第292話 あの日の教会 4

(反乱……犯罪者って……)


 がくがくと足が震える。その内にかくんと膝の力が抜け、床に両膝を付いてしまった。事務室の外。扉越しに神父らの話を聞いていたリンは愕然がくぜんとした。

 ぶっきらぼうで少し口は悪いが、自分を含め子供達を温かく見守り育ててくれた、まさに〝お父さん〟と呼ぶべき存在。そんな父が過去に反乱を企て、追われて身を隠していたなどと……


 とてもじゃないが信じられない。


 〝外へ出ろ〟と、部屋の中からそんな言葉が聞こえてきた。神父の声だ。リンは慌てて壁に手を付いて立ち上がる。そして廊下の角に飛び込んだ。


 角から少しだけ顔を覗かせ、リンは事務室の扉を注視する。と、ガチャリと扉が開き神父が廊下に出てきた。


 神父の左手には剣。


 子供達が悪戯いたずらし怪我をしないよう、普段は事務室の床下に隠してある。知っているのは自分を含め、職員として働く数人だ。

 神父は言っていた。〝こんなのでもないよりはマシだ〟と。この危険な街で生活する上で、最低限必要な武装だろう。あくまで護身用として保管してあると、そう認識していた。だが違ったらしい。


 さっきの話の通りであれば、あれは〝父の相棒〟だ。


 廊下に出た神父の顔を見てリンは息を呑んだ。なんて怖い顔をしているのか。例え子供達がどんな悪戯いたずらをしても、あんな怖い顔は見せた事がない。


 と、神父と目が合った。


 神父は一瞬〝あっ〟と驚いた様な、あるいは何かマズイものでも見てしまったかの様な、そんな顔をした。しかしすぐにくっと眉間にシワを寄せて表情を戻す。神父の口元が動いた。


 〝隠れていろ〟


 声には出ていないが、神父の口は確かにそう言っていた。リンはわずかにうなずくと、すぐさまきびすを返して廊下の奥へと走る。頭の中が真っ白になっていた。何も考えられず、何をどうすれば良いのか分からない。ただ神父に言われた通り、隠れるしかなかった。

 リンが走ると、神父はすぐに視線を外して礼拝堂へ向け歩き出した。


 そして小さく息を吐く。リンが素直に言う事を聞いてくれて良かったと、そう思った。


 負ける気などさらさらない。子供達を傭兵になどさせはしない。が、何が起こるか分からない。職員として働いているとは言え、リンはまだ成人していないのだ。万が一負けてしまったら、リンも他の子供達と共に連れて行かれてしまうだろう。

 本音を言えば、子供達を連れて逃げろと伝えたかった。だがそんな時間的余裕はない。せめてリンだけでもと、神父はそう考えたのだ。


 あとになって、リンはこの時の自身の行動を酷く後悔した。もっと冷静でいられたら、例え一人でも二人でも、院の子供を連れて逃げ出す事が出来たのではないか。傭兵になる為の訓練を、無理矢理やらされる事などなかったのだと。

 だが結果としてリンは、シャーベルの誰にもその存在を知られる事なくブロン・ダ・バセルに潜り込む事が出来た。そして壮絶な戦闘訓練と情報収集に必要なあらゆるスキルを身に着けた。全てはフォージらと、父の仇を討つ為だ。

 そう考えると、決して全てが悪かったという訳ではないだろう。



 〜〜〜



 礼拝堂に戻るとナイシスタは部下達を見回し「子供らを中に入れな」と指示を出した。


 〝やっぱりな〟

 〝こうなると思ったぜ〟


 などと隊員達は笑いながら話す。中には〝チッ……〟と舌打ちする者も。「負けた奴はあとで払えよ」とナッカが言った。どうやら事の成り行きがどうなるか、隊員達の間で賭けが成立していたらしい。


「さて、さっさとやるぞ。ダン、ルヴェー、外の連中に伝えろ。リコ、ナッカ、俺達は中の子供らを集める。まぁ……ここで良いだろ、広いしな」


 ミストンがそう呼び掛けると、隊員らはそれぞれ仕事に取り掛かる。傭兵達の慣れた様子を見て神父は思う。〝こいつらはいつもこんな事をしているのか〟と。


「安心しなよ神父。子供らには見せないさ」


 ナイシスタは神父に近付きそう言った。余裕のあるその言葉に神父は確信する。こいつらは、この女はいつもこんな馬鹿げた事をやっているのだ。そして勝ち続けている。この女がここにこうして立っているというのは、そういう事だ。


 ぐっと、剣を握る手に力が入る。



 〜〜〜



 礼拝堂に子供達と職員が集められた。皆一様に怯えた様な不安気な顔をしている。それはそうだ。武装した連中に占拠されている様なもの、そんな顔になって当然だ。神父は少しでも皆の不安を和らげようと、強張こわばっていた顔を無理矢理ゆるませる。


「全員かい?」


 ナイシスタに問われ、神父は改めて子供達を見回す。が、何人かいない。


「……五人程足りん。街へ出たのかも知れん」


 神父の返答を聞くとナッカは「街じゃ探しようがねぇ、始めようぜ」とナイシスタに向け肩をすくめる。するとそれを見たリテュエインが口を開いた。


「さて孤児院の諸君、ジェフブロック統治官のリテュエイン・カウンだ。お前らには少しの間ここにいてもらう。なに、大した時間は掛からねぇ。事が終わったら……まぁ、そりゃそん時話すか」


 面倒臭そうにそう話すと、リテュエインはすっと右手をナイシスタに向けた。〝後はご自由に〟と、そういう意味だ。


「じゃあ神父、始めようか」


 そう告げるとナイシスタは礼拝堂を出る。神父は子供達を見回し「すぐに終わる。心配せず待っていろ」と呼び掛けた。


「あの神父……一体何を……?」


 恐る恐る問い掛ける職員の一人に、神父は再び「……待っていろ」とだけ答えナイシスタの後を追った。



 ◇◇◇



 外へ出ると、小さな前庭を傭兵達がぐるりと囲んでいた。さながら即席の闘技場だ。その中央にはナイシスタの姿。腕を組み、緩い笑みを浮かべて立っている。敷地の外には数台の荷馬車が停まっていた。あれで子供達を連れ帰るつもりなのだろう。


「ふん……」


 〝あんなもの、空で返してやる〟と、そう思いながら神父は闘技場・・・に入る。


(へぇ……)


 存外良い表情をしている。ナイシスタは神父の顔を見てそう思った。怒りや憎しみといった負の感情。自分が子供達を守るのだという強い意志。きっとそういったものが上手く混ざり合ったのだ。神父の顔はしっかりと戦士のそれになっていた。〝楽しめそうだ〟とナイシスタはほくそ笑む。世辞でも揶揄やゆでもなく、純粋にそう思った。


「さて……じゃあ各々おのおの賭けるものを確認しようか」


 はやる気持ちをぐっと抑え、ナイシスタは条件の確認を始める。


「私が勝ったら子供らをもらう。神父が勝ったら私達はこの件から手を引く。間違いないね?」


 神父は無言でうないた。いでナイシスタぐるりと周りを見回しながら言う。


「良いかお前達、私に何かあっても報復はなしだ。私の……シャーベルの名をおとしめる様な事はするんじゃないよ」


「分かってっから、早くやれよ」


 ナッカが答えた。「フフ……」とナイシスタは笑う。と、しかしここでナイシスタはとある違和感を感じた。いつもとは違う。部下達が静か過ぎるのだ。


「……賭けないのかい?」


 思わずナイシスタは部下達に問い掛けた。実に奇妙な質問だ。賭けというものは予想が割れるから成立する。この場にいてはナイシスタが勝つのか神父が勝つのか、逆に言えばどちらが死ぬのか、それを賭けるという訳だ。つまりナイシスタは、自分が死ぬと予想する者はいないのかと、そう聞いたに等しい。

 普通の感覚で言えば、自分達を率いる群れのボスの生死を賭けの対象になどするはずがない。だがその普通の感覚というものが彼らには当てはまらない。

 ナイシスタを含め、彼らは自分の命などというものは、吹けば飛ぶ様な酷く軽いものであると認識している。そうでなければ命のやり取りがつねである傭兵団の、その中でも特別難度が高い仕事ばかりを引き受ける〝掃除屋〟など務まりはしない。自身の命に重さを見出してしまおうものなら、死を恐れて動きが鈍るのは明白だ。

 それゆえいつ死ぬか分からない彼らにとって、今を楽しむという事は非常に重要であり、仲間の命を賭けの対象にする事も、娯楽を求めるごく自然な行為であり特別な事ではない。

 仮に意見の対立などで仲間同士が決闘を行う事になっても、それは彼らにとっては退屈を埋める楽しい時間となる訳だ。その結果どちらかが死んだとしても、双方合意の上で始めた決闘である以上、他の者がとやかく言うものではなく、致し方ない事である。

 勝った者には祝福を。死んだ者には哀悼を。賭けた者にはその夜のささやかな酒代を。その程度の事なのだ。


 ナイシスタに賭けないのかと問われ、ナッカは渋い顔を見せた。他の隊員達も首を振ったり肩をすくめたり。その内にダンが言った。


「賭けになんねぇよ、相手があれじゃあ……」


 一瞬きょとんとしたナイシスタ。「なるほどねぇ……」とぼそりと呟く。どうやら部下達の目には、あれはただの神父として映っているようで、一方的な殺戮ショーになるだけと、きっとそんな風にでも考えているのだろう。いつもなら〝立場をわきまえろ〟などと、小煩こうるく説教を始めるナッカが何も言わないのもそういう理由だ。


(やれやれ、目が肥えていないねぇ……)


 ナイシスタは改めて神父に目をやった。そして思う。〝あれを見て、どうして何も感じないのか〟と。気負うでもおくするでもなく、泰然たいぜんたたずむその立ち姿からはどこか威圧感さえ感じる。事務室での姿とは大違いだ。


(あぁそうだ……そうだった……)


 ナイシスタは八年前の事を思い出した。まだ成人したばかりの小娘。剣の腕も今より未熟で、知識も経験も見識も、まさに小娘のそれだった。だが変な自信と揺るがぬ野望があった。自分は誰よりも強い、誰よりも強くなる。誰にも負ける事なく、ダッケインを支え続けるのだ、などと……


(ハッ……無垢むくだねぇ……)


 笑える話だ。今ここに当時の自分がいたならば、思い切りほおを引っ叩いて説教でもしてやりたい。世は広く深い。お前より強い奴はいくらでもいる。そしてダッケインはクソだ、と。


 未熟と言えどもそれなりの自信はあった。だが失敗した。任務に失敗したのはあれが初めてだった。攻め切れず、仕留め切れず、いなされ、かわされ、防がれて、挙げ句に隙を与えて逃げられた。刻めたのはあご先の傷一つ。全く未熟。呆れてものも言えない。と同時にこうも思う。


 勿体ない事をしたと。


 あの夜、神父は間違いなく逃げに徹していた。それはそうだろう。反撃など、もはや何の意味も成さない状況だ。クーデターに失敗し、仲間は次々と捕らえられ、あるいは斬られ……

 つまり神父は実力の全てを見せてはいなかったのだ。だからあんな結果になった。あんなつまらない結果になった。


 だが仮にあの時、神父が死合しあおうと考えたなら?


 もしそうなっていたら、どんな結果になっていただろう。未熟だった当時の自分には、ひょっとしたら荷が勝つ相手だったかも知れない。ひょっとしたら、命を落としていたかも知れない。だがこれだけは言える。間違いなく、楽しい殺し合いになっていたはずだ。


 ゆえに勿体ないと思うのだ。


 だが図らずも、当時の続きを出来そうな状況が訪れた。神父が当時仕留め損ねた反乱軍メンバーの一人、リブロン・エピスバーだと知ったのはこの教会を訪れ神父の顔を見た時だ。あの傷痕。あの声。間違いないとの確信に至り心が躍った。更に神父の手を見て嬉しくなる。手には立派な剣ダコ。未だ現役である証拠だ。

 最初は脅しのつもりで考えていた一騎討ちの提案も、リブロン・エピスバーならば受けるのではないかと考えた。果たしてその推測通り、神父は一騎討ちを受けた。


 昔の仕事のミスを取り返す。これはそんな単純で色気のない話ではない。自分の剣から逃げ延びた強者と、八年振りに再会し斬り結ぶ。ナイシスタにとっては初恋の相手と再会したかの様な、そんなときめきがあった。


「残念だねぇ神父。どうやらオッズが低過ぎて賭けにはならないらしい」


 あおる様な口調で話すナイシスタだが、神父の表情は変わらない。「とうでも良い」と一言返すと、シュッと剣を抜きさやをポイと後ろへ投げる。


「あぁ……良い剣だねぇ神父。良く手入れされている……」


 神父の持つ剣を、ナイシスタはどこかうっとりとしながら見る。そしてふぅぅ……とゆっくり大きく息を吐くと「……やろうか」と言いながら腰の剣を抜いた。



 ◇◇◇



 一体何だ?

 何か起きたのか?

 何か……


 歩きながら〝ふぅ〟とバッサムは息を吐く。漠然と考えていても仕方がない。まずは教会に行かなくては。足は自然と早足になる。



 □□□



「バッサム〜! リン姉が呼んでる〜!」


 詰所の扉を開くや、数人の子供がひょこひょこと顔を覗かせ大きな声で言った。書類仕事をしていたバッサムは手を止めて立ち上がり、「何だ? 何かあったか?」と聞きながら子供らの前に進む。しかし子供達は互いに顔を見合わせてきょとんとしている。


「んん? 何だ?」


 改めてそう聞くと、子供の一人が「分かんな〜い」と返答した。


「はぁ? 何だそりゃ?」


「よく分かんないけど、バッサムとかフォージさんとか、あとラーカとかタウにぃも呼んできてって、リンねぇが……フォージさんは?」


「あぁ、今は巡回に出てんな。ラーカとタウラスも一緒に……」


 バッサムがそこまで話すと子供達は「探してくる!」と声を上げて走り出す。「あ! おい!」と呼び止めるバッサム。すると子供の一人が振り返り「バッサムは教会! 急いで!」と叫んだ。バッサムはぼそりと呟く。


「……バッサムさん・・だろよ」



 □□□



 子供達に何かあったのか?

 それともマフィア連中とでも揉めたか?


 考えても仕方がない。と言いつつも、しかしどうしても考えてしまう。自分達を呼んだという事は、衛兵でなければ対処出来ない相応の何かが起きたのだろう。しかも呼んだのは神父ではなくリンだという。ならば神父に何かあったのか?


 分からないが、何か嫌な感じがする。


 ふと気付くと、いつの間にか駆け足になっている自分がいた。

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