおいででしたか」とロナが答えると衛兵は「無論知っている!」と笑顔を見せた。


「殿下御一行が到着された夜、私は朝日の門周辺の警備に駆り出されていた。そこで貴殿らのお姿を拝見した。聞けば随分と激しい追撃を受けていたとか……良くぞ無事に王都へ辿り着いたものだと感心した。良く覚えているよ。しかし……これは僥倖ぎょうこうだ……」


 衛兵はそう話すとホッとした様な表情を浮かべる。「僥倖ぎょうこう……?」と俺が聞き返すと衛兵はすぐに表情を戻した。


「ああ……避難民らは我らが誘導する。貴殿らには南門へ向かってもらいたい」


「南門?」


「そうだ、敵の圧が増している。殿下の御側近は皆腕が立つと聞いた。我が国の客人たる貴殿らにこの様な頼みをするのも筋が違うとも思うが……」


 申し訳なさそうにそう話す衛兵。ロナはチラリとこちらを見て俺の表情を確認する。俺は無言でうなずいた。断る選択肢などあり得ない。ロナは「だよね」と小さく笑うと衛兵に言った。


「勿論、お任せを」


「あぁ、良かった。ご助力、感謝する」


 衛兵はビッと敬礼すると避難者達を見回しながら説明を始める。


「皆さん! これから皆さんを宮殿まで護衛します。ここから西側はまだ敵の足も遅く――」



 〜〜〜



「よし! じゃあコウ、さっきみたいにバチンバチンやっちゃおう!」


 避難者達を見送ったロナは大通りを城へ向け歩き出す。あとに続いた俺は二、三歩進んだ所で立ち止まった。やはり言っておかなければならない。連係にも影響する重要事だ。


「あ〜……ロナ。多分だけど……」


「ん? なぁに?」


「さっきみたいにすんなりはいかないかな〜……なんて……」


「……どしたの?」


 足を止めたロナは振り向いて不思議そうな顔をしている。少しばかり情けなさと申し訳なさを感じながら、俺は言葉を続けた。


「今の状況じゃ間違いなく俺……火力落ちるんだわ」


「火力? 火力が落ちるって……どういう……?」


「簡単に言うと…………もう雷撃使えない」


「…………は? なんで!?」



 ◇◇◇



「そんな……もうこんなに……!?」


 その光景を目にしたロナは絶句した。絶句して少しの間、立ち尽くした。何はともあれずは仕掛ける。それが基本姿勢であるはずのロナが言葉を失い動けずにいる。想定していたよりもかなり展開が早い。敵の圧が増していると、ついさっき会った衛兵は話していたが……


「増してるどころの話じゃないだろ……」


 俺とロナが南門へ辿り着くと、そこはすでに敵味方入り交じる混戦状態の戦場と化していた。怒声に悲鳴、地を這う様な雄叫び。倒れた兵を蹴飛ばし、踏みつけ、或いはそれ・・を武器として振り回す。暴れ回るオークはゆうに百は超えているのではないか。対する兵達はその倍はいそうだが、パッと見でも押されているのが良く分かる。贔屓目ひいきめに見ても劣勢と言わざるを得ないだろう。激しく戦う兵とオーク。その後方で何やらワ〜ワ〜とわめき散らしている男がいる。イベールだ。


「左翼! 押し返せ! 装備の隙間だ! 良く狙え! 治癒師! モタモタするな! 怪我人を奥へ……左翼ゥ! 何をやっている!!」


 そんなイベールのやかましさにうんざりとしたのか、隣に立つ老将はたまらず「イベールよ! 落ち着け!」と怒鳴った。


「指揮官たる者冷静に戦況を見つつ……」


「は! 見ております! 見た上で必要な指示を出しております!!」


「いいや! そりゃ単に見えとるだけで理解はしとらん! 百の部隊を率いるとは百の命を預かると同義どうぎ! その重さを知ればあんな雑な指揮など……」


「お言葉ですがミュラー将軍! 我が隊は将軍の麾下きかにはございません! お気遣い無用にございます!!」


「な!? 貴様の隊が崩れたら誰が尻拭いすると思うとるか!!」


「ご心配には及びません! 間もなく切り札が到着致しますゆえ!!」


 ああ言えばこう言うイベールに「何が切り札か!」と吐き捨てるミュラー。苛立ちながら「えぇい説教はあとだ!」と怒鳴ると前方で戦う自身の部下達に「一体ずつ囲んで仕留めよ! 焦る必要はない!」と指示を出す。そしてチラリとイベールを見ると「チッ……」と小さく舌打ちした。


(デルカルめ……面倒なガキを押し付けおって……! 大体内勤ないきんしかしておらんもんに部隊指揮など出来るか!)


 ミュラーはダグベ軍将校の中でも最高齢のベテランであり、階級は総司令デルカルと同じ二階位である(最高階級である一階位は国王が務めるが慣例だ。形式上、国王が軍のトップとなるからである)。

 かつて総司令となったデルカルが初めに取り掛かった仕事は、軍の病巣とまで揶揄やゆした老軍人達の追い出しだった。現場に出るでもなく、仕事をするでもない。しかし何事にも余計な口を挟み、スムーズな組織運営を阻害するまさに邪魔者としか形容しようがない彼ら年寄り達。国王マベットの意向もありデルカルはあらゆる手段を用いて彼らを引退へと追い込んだ。しかしそんな老害連中とは対照的に、ミュラーは常に意欲的に、時に献身的に現場で動き続けた。古い軍人ではあるだろうが質実剛健しつじつごうけんな模範的軍人でもある。彼を慕う兵も多い。故にデルカルはミュラーを認め、ミュラーもまた常に嘘のないデルカルを認めた。デルカルが瞬く間に軍部を掌握出来たのはミュラーの力添えが大きかったのだ。互いに認め合い補い合う、デルカルとミュラーはそんな関係だった。しかしイベールは違う様だ。

 

(全く頭の固い……これだから年寄りは……!)


 イベールもまたチラリとミュラーを見ると聞こえない程の小さな舌打ちをする。イベールは基地内で顔を合わせるたびにあれやこれやと小言を言うミュラーにうんざりとしていた(小言の大半は街で聞いたイベールの評判の悪さをたしなめるものである)。


(デルカル様はジジィの下に付けとは仰っていない……ならば対等! 遠慮する必要などない!!)


 確かにデルカルはそんな指示は出していない。しかしそれは詭弁きべんだ。戦場では上官に従うのが常識であり絶対である。そもそもの命令は住民の避難の支援、並びにオークの足止めだった。だがイベールが部隊を率いて街に出た頃には、すでにオークは城のすぐ手前まで迫っていた。む無くイベールは南門前で守備隊と共闘する選択をする。その守備隊の指揮官がミュラーだったのだ。当然ミュラーはイベールに指揮下に入る様命令する。だがイベールは突っぱねた。理由は前述の詭弁きべんである。何度話しても「デルカル様の特命だ」と首を縦に振らないイベールに、しものミュラーも呆れ果て「ならば何があっても自己責任だ!」と吐き捨て諦めた。が、それでもイベールに助言をする辺りがミュラーの面倒見の良い所だ。ちなみに特命と言える程重い命令であったかは微妙な所である。と、


「貴様ら!! 待っていた!!」


 どうやらこちらに気付いた様だ。イベールは右手を高く上げて大声で呼び掛けた。俺とロナは混戦をすり抜けイベールの下まで駆け寄る。


「遅いぞ貴様ら! まぁ良い、許してやる。さぁ行け、存分に暴れろ!」


 ビッと前方を指差しながら偉そうに命令するイベール。瞬間カチンときた俺とロナ。


「……どうしよ、コウ。コイツ無性に斬りたいんだけど」


「……奇遇だね、俺もコイツ吹き飛ばしたい」


「はぁ!? フザケてる場合か!! そんな状況じゃない事くらい……!!」


 ギャ〜ギャ〜と怒鳴り散らすイベールに「うるさいわイベール!!」と声を張り上げるミュラー。


「戦闘中だぞ! 緊張感がないにも程があるわ! ……で、コイツらが今言ってた切り札ってヤツか?」


「は! そうであります! 二人はジェスタルゲイン殿下の従士であります! 女の方はあの凍刃とうじん殿に師事しているとかいないとか……まぁ腕は立つ方であります! 脳筋ですが……男の方は南で迅雷じんらいとか呼ばれているとかいないとか……まぁ出来る方ではあります! いけ好かないヤツですが……」


「……ねぇコウ。斬っていい? いいよねこれ!」


「……ああ、いいと思う。そしたらロナが斬ったあとで俺が爆裂の魔法で……」


「えぇい! いつまでダベってるつもりか! おい魔導師! 貴様雷撃を操ると聞いた。だから迅雷じんらいだとな! 遠慮はいらん! バチンバチンぶっ放せ!!」


 再びビッと前方を指差し偉そうに命令するイベール。またまたカチンときたがグッとこらえる。一応期待はされているんだろうが、何しろ今の俺はどこまで使い物になるか分からない。


「……あのなイベール。今俺、雷撃使えない」


「…………は? 何故なぜだ!?」


 ……このやり取りさっきロナとやったな。

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